MONTHRY EDITORIAL02

Vol.58 | 「京都での朝の勤行」   text by Mariko OKAYAMA

 朝5時半。寒い。3月末の京都は、厚手のセーターにコートでも冷える。朝寝坊の私が、こんな時間に起きた、というか、起こされたのは、西本願寺で毎朝行われる、朝のお勤め「お晨朝(おじんじょう)」に出るためである。はっきりしない頭に、朝の光がまぶしい。少し前をゆく中年男性が、本願寺の門を入って行く。この人も、お晨朝に出るのだろう。私のように興味本位と違い、日課として通っているらしいことは、その足取りでなんとなくわかる。
 お晨朝は、広い境内の右手にある本堂、阿弥陀堂で行われる。6時からのお勤めに、すでにお堂のなかには150人ほどの老若男女が集まり、畳に座して導師の入場を待っていた。見回すと、制服を来た20人くらいの教団のボーイスカウトとガールスカウトが指導者に引率されて正座している。すごい。立派だ。こんな朝早くから・・・。私の前には、観光だけではない旅を、とでも思ったのだろう、リュックサックをかたわらにおいた青年。その横には母親と中学生くらいの男の子2人が、行儀良く並んでいる。すごい。立派だ。驚いたことに、外国人も1人見かけた。よほど好奇心が強い、もしくは日本文化に興味があるのだろうか。ありがたい。立派だ。圧倒的に多いのは高年の方々で、椅子持参の人も居る。やはり日課なのだろう。
 阿弥陀堂の中央には木像の阿弥陀如来が鎮座している。左右にはインド、中国、日本の念仏の祖師7師と聖徳太子の影像。前日の午後、やはりここを訪れたときは、金色に輝く中央の阿弥陀如来に三々五々訪れる観光客が手を合わせていたが、今、朝の冷気に引き締まった堂内は、それとは全く違う雰囲気だ。阿弥陀如来も凛として見える。
 「お聖教」という小さな本を手渡される。これから読むものらしい。やがて鐘の音とともに導師が連れ立って入ってきて、壇内に並んで座り、さあ、はじまりだ。導師に導かれ、全員が声をそろえて読む。「正信偈」だと連れが教えてくれる。浄土真宗の祖、親鸞上人(1173~1262)の書いた『教行信証』の末尾にある偈文(げもん)である。偈文というのは仏や菩薩をたたえた、詩句の形をとる讃歌。漢字だが、カナがふってあるので、とにかく一緒に声を合わせて読んで行く。朝からこんなに声を出すことなど全くないので、かすれる。これを毎朝やったら、さぞかし心身に良いだろう、と実感。お腹の底から声を出せば、全身の血行がよくなるに決まっている。私はとてもそんな元気はなく、ぶつぶつと口先で唱えているだけだけが。こうして朝のはじまりを、導師や参集した人々とともに声をそろえ、仏への讃歌ではじめれば、心も感謝の気持ちに満ち満ちて、良い一日となるに違いない。仏さまに見守られ、ああ、ありがたい、ありがたい、と唱えれば、それだけで心が謙虚になろうというもの。謙虚であれば、世の雑事に追われても、ゆったりと構えていられるだろう。人間、心の持ちようが大事である。
 もっとも、読んでいる最中は、そんなことは考えない。ひたすらカナを追い、声を出す。みんなの声が朗々と堂内に満ちる。最後の方にかかったのだろう、読みに音程が加わり、高くなったり低くなったりする。ついてゆくのはなかなかに難しい。が、みんな慣れたもので、ちゃんと揃って朗誦する。と、今度はテンポが2倍にゆっくりとなった。そうして、最後の詩句を唱えたあとは、「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」である。これがなんとも良い。手を合わせ、軽く頭を下げて「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」 全員の声が、いかにも心のこもったお念仏になって、無信心の私でも、なんとなく有り難い気分になる。
 お経は退屈で苦手な私だが、このお勤めは意外と短時間で終わったのでほっとしたら、人々はそれからぞろぞろ、立派な渡り廊下を渡り、隣の御影堂に移って行く。まだ、何かあるのかしらん、と、何気なくついていったのは失敗だった。こちらの御影堂には親鸞上人の木像が祀られている。ここでは、やはり親鸞が作った「和讃」が唱えられるのだという。和讃とは、「偈」と同様、仏や菩薩、教義などへの讃歌を、七五調の和語で書いたものである。親鸞はこの和讃をたくさん作った。一般庶民にわかりやすい言葉で書かれており、当時、愛唱されたようだ。親鸞は声もよく、歌もうまかったらしい。親鸞は法然の弟子だが、同じ弟子仲間にやはり美声で節回しの見事な美貌の僧侶がいて、とりわけ女性たちの心を惹きつけ、憧れの的となり、それがもとで斬首されたという話が残っている。
 それにしても阿弥陀堂で、本を返してしまったので、手元には頼るべきものがない。こちらはひたすら聞くしかない。これは正直、苦痛だった。今か今かと終わるのを待つ心境になってしまった。しかも「正信偈」よりずいぶん長い。やれやれ、自分はつくづく不信心だ、と、ひたすら唱和する人々の背をながめる。ようやく終わる頃には、寒さに加え、足のしびれで、立ったときはよろけてしまったのであった。時刻はすでに7時。いつもはまだ夢のなか、である。


 

 親鸞は師の法然のあとを受け、念仏さえ唱えれば誰でも救われる、という教えで大衆の間に熱狂的な信者を生み、時の権力ににらまれ、流罪になったひとだ。乱世の世にあって、とりわけ貧しく弱い大衆の心をつかんだ念仏に、どれほどの威力があったか。その念仏が危険なものとして弾圧を受けたのは、それだけ巷に念仏がすさまじい勢いで広がったからである。「南無阿弥陀仏」の一句が人々の心をとらえた。弾圧のはじまり、2人の僧侶(例の美声の僧侶がその1人)が、後鳥羽上皇の寵愛する2人の女官を無断出家させたかどで捕まり、河原で首をはねられた。その時の様子を描く五木寛之『親鸞』の筆はリアルだ。念仏禁止のおふれにも関わらず、思わず唱えた親鸞の念仏に、河原にあつまった数多の人々にこれに唱和する声が起こる。「念仏をやめよ!」役人たちが必死で叫ぶ声がひびく。しかし、親鸞の腹の底からわきあがるような念仏の声はつづき、それに和する声が次第に大きくなってくる。「なむあみだぶつ」。念仏の声は、十人から百人、百人から千人へとふえていく。男も女も、老いも若きも、その河原のすべての人々がとなえる念仏の声が、巨大な津波のようにうねり、地を圧してひびきわたった。その声は、やがてひとつの独特の調子をつくりだして河原にとどろきわたった。「なも、あみ、だん、ぶ」・・・。

 大勢がおなじフレーズを一心にくりかえし唱えるということ。そこから生まれる膨大なエネルギーと、ある種の恍惚は、その中に居て、実際、一緒に唱えてみてはじめて実感されるものだろう。宗教儀式の根幹にある人間の普遍的な生理。私がお晨朝に行ってみたのも、その一端を味わってみたいという、ずうずうしい考えからだが、確かにこれが満堂の人だったらものすごい迫力だろう、と思った。「なむあみだぶつ」には、それを口にするだけで、なんともいえない心地良さがあった。
 親鸞の時代から今日もこうして、お念仏は生きている。お晨朝に参集する人々の日常に、親鸞はいかにも生き生きと生きているのだと、御影堂の親鸞に改めて合掌する。帰り道、街角の満開の桜が笑みこぼれるようだった。

西本願寺ホームページ
http://www.hongwanji.or.jp/about/kenzo/01.html
より。


西本願寺阿弥陀堂


丘山万里子

丘山万里子:東京生まれ。桐朋学園大学音楽部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。日本大学文理学部非常勤講師。著書に「鬩ぎ合うもの越えゆくもの」(深夜叢書)「翔べ未分の彼方へ」(楽社)「失楽園の音色」(二玄社)他。

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