Vol.32 | アミリ・バラカ@ベルリン・ジャズ祭1994
Amiri Baraka @JazzFest Berlin 1994
photos & text by 横井一江 Ⓒ1994 Kazue Yokoi

 1994年の秋、ベルリン・ジャズ祭に行こうと決めたのは、送られてきたプログラムにアミリ・バラカの名前を見つけたからだ。もちろん他にもいろいろ観たいステージはあったが、アミリ・バラカのポエトリー・リーディングを観るまたとない機会を逃してはならないという気持ちが何よりも強く、それに背中を押されてベルリンへのチケットを購入したと言っていい。そうでもなければ、どんよりとした雲の下の陰鬱な11月のベルリンへ行くことなど考えなかったと思う。
 私が、後にアミリ・バラカと名乗るリロイ・ジョーンズの存在を知ったのは、たまたま本屋にあった一冊の本からだった。『ブルースの魂』という邦題のその本(現在は『ブルース・ピープル』という邦題で出版されている)は、それまで読んでいたジャズや黒人音楽についての文章とは異なる視点、アメリカの黒人という立場から書かれていた。そのためか、白人評論家はもちろん、幾人かの白人ミュージシャンには理不尽に攻撃的な箇所もある。しかし、音楽の背景となった歴史社会、そこで生成された文化に基づいての考察は、妙に説得力があって、薄っぺらな歴史語りでは知ることの出来なかった「白いアメリカの黒い音楽」(その本の副題である)にいくらか近づけたような気持ちになったのだ。ジャズ好きな高校生にはかなり刺激的な本だったことは確かであり、彼のもう一冊のジャズについての本『ブラック・ミュージック』やエッセイ集『根拠地』を読んだことで、個人的なジャズ観になんらかの影響があったことは間違いないだろう。だが、彼が詩人であることについては、本のあとがきや諏訪優著『ビート・ジェネレーション』で知るのみだった。
 アミリ・バラカは物書きである。ならば文章を読めば事足りるはずだ。それなのに、なぜ彼のポエトリー・リーディングを観たいと思ったのか。それは、私がすでに白石かずこや吉増剛造のポエトリー・リーディングとミュージシャンの共演を何度も観ていて、単に詩集を読むのとは違う言霊と音楽の出会いの面白さを体験していたからであり、80年代初めに『New Music - New Poetry』(India Navigation)というLPと出会っていたからである。それ以前にもリロイ・ジョーンズは、ラズウェル・ラッド、ジョン・チカイ、ルイス・ウォーレル、ミルフォード・グレイヴスの『ニューヨーク・アート・カルテット』(ESP)で、「ブラック・ダダ・ニヒリズム」という詩を読んでいる。しかし、それは音楽をバックにした詩の朗読の範疇から逸脱するものではなかった。しかし、『New Music - New Poetry』でのデイヴィッド・マレイとスティーヴ・マッコールを従えてのバラカの朗読は違っていた。朗読というよりスピーチ、いやアジテーション、言葉は見事にサウンドと化していたのである。韻を踏みながらリズミックに、そしてリフやシャウトを交えて発せられる声は、楽器演奏のようであり、まるで言葉によるフリージャズだった。一度ステージを観てみたいとそのLPを聴いた時から思っていたのである。
 アミリ・バラカが出演するということは、ベルリン・ジャズ祭のトピックのひとつだった。その年はジョルジュ・グルンツ音楽監督最後の年で、アミリ・バラカはベルリン・ジャズ祭のアドバイサーのひとりでもあったことから、出演ということになったのかもしれない。バック・ステージでも話題になっていて、ドイツ人ジャーナリストは彼の政治的な面を注視していたように思う。評論家クリスチャン・ブロッキングから「アミリ・バラカについてどう思う」と聞かれ、「最初に彼の本を読んだ時はまだティーンだったから影響を受けたし、今も書いていることに共感する部分も多いが、異論もある」と話したところ、ブロッキングも「僕も同じだ」と言っていた。ドイツ人の彼にそう言われたことが、なんとなく不思議に思えたものの、彼も私もアメリカの黒人ではないのだから、それはそれで意見が合ってもおかしくないという単純なことに気がついたことを覚えている。

 

 ところで、そのステージはどうだったのか。それは単なるポエトリー・リーディングではなく、5人のミュージシャン、4人の詩人、1人のダンサーからなる「ブルー・アーク」による「ブラック・ヒストリー・ミュージック」と題した舞台だった。アメリカの黒人が辿った歴史をブラック・ミュージックに重ね、言葉で綴ったステージで、アフロ・アメリカン賛歌(アンセム)で終わる。ドラの響き、奴隷船から始まり、よく知られた曲、例えば<テイク・ジ・Aトレイン>、<ブルース・マーチ>などがストーリーの伏線として取り込まれていた。詩人であり戯曲家、そして黒人音楽をよく知るバラカでしかできない巧みな演出に、11月のベルリンへ来た甲斐があったと思ったのである。
 バラカにインタビューした当時ラジオ局に務めていた友人は「ヨーロッパではこうして機会が得られるが、アメリカでこのようなパフォーマンスを行うのはなかなか難しい。観客の理解も完全なものではないにしろヨーロッパのほうがより得られる」という旨を語ったという。それがディプロマティックな言葉であったにせよ、バラカの置かれている立場、アメリカの黒人がいまだに抱える問題の難しさが投影されているように感じたのである。

 あれから20年近く経つ。今年1月9日、アミリ・バラカは亡くなった。アメリカの新聞各紙だけではなく、ヨーロッパ、日本でも新聞がその訃報を伝えた。
 詩人、戯曲家、音楽評論家、そして活動家として多方面に活躍したアミリ・バラカだが、その言論活動は時代の変化にシンクロしていたといえる。卓越した知性の持ち主だったが、彼は常にカウンターカルチャー側にいた。バラカは自身の文章の中でouttelligentという造語を用いている(*)。確かに、彼の生き方はinではなく、outだ。追悼の意を込めて、もう少しアミリ・バラカという傑物について書いておきたい。
 彼の出発点は1950年代の半ばのヴィレッジだった。当時ヴィレッジには多くのビートが移り住んでおり、ジャズを聞かせるクラブでは詩の朗読も行われていた。彼もまたそこにたむろするボヘミアンの一人だったのである。
 アレン・ギンズバーグの有名な長編詩「吠える」が出版され、世間に大きな衝撃を与えたのは1956年のことだ。それは大きな爆弾だったと言っていい。詩には、アメリカの恥部、黒人、貧困、ドラッグが赤裸々に、じつはそれこそが真の姿だったのだが、その苦悩する姿が綴られていたからである。ケネス・レクスロスのようにギンズバーグを預言者のようだとその才をいちはやく認めた人物もいるが、最初は非難囂々だったとうのが本当のところではないだろうか。しかし、それはやがてバイブルのように世界中の若い世代に浸透していった。日本でも『吠える』片手にジャズ喫茶へ、ということがあったと聞いている。その真偽はともかく、かなり影響力のある詩集であったことは間違いない。
 「吠える」は、リロイ・ジョーンズにとっても特別な詩だった。なぜなら「吠える」に描かれていたのは彼と関わりがある世界であり、その言葉、そのリズム、その内容に共感を覚えたと自伝にある。そして、ジョーンズのとった行動とは。パリに滞在していたギンズバーグへ手紙を書いたのである。しかも便箋ではなくトイレット・ペーパーに書いて送ったという。そして、ギンズバーグから来た返信もまたトイレット・ペーパーに書かれていたと。しかしながら、手紙を書くにはヨーロッパのトイレット・ペーパーのほうが向いていたそうだ。それは今も同じだろう。私の経験でもホテルのそれの紙質はアメリカのほうが良かったのである。

 間もなくして、リロイ・ジョーンズは当時の妻ヘティと『ユーゲン』というリトル・マガジンを始めた。『ユーゲン』とは幽玄のことではないか。これもまたビートらしい発想のタイトルだ。寄稿者にはアレン・ギンズバーグ、ウイリアム・バロウズ、グレゴリー・コーソ、ジャック・ケラワック、ゲイリー・スナイダー、フィリップ・ウォーレンなどビートの主要人物が名を連ねていた。また、ダイアン・ディ・プリマが出版していた『フローティング・ベア』というリトル・マガジンも共同編集していた。彼のアパートにはビート達が繁く訪れていたようで、『ジャズに生きる』を書いたA.B.スペルマンが下宿人として住んでいたこともあったという。ヴィレッジはビートとジャズ、白人も黒人も様々な人々が出会う場であり、あるいは恋におちる場であり、議論する場だったのだ。そして、ジョーンズが自らの詩集『20巻の自殺ノオトの序文』を彼自身が立ち上げたトーテム・プレスから出版したのは1961年、彼はまず詩人として出発したのである。その活動はビート・ジェネレーションに位置づけされる。だが、黒人である彼の中でビートやブラック・マウンテン派の詩作に対する違和感は徐々に大きくなっていくことは避けられなかった。
 誰でもその人生において何度か大きな転機を迎えるものだ。特に芸術家、音楽家にとっては、それはドラスティックなものになる場合がある。なぜなら、彼らや彼女たちは時代の鼓動と共振しているからだ。ジョーンズにとってターニング・ポイントは1959年のキューバ行きだった。彼の内面やその立ち位置の変化は、1960年から1965年に書かれたエッセイが収録された『根拠地』を読めばよくわかる。何を語るにせよ社会的な観点が貫かれていて、その舌鋒は黒人作家にも向けられていていた。
 1963年に書いた『ブルース・ピープル』は黒人が書いたジャズについての本格的な本だったこともあってか、話題となった。そして、1964年に上演された戯曲『ダッチマン』でオビー賞(最優秀オフブロードウエイ劇作賞)を受賞する。ダッチマンとは、東インド会社が所有する奴隷船に「フライング・ダッチマン(幽霊船)」という名前がつけられていたという言い伝えによるのだろう。舞台はニュヨーク、幽霊船は地下鉄である。アメリカの狂気を反映している白人女ルーラは、人間になろうと努力している黒人青年クレイを最終的に殺す。この時期に書かれた他の戯曲『奴隷』などもよく残酷劇と評されている。アントナン・アルトーのそれの影響があるのかもしれない。それらの戯曲はジョーンズの屈折した内面を表しているようにも思える。その内容についてジョーンズは「『ダッチマン』というのは、アメリカにあって人間になるのがいかにむづかしいかについて書かれたものなんだ」と書いている。『ダッチマン』は、日本でも発表された翌年、昭和40年に新宿アートシアターで上演された。ジョーンズの著作で最初に訳出されたのは、詩でも評論でもなく戯曲だったのである。
 ジョーンズは黒人文学に対しては非常にクリティカルで手厳しい反面、「ブルースとジャズは、その担い手たちが黒人としての彼らの本質的な同一性を維持したという全くその理由のために、正式のアメリカ文化における《黒人性》を終始一貫しめしえた唯一のものであった」(『根拠地』)と述べている。ジョーンズの語りかける主たる対象は黒人である。そこに自覚的になった時に、ジャズやブルース、あるいは黒人音楽の手法をその詩の朗読に取り入れていったのではないかと私は思う。またそれは、黒人牧師の説教からラッパーの言葉に至る黒人のオーラル文化を反映しているともいえる。後の彼の詩は、不思議と朗読で聞くほうが解りやすいというか、すくなくともそのフィーリングがダイレクトに伝わってくる。実際、ビートがあり、ある時は牧師のように、ある時はラッパーのように、またある時は声を楽器として用いる。それはテクストの呪縛から言葉が解き放たれ、命が与えられるからだろう。彼の詩は、ジャズのようにその朗読を経てはじめて完成するのではないのだろうかとさえ私は思ったことがある。

 

 1964年に「ブラック・ダダ・ニヒリズム」を書いた時には、すでにビートから離れ、よりブラック・ナショナリズムに傾き、その言葉の刃の鋭さが増していった時期である。詩はジョーンズの内的変化を表しており、その後の活動の予感させるものだった。その年ハーレムなどでは暴動が頻発し、「長く暑い夏」はすでに始まっていた。マルコムXの暗殺が、ある引き金を引いた。1965年、ジョーンズはユダヤ系白人の妻へティと二人の子供を捨て、ハーレムに移る。ジョーンズがヴィレッジから去った時にインドに居たギンズバーグは、そのことを悔やんだという。
 ハーレムでジョーンズは、ザ・ブラック・レパートリー・シアター/スクールを立ち上げ、アンガージュマンする詩人・劇作家・音楽評論家として活動をはじめた。1967年、リロイ・ジョーンズからイマム・アミリ・バラカ(1974年にイマムは外す)とその名を変える。経済的反ユダヤ主義に傾き、その後ブラック・ナショナリズムから離れ、マルキシストになり、第三世界の非帝国主義運動をサポートする運動に関わったりする。振り子が振れるような彼の言動の変化、それは黒人運動の変遷、ブラック・パワーの登場やその後の政治社会情勢とシンクロしている。何かというと「過激」というレッテルを貼られるバラカだが、非常に博識であり、思索家で論理的な人物であることは、その文章を読めばわかる。そして、アメリカ社会の内部に居ながら、また同時に外部に置かれるアメリカ黒人としてのアイデンティティ、所在のあり方を求め、流浪するインテリの姿が見える。そもそも普遍的なアイデンティティなどあり得ないのかもしれない。アマルティア・センが言うところのアイデンティティの複数性という視点に立ったほうが、ジョーンズの生き方は理解しやすいように私は思う。
 1994年にベルリンに登場したバラカは、かつてのラジカルな闘士というよりも大学教授のような佇まいだったことが印象的だった。実際彼はラトガース大学などで教授職を務めていた。しかし、言葉の鋭さは変わっていないし、その後もなにかと物議をかもしだしていた。その最たるものは、同時多発テロから1周年のある集会で「Somebody Blew Up America(誰かがアメリカを吹き飛ばした)」という詩を朗読して波紋をおこしたことだろう。ワールド・トレード・センターが破壊されることをユダヤ人は知っていたと解釈されるような一節がその詩にあったのだ。早速ユダヤ人団体が抗議し、バラカはそれは詩の曲解だと反論し、謝罪を拒否。そうするとニュージャージー州の桂冠詩人を辞任しろという声が起こり、それも拒否。というわけで、ひと騒動起こったのである。オバマ大統領に対しても、最初は支持していたものの、アメリカのリビア武力攻撃の後にオバマを非難する詩を書いている。彼の健全な狂気、その毒気は死ぬまで健在だった。
 アミリ・バラカの訃報を知った時、ふとウォーレン・ベイティの映画『ブルワース』(1998年)に彼が浮浪者役で出演していたことを思い出した。まるで道化のように、ストーリーの重要なところに現れ、意味深な何事かを呟く。その最後の場面でも呪詛のようにこう言った。「ゴーストになるな、スピリットになれ」と。アルバート・アイラーの諸作が脳裏に浮かぶ。果たしてアミリ・バラカはスピリットになり得たのか。
魂が安らかに眠らんことを。合掌。

* http://www.pen.org/fiction-novel/conrad-loomis-clothes-ray

横井一江:北海道帯広市生まれ。The Jazz Journalist Association会員。音楽専門誌等に執筆、 写真を提供。海外レポート、ヨーロッパの重鎮達の多くをはじめ、若手までインタビューを数多く手がける。 フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年〜2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷、2011年)。趣味は料理。

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追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)

オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)

INTERVIEW
#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義

CONCERT/LIVE REPORT
#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
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