Vol.57 | セシル・テイラーの『京都賞』受賞に思う | |
text by Masahiko YUH photos:Ⓒ2013 Kazue Yokoi横井一江 |
第29回の京都賞は予想を覆して、フリー・ジャズの創造的展開に偉大な足跡を残してジャズ史の1ページを飾ったピアニスト、セシル・テイラーに輝いた。
1929年(3月25日)生まれのテイラーは、今年84歳。恐らくは最後の機会ともいうべき土壇場で、栄光のメダルを手にしたことになる。ちょうど40年前の1973年、トリオを率いて初来日した彼の記念すべきコンサートの司会をつとめた私にとっても、我がことのように嬉しいのはむろんのことだが、それ以上に色々な意味ですこぶる感慨深い。このコンサート・ライヴをレコード化したのは当時発足して間もないトリオ・レコード社だったが、トップとして洋楽部門を率いていたのが、現Jazz Tokyoの編集長稲岡邦彌である。
京都賞は<科学や文明の発展、および人類の精神的高揚に大きな貢献を果たした人々の功績を顕彰する国際賞>であり、1985年以来延べ約90人に及ぶ受賞者を選んで表彰、称揚している。具体的には先端技術、基礎科学、思想・芸術の3分野から受賞者を選ぶ。その段取りはまず、国内外の信頼できる有識者から推薦された候補者を各部門の専門委員会(8名)が選考・整理し、各部門の審査委員会(8名)、および京都賞委員会の審査を経て受賞者を選出する。各受賞者は11月の京都賞受賞式と関連行事に出席して講演をおこなうことが原則となっている。
京都賞についての具体的な仕組みを簡略にまとめてみたが、京都賞が世界の名だたる国際賞の中でどんな位置にあるかを一言でいえば、ちょうどノーベル賞などの世界的な賞を補完する位置にあるのではないかと思う。その点では米国のピューリッツァ賞と共通するところがあるといっていいが、その理念や目的にそって「人知れず努力を怠らなかった人たちの貢献を顕彰し」(稲森財団・稲森和夫)、これを晴れて顕彰し称揚する世界的に得難い国際賞であることだけは間違いない。
今回は音楽分野から選出する番に当たった。過去、思想・芸術分野から選ばれた28名のうち音楽家は7人。たった7人?と思われるかもしれないが思想・芸術の分野は何せ対象が極めて広い。音楽以外にも建築、映画、演劇、舞踊、美術、批評、哲学など、実に多様な領域にわたる。過去にはナム・ジュン・パイクがメディア・アーティストとして、文楽人形遣いとしては吉田玉男が、デザイナーとして三宅一生らが受賞した例もあり、決して音楽家が優先されるわけではない。
先述した7人の音楽家とは、第1回のオリヴィエ・メシアン、第5回のジョン・ケージ、第9回のヴィトルト・ルトスワフスキ、第13回のイアニス・クセナキス、第18回もジェルジ・リゲティと、すべてクラシック分野の作曲家。第21回で初めて指揮者として著名なニコラス・アーノンクールが選ばれ、第26回で指揮者で作曲家のピエール・ブーレーズが受賞した。いずれにせよ、すべてクラシック界のアーティストで占められており、他の音楽分野からの受賞者はいない。ジャズもご多分に漏れず1人も受賞者を出していないどころか、どうやら候補にさえなっていない。それが何と嬉しいことに、今回初めてセシル・テイラーがジャズ分野からの初の受賞者となったのだから、喜びもひとしおだ。
問題はセシル・テイラーの健康状態。仮りに講演はおろか来日自体が不可能となれば、受賞資格を自動的に失うことになる。昨年、クラブ・ブルーノート東京(南青山)がセシル・テイラーの公演を発表して大きな反響を呼んだものの、セシルの健康悪化で公演直前に中止されてファンを落胆させたので、今回も大変危惧した。私自身もいざとなったらセシルとは長らく活動をともにして親しいドラマーのアンドリュー・シリルにでも国際電話をかけて、詳しい情報を調べてもらう腹づもりをしていた。だが、幸いにも懸念は杞憂に終わった。人知れず安堵の胸を撫で下ろしたことを思い返すたびに、夢でも見ているような気分になる。ついこの間のことなのに。
京都賞恒例の授賞式は11月10日、午後1時。会場は国立京都国際会館。会場には山下洋輔の顔もあった。彼は東京オペラシティで催している2008年の「山下洋輔ニューイヤー・ジャズ・コンサート」に、私淑するセシル・テイラーを招いて2人だけのソロとデュエットでコンサート全編を構成するという大胆にして異例の試みを繰り広げたことがある。今回の受賞者たち、電子工学者のロバート・ヒース・デナード博士(81歳)、進化生物学者の根井正利博士(82歳)とともに舞台中央の主賓席にすすんだセシル・テイラーは、心なしか片方の足を引きずっているようには見えるものの、体調そのものには大きな問題はなさそうで、ひとまずホッとしたことはいうまでもない。
司会者が会場に集まったジャーナリストを含む大勢の出席者に受賞者を順に呼び上げ、厳かに紹介する。このときセシルらしい気骨が健在であることを示す、ちょっとした出来事が起こった。すなわち、司会者が受賞者の名を一人ずつ呼び上げて会場の人々に披露する、まさにその場面だ。
ロバート・ヒース・デナード氏と根井正利氏には“ドクター”の称号で紹介した司会者が、セシル・テイラーを紹介するときだけは判で押したように “ミスター”で紹介し、これが何度か繰り返されたのだ。1度ならず3度や4度もこれが続いて、よほど癇に障ったのだろうかセシルが低い声を上げた。離れた席にいた人には聞こえなかったかもしれないが、ステージに近い1階の招待客の席に座っていた私たちの耳には届いた。「私にだってドクターの称号ぐらいありますよ!」。
実は、翌日(11日)の記念講演会がおこなわれる会館内の別の会場で、セシル・テイラーの公開インタヴューがおこなわれたとき、前日の“ドクター”称号の1件について訊ねられた彼は前日とは打って変わった穏やかな調子で答えた。「いや、私だってこれでも一応博士なんですよ。ニュー・イングランド音楽院(セシル・テイラーが学んだ音楽大学)、ブルックリン大学、コロンビア大学などで名誉博士号を授与されているんです」。
確かに、端で聞いていても一方は“ドクター”で紹介し、他方を“ミスター”と呼んで区別するのは、何だかこの晴れがましい場にそぐわない。身びいきかもしれないが、違和感を覚える。まして若いころ苛烈な人種差別闘争の嵐の渦中にいてブラック・パワーの運動にも関与したセシルの血が突如騒いで、ある種の差別感を喚びさまされたとしても別に不思議はない。今日、多くの人はあのころの黒人たちがどれほどの苦難と絶望のまっただ中にいて、出口のない闘いに明け暮れていたかに余りにも無頓着だ。あの時代を知らない若い世代には仕方がないことだとしても余りに無神経すぎる。それがここでほんの少しだけ顔を出した。セシルも大声を発したわけではなく、前に陣取っていたジャーナリスト何人かが“ドクター(テイラーを)と呼べばいいではないか”と口走っただけで事は済んだ。この場面を間近で目撃して私は、セシルの気力はまだ健在だなと、精神的な萎えがないことに妙な安心を覚えた。
映像を使った受賞者の紹介が終わると、純金のメダルとディプロマを贈呈された3受賞者は舞台裏に退場し、講演の準備に入った。
セシル・テイラーがダンサー(かつては舞踏家と呼ばれた)の田中 泯を伴って講演ならぬ演奏(コンサート)に入ったのは午後4時半過ぎだった。打楽器を右手に、左手に持った小型の詩集の一片をつぶやきながら舞台の上手から登場した彼は、田中 泯のパントマイム風の動きを見るともなしに時を止めたかのような静けさを演出する。影絵が二つ動いているよう。モンクが生前エジプトの古い民俗舞踊を踊っていたスナップ映像を思い浮かべた。ピアノの椅子に座って、あたかも詩のフレーズを音化させたかのような音群を散りばめた句読点のないファンタジーを何度か繰り広げたセシルが、田中に抱きかかえられるように椅子から立ち上がったのはおよそ50分後。時計を見ると5時25分だった。
公開インタヴューで彼は言った。長い人生を通して私は毎日のように変化してきたし、今だって変化しつつある、と。通訳にまったくおかまいなしに話し続けるので、全部がこちらに聴こえたわけではない。彼は若い音楽家のために財団を設立したとの紹介があったので、この財団が現在どんな風に活動を展開中なのかと改めて訊ねると、現在は活動を中断しているとのすげない返事がかえってきた。彼はむしろこのインタヴュー会場の建築美をしきりに称えて、設計者は誰かとたずねた。大谷幸夫という建築家だと教えると、しきりに立ち止まっては柱に触れた。その流動的な傾斜にいたく感じ入った様子だった。セシルの全盛期のライヴを何度か体験してきた私には、今回の演奏に特に感じ入ったわけではない。そのときから彼の演奏にエジプトの太古の調べを聴くことがあったし、今回の演奏(17日、草月会館での東京公演も含めて)でバレェのように彼が宙を舞うことがなかったのは単に足腰が衰えたというよりも、むしろ内面的なリズムに関心の比重を置き換えつつあるからではないだろうか。
エキサイトした日々がかくして終わった。いささか長くなったことをお許し願いたい。翌12日の夕刻にはテイラーのワークショップが用意されていたが、残念ながら私自身のスケジュールと合わなかったため、彼には東京で再会する旨を告げて別れたのが何とはなしに心残りだった。ワークショップはすでに当誌で横井一江氏がリポートしてくれている。千載一遇の機会に彼と再会できたことに感謝するとともに、名誉ある京都賞(外交辞令かもしれないし、珍しいことだが、彼自身も京都賞以上の賞はないと言った)を彼が受賞したことに改めておめでとうを言いたい。(2013年12月17日記)
http://www.inamori-f.or.jp/
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悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。
追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley
:
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣
:
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi
#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報
シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻
音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美
カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子
及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)
オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美
ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)
:
#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義
:
#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
#875「ノーマ・ウィンストン・トリオ」神野秀雄
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