MONTHRY EDITORIAL02

Vol.57 | 「フルトヴェングラーをめぐって」   text by Mariko OKAYAMA

 2月初旬に『テイキングサイド』というロナルド・ハーウッドの戯曲が、東京の天王洲銀河劇場で上演された。ナチスの時代に、芸術と政治とのはざまで生きたドイツの大指揮者フルトヴェングラーの非ナチ化裁判を舞台に、フルトヴェングラーと、彼のナチス協力を糾弾する米軍少佐との苛烈なやりとりを描いた作品である。観に行こう、と思ったときには公演は終わってしまっており、残念なことをした。ひたすら純粋に音楽を愛し、ナチス体制下でも音楽の使徒たる使命感を持って指揮活動を続け、決してナチスには屈しなかった、という固い信念を持つフルトヴェングラーと、彼の指揮者としての世界的な名声など一顧だにせず、ただナチスの非人間性への憎悪を燃え立たせる米軍少佐との対決はどんなだったか。私は昔観た映画『世紀の指揮者/大音楽会——いま甦る伝説と栄光の巨匠たち』の映像を思い出した。
 1946年5月、ミラノ・スカラ座にヴェルディの『運命の力』が鳴り渡る。指揮は78歳のマエストロ、トスカニーニ。時の権力者ムッソリーニに抗し「スカラ座はビヤホールでも、ファシストの宣伝会場でもない。音楽は自由の魂だ!」と言って祖国イタリアを去った人だ。爆撃で廃墟となったスカラ座の復興とともに、居住先の米国から帰国、この日の記念コンサートを迎えた。そのトスカニーニの最初の一音を聴こうと、入場できなかった数千の人々が、劇場前の広場に設置されたスピーカーに一心に耳を傾けている。戦後はじめてスカラ座に響いたこの音は、ヨーロッパを席巻したファシズムの狂気からの自由と解放の象徴でもあった。
 一転して画面は、第二次大戦時へと巻き戻される。1942年、フルトヴェングラーがナチスのハーケンクロイツのいたるところに飾られた劇場で、ベルリン・フィルを振っている。ヒットラー生誕祝賀前夜祭、ベートーヴェン『第9』とのテロップ。アップにされた聴衆には、眼帯姿の将校、傷跡も生々しい若い兵士らの姿が写る。あるいはまた工場でのコンサート。ここもハーケンクロイツの氾濫である。じっと演奏に聴き入る少年、若い女性、老工、どれもみな、憑かれたような表情で、身じろぎもせず、フルトヴェングラーを見つめている。彼らの顔は、彫刻のように端正かつ一様で、美しい。さらに『第9』の合唱部分にいたると、彼らの眼は一段と強く輝く。演奏後、渡された花束をにっこり笑って受け取るフルトヴェングラー。満足げな高官たちの顔、顔。
 映像から見れば、ファシズムと敢然と闘ったトスカニーニ、ナチスの御用音楽家となってナチズムを後押ししたフルトヴェングラーという図式だ。したがってフルトヴェングラーは戦後、1947年の非ナチ化裁判で無罪となるまでの2年間、音楽活動を禁じられた。
 トスカニーニの姿勢は、はっきりしている。早くも1924年には、イタリア政府の命令によるファシスト讃歌『ジオヴィネッツァ』の演奏を拒否し、ファシストの秘密警察の監視を受けるようになった。1933年にはヒットラーの偏愛を受け、ナチスの顔となったバイロイト音楽祭での指揮を拒絶している。トスカニーニは一貫して反ファシズムをつらぬき、ことあるごとにその姿勢を鮮明に世界に打ち出してみせた。
 フルトヴェングラーはどうだったのだろう。本当のところ、何を考え、活動していたのか。この映画を観たあと、私は『フルトヴェングラー/音楽と政治』(クルト・リース/みすず・ぶっくす)という本を読んでみたのである。著者のクルト・リースはドイツ生まれのジャーナリストで、ナチスの政権掌握とともに国外へ去り、パリやニューヨークで活躍した。フルトヴェングラーがナチス協力の嫌疑で音楽活動を止められていたさなかの1946年に彼と知り合い、さまざまな資料とともに本人インタビューを重ねたうえで、1953年にこの本を書いた。もう60年も前のものだが、ナチス支配下でのフルトヴェングラーの緊迫した状況がそのまま伝わってきて、今読んでも迫力がある。
 たとえば、映画にあったシーン、ヒットラー生誕祝賀前夜祭はどうだったか。確かにフルトヴェングラーは指揮をした。彼はその日、ウィーンで『第9』の約束がある、といって最初は断ったのだが、ゲッペルスの介入によってその約束を無いものとされ、仕方なくベルリンにゆき指揮棒をとったとのことだ。その演奏は、当時の新聞によれば、「音楽界最大の天才ベートーヴェンの高貴なこの作品は、総統の誕生日にのぞんで、国民が偉大な模範に従い、たとえいかにきびしいものであれ、時代の危機と運命をのりこえ行かんとしていることを総統に対して象徴的に表現した。ベートーヴェンのこの作品はこの瞬間に、この日熱誠なる祝意をもって総統に近づいた何百万の人々の心を高め、奮起させた。」

 

 棒を振りながら指揮者は、もう二度とこういう要求には応じまい、と固く決心した。彼は次の年には仮病をつかって、その役を免れている。だが、このときの演奏が、新聞が伝えるように、ヒットラーへの熱誠と戦闘への奮起を鼓舞したものとなったことを否定するのは難しいだろう。一方で、指揮者は、聴衆が自分の演奏の真意、真の意味でのドイツへの愛を理解し、共有してくれていると信じていた。
 彼は裁判でこう言っている。「たしかに私は誤った目的のために利用されました。だが私が音楽にたずさわったのは国家社会主義の宣伝のためではなく、ドイツという立派な国の名に敬意を捧げようとしたからです。そしてまた、私が音楽家としてはたらいたのは、ナチではないが、それでもドイツにふみ留まった人々のためだったのです。」
 彼は自分の演奏が、ナチスの暴虐に堪え難い思いを抱きつつも表立ってそれを口にすることのできない人々の心の拠り所、ドイツの良心の最後の砦となっていると信じて疑わなかったのである。
 クルト・リースはこの本で、フルトヴェングラーがいかにナチスに様々な形で抵抗し続けたかを描いている。ヒットラーもゲッペルスも、彼を第3帝国の一枚看板にするべく、あらゆる術策を弄した。何しろ世界から引く手あまたのこの大スターを手放す気は全くなかったのである。そんな中で、フルトヴェングラーはベルリン・フィルのすべてのユダヤ人奏者に絶えず擁護と助力を惜しまず、当局とわたりあい、多くの人々を助けた。彼の計らいによって救われたこれらの人々は、裁判で涙とともに証言台に立ち、彼の無実を訴えたという。
 1937年、ザルツブルクの街頭で遭遇したトスカニーニとフルトヴェングラーが交わした会話の一部はこうだ。
 トスカニーニ「今日のような世界の情勢下では、奴隷化された国と自由な国の両方で同時にタクトをとることは芸術家にとり許されません。あなたはバイロイトで指揮するというなら、当然ザルツブルクでは指揮できないわけです。」
 フルトヴェングラー「私自身は、音楽家に自由な国も奴隷化された国もないと考えています。ワグナーやベートーヴェンが演奏される場所では、人間はいたるところ自由です。もしそうでないなら、これらの音楽を聴くことによって自由な人間になるでしょう。音楽は、そこではゲシュタポも何ら手出しできない広野へと人間を連れ出してくれるのですから。」「私が偉大な音楽作品を指揮し、それがたまたまヒットラーの支配下にある国で行われたからといって、それで私はヒットラーの代弁者だということになるのでしょうか。偉大な音楽はナチの無思慮と非情とに対して真っ向から対立するものですから、むしろ私は、それによってヒットラーの敵となるのではないでしょうか?」
 トスカニーニ「第3帝国で指揮する者はすべてナチです!」
 フルトヴェングラー「するとあなたは、芸術というものはたまたま政権を握った政府のための宣伝、つまりそのかざりものにすぎないとおっしゃるのですね。ナチ政府が勢力を占めれば、私は指揮者としてもやはりナチであり、共産主義の下では共産主義者、デモクラシーの下では民主主義者となるわけですか?いいえ、絶対にそうではありません!芸術はこれらのものとは別の世界に存在するものです。それはあらゆる政治的な偶発的な出来事の彼岸にあるのではないでしょうか。」
 トスカニーニは首を振って答えた。「私はそのようには考えません。」
 1945年、ゲシュタポに逮捕される寸前、危機一髪でフルトヴェングラーはスイスへ脱出した。無罪判決後の1947年5月、フルトヴェングラーはドイツでの最初のコンサートをベルリンで振っている。群衆は洪水のようにホールになだれこみ、2千の聴衆は狂気じみた歓呼で彼を迎えた。ベートーヴェンの『エグモント序曲』『田園』そして『運命』。演奏が終わったとき、聴衆の熱狂と喝采は最高潮に達し、いつ果てることなく続いたという。
 音楽は、どのようにも信じられうる。また、どのようにも利用されうる。ハーケンクロイツに囲まれた『第9』。それを聴く、あの判で押したように一途で一様な表情の老若男女。彼らのなかに、どのような「自由」が実感されていたのか。芸術の、人間の魂の「自由」とはいったい何だろう。


丘山万里子

丘山万里子:東京生まれ。桐朋学園大学音楽部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。日本大学文理学部非常勤講師。著書に「鬩ぎ合うもの越えゆくもの」(深夜叢書)「翔べ未分の彼方へ」(楽社)「失楽園の音色」(二玄社)他。

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