音の見える風景  


Chapter32.板橋文夫
撮影:2008年10月25日、杉並産業商工会館にて
photo&text by 望月由美




 板橋文夫の笑顔は天真爛漫で無邪気、ザンバラ髪を振り乱し両手両足をスイングし全身で笑。
 その笑顔は時に饒舌に、時に勝手気儘に飛び跳ねてまさにピアノと組んずほぐれつの格闘をする演奏スタイルと近似している。そのずば抜けて太い腕からは独特のメロディーとリズム、パッションのうねりを生み出す。板橋文夫の腕はアスリートなみにたくましい。ストレッチとかスポーツは特段にしていない。幼い頃はきゃしゃな身体だったそうだが一生懸命ピアノを引き続けた結果、強靭な体になったのだそうだ。
 <渡良瀬>、<アリゲーター・ダンス>、<グッドバイ>という曲名を聴いただけで人それぞれの甘い青春をおもいおこす人も多いと思う、ソング・ライター板橋はその後も多くの名曲を作り続けている。
 「やっぱり自分の資質っていうのか、基本にあるのがメロディーっていうのが自分の中では強いみたいだね。全部数えたことないから分からないけど200曲は超えているかも知れないよ。勿論、即興っていうこともあるんだけど、ジャズだから...。」 
 ジャズだから、と言いきってくれるところが嬉しい。板橋の書く曲はジャズを演奏するよろこび、生きる喜びをイマジネーションの源としているから聴くものを夢中にさせる。だから板橋のライヴの現場には独特の熱気がたちのぼる。コアな板橋ファンはこの熱気にあたりにライヴへ通うのかもしれない。

 板橋文夫は1949年3月8日、栃木県の足利に生まれる。6人兄弟の末っ子で子供の頃は身体も弱く大事に育てられ、幼いころから外で遊ぶことよりは家でオルガンを弾いて遊ぶのを好んでいたという。音楽教師だった母親の意向もあって小学校の2年のときからピアノの個人レッスンを受ける。となりまちの桐生までバスで30分も40分もかけて毎週かかさずにレッスンに通ったという。
 そして板橋文夫は東京立川市の国立音楽大学の付属高校から国立音大に進み決定的なジャズとの出会いを体験することになる。
 「ピアニストになるなんて意識はあまりなくて、自分はピアノを弾くことしかなくて、弾き続けなくちゃならないっていうのが自分の中にあって、目標とか自分で選んだという感覚もなかった」 と言うが物心がついた頃から決められていたかのようにピアノ一筋の道を歩むことになる。

 国立音大ではまったくの偶然だったそうであるが本田竹広 (p)と同じ長峰和子先生につく。先生から「本田くんはジャズの方に行っちゃったけど板橋くんだけはジャズは演らないでね」 と言われたという話は有名である。このとき板橋は「ジャズも同じ音楽ですよ」と先生に話したというが、この時点でじつは板橋は本田の演奏はまだ聴いていなかった。本田の演奏にはこの会話のあとの国立音大の学園祭で接することになる。
 「国立の学園祭で本田さんとか武田さんとか(渡辺)文男ちゃんとか古澤さんとか、あと中村誠一さんとかさ、みんな来てて、学校中ジャズ一色!もうグアーッときたね、真正面から自分をさらけ出してね、ガチャンと一発やられたわけよ」。 かくして板橋文夫のジャズへの道がスタートする。当時の学園祭には学生だけではなくプロのミュージシャンもやってきて一緒に演奏を楽しんでいたのだそうである。
 それまでアシュケナージを好み、クラシックのピアノを専攻、その一方で高校時代にはロックのグループでキーボードをやっていたこともあるという板橋青年であるが、この学園祭での衝撃的な出会いによりジャズと向き合うことになる。初めはオスカー・ピーターソンの<自由への賛歌>をコピーしたり、ビル・エヴァンスとかバド・パウエルからハービー・ハンコックまで聴いたそうだ。マッコイ・タイナーに話を向けると「勿論、マッコイの『インセプション』(impulse!)なんて素晴らしかったね、本田さんもあの曲をやっていたりして思い出が強いね」。 マッコイのデビュー盤を聴いて板橋はデビューすることになる。

 19か20歳の時にはジャズ・クラブ「新宿ピットイン」に出入りするようになり、宮田英夫(sax)グループ等への参加、さらに自己のトリオでも活動を始める。ジャズの原体験からプロ・デビューまでの速さに板橋のひたむきさが現れている。ちなみに出発時点の板橋トリオのドラマーは古澤良治郎であった。
 1971年の3月、渡辺貞夫がカルテットを解散し、若手中心のニュー・クインテットを結成する際、そのオーディションを受けクインテットの一員となる。そのときのメンバーは福村博(tb)、板橋文夫(p)、古野光昭(b)、倉田在秀(ds)という若者達。
 「いやあ、きびしいというよりも好きにやらせてくれる、というのが基本にあって、もとにあるものが貞夫さんの呼吸とあえばなんでも好きにやらせるっていうね」。 渡辺貞夫のリーダーとしての姿勢は凄く勉強になったそうである。
 1973年の2月、峰厚介(ts)クインテットに参加する。峰厚介(ts)、宮田英夫(ts)の2管に板橋文夫(p)、望月英明(b)、村上寛(ds)の5人で、ジャズ・シーンの急先鋒をかけめぐり名作『ダグリ』(Victor)を残す。峰クインテットは10月に解散し峰厚介はニューヨークに移り住む。
 1974年、日野皓正(tp)のニュー・クインテットに加入、翌年の1975年4月、日野の渡米を前にした「さよならコンサート」で日野グループは解散する。丁度同じ時期に西荻窪「アケタの店」で『ライズ・アンド・シャイン』(ALM)をライヴ・レコーディングしている。

 日野皓正が’75年6月に家族を連れてニューヨークに移住してから、しばらくして板橋文夫は岡田勉(b)と二人でニューヨーク行脚を行う。
 「勉さんが行くからっていうから、じゃあ俺も行くって2人で行ったの。当時のニューヨークは怖いけどね、いろいろ未知なところもあったりあったかいところもあってさ、刺激的でいい時期だったね」 「4〜5年前に行ったら整理整頓じゃないけど本当に街も綺麗になっちゃってさ、だんだん変わって行っちゃうっていうか」 と板橋は70年代のニューヨークを懐かしむ。
 75年10月、ニューヨークから帰った板橋は岡田勉(b)、小山彰太(ds)とトリオを結成し新たな活動を始める。76年3月、名作 『濤』(Frasco)を録音<アリゲーター・ダンス>、<グッドバイ><濤>という名曲を披瀝している。このときのメンバーは岡田勉(b)と楠本卓司(ds)とのトリオ。
 1975年の大晦日をもって山下洋輔トリオを退団した森山威男(ds)は1976年から西荻窪「アケタの店」で数々のセッションを重ねながら森山威男カルテットを創り上げてゆくが、その核となったのが板橋文夫であり、森山Gのレパートリーの多くは板橋文夫の曲が占め、アンコールでは板橋の<グッドバイ>を演奏するのが慣わしとなっていた。

 

 渡辺貞夫、峰厚介、日野皓正、森山威男というビッグ・グループに加入しながらも並行して自己のグループでの演奏も続けていた板橋は森山Gのレギュラーを退団してからは自己のグループでの活動に専念する。途中、1985〜87年にかけてエルヴィン・ジョーンズ(ds)の「ジャズ・マシーン」のヨーロッパ・ツアーに参加したり、1991年、レイ・アンダーソン(tb)のカナダ・アメリカ・ツアーに加わったり、峰厚介(ts)、井野信義(b)、村上寛(ds)とのオールスター・コンボ「フォーサウンズ」などでも演奏しているが活動の核は自分のグループになる。

 トリオやオーケストラなど多彩な編成で自己の音楽を拡大してゆくかたわらピアノ・ソロにも力を注ぐようになる。ソロ・アルバムも何枚か発表しているが1981年に録音した『渡良瀬』(日本コロンビア)はA面がスタンダード、B面が板橋のオリジナル曲という構成でピアニスト板橋文夫を大きく世に知らしめる作品となった。アルバム発表時にSJ誌「JAZZ VOICE」でインタビューしたとき板橋は「俺はウタが好きでジャズを始めたようなものだし、始めたころ聴いた音楽の優しさとか、あったかさとかが俺の音楽の原点になっているような気がするんだ。人間の内側からなにかこう、こみ上げてくるものがその人のウタでさ、それをしゃべり過ぎないように深くなにかを秘めて弾きこんでいくのが本当の意味での精神力じゃない。ソロはそれが一番出ちゃうから恐いわけだけどね」。 この板橋のジャズに向き合う姿勢はいまだにかわっていない。『渡良瀬』の発売にあわせて板橋は「板橋文夫・WATARASE101一人旅」と題して北海道から沖縄まで全国101箇所の縦断ソロ・ツアーを敢行し多くの協賛者を得る。以来、板橋の全国ソロ・ツアーは、現在にいたるまで続いている。

 板橋文夫がもうひとつ力を注いでいるのが「板橋文夫ジャズ・オーケストラ」である。1984年に旗揚げ以来そのときどきのベスト・メンバーを集めて活動を継続している。アルバムも何作かリリースしているが2008年に録音した『ウイ イレブン 板橋文夫オーケストラ』(MIX DINAMITE)はオーケストラの真骨頂を発揮していて面白さに溢れている代表作である。とにかくメンバーが凄い。板橋文夫(p)、村井祐児(cl)、林栄一(as)、片山広明(ts)、吉田隆一(bs)、田村夏樹(tp)、福村博(tb)、太田恵資(vln)、井野信義(b)、小山彰太(ds)、外山明(per)という11人。まだ聴いていない人もこの名前を見ただけで出てくる音が想像できるかと思うが、これがいざ聴いてみると想像を絶する面白さである。エリントン・オーケストラでジョニー・ホッジス(as)やハリー・カーネイ(bs)が、カウント・ベイシー・オーケストラでジョー・ニューマン(tp)が妙技を発揮したようにここで林栄一(as)が、吉田隆一(bs)が、田村夏樹(tp)が個性を発揮する。ほかのメンバーも然り、全員が楽しく自らの個性を主張している。

 板橋文夫は1993年、それまで所属していた日本のジャズの名門「ピットインミュージック」から独立し自らの創作活動をプロデュースする事務所「MIX DINAMITE」を設立する。いまではミュージシャンが自らをプロデュースするのは当たり前となっているが20年前の、しかも「ピットインミュージック」という恵まれた環境からの独立である。
 「MIX DINAMITE」からは多くの作品が発表されているが板橋文夫FIT!による『New Beginning』(MIX DINAMITE)が印象深い。2011年4月11日と12日、東日本大震災から丁度一ヶ月後の録音。震災の記憶が生々しいなか音楽ができる日常に感謝し過去は変えられないけど未来は変えられる、との思いから新たな出発を祈ってつくられた。2枚組みのCDには板橋のオリジナル<がんばんべー東北!No.1><がんばんべー東北!No.2>が収められている。板橋はこのほか 『14:46 3.11 2011』(MIX DINAMITE)などのCDの売上げを東北地方太平洋沖地震復興への義援金とする支援を行っているし、その後も東北支援ソロ・ツアーなど折りにふれて被災地への支援活動を行っている。 ただ単に被災地を想うのだけではなく即実行に移すのが板橋流なのである。

 2000年の10月、板橋は恒例となっている横浜ジャズプロムナードで「板橋文夫〜大地の歌〜アフリカの風」を演奏する。以来板橋ミュージックとアフリカの熱気がミックスするようになる。
 この横浜の2ヶ月前に板橋はケニアのナイロビやモンバサにひとり旅をしている。
 「一度行きたくて、行きたくてしようがなくて俺ひとりで行ったの。そのときジャズの好きな人が大使館にいて、あと獣医をしている日本の人が住んでいて向こうのパーカッション・グループとか知っていて色々セッションなんかやってね。集まってきたひと達がパーカッションと一体となって踊ってみんなでリズムをつくってゆくんだよ」 踊りの輪の中に加わった板橋はすっかりアフリカに魅入られてしまう。
 翌年の2001年7月、国際交流基金を活用し先ずはサンパウロに住んでいたことのある翁長巳酉(perc)と共にブラジルに行き、現地ミュージシャンと交流する。そしてその足でケニア、セイシェルに向かう。ケニアでは井野信義(b)、小山彰太(ds)と合流し3人で楽しい演奏旅行をする。この旅の記録は『ジャンボ!オブリガード<ブラジル編>』『ジャンボ!オブリガード<ナイロビ&セイシェル編>』(MIX DINAMITE)として発表されている。

 学生時代から板橋と親しくし、長年にわたって板橋と行をともにしてきた小山彰太(ds)は「いやいやいや、音楽そのものみたいな人でね、アフリカも一緒に行ったけどとにかく、もの凄いエネルギッシュな人だよ。同時に心根が凄い優しいし、気遣いもあるし、見かけはごつっとした感じだけど細やかで優しい人だよ」と語る。
 ソロ、トリオ、オーケストラそしてクラシックや映画音楽などほかの分野でも多才な活動をしている板橋であるが、どんな状況下においてもひとたびピアノに向かうと全身を汗にして音に没頭する雄弁なロマンティストである。20歳でデビューして以来自分のウタを一番大事にしてきた板橋文夫は常に燃えつきることのないパッションのかたまりであり続けている。


望月由美

望月由美:FM番組の企画・構成・DJと並行し1988年までスイングジャーナル誌、ジャズ・ワールド誌などにレギュラー執筆。 フォトグラファー、音楽プロデューサー。自己のレーベル「Yumi's Alley」主宰。『渋谷 毅/エッセンシャル・エリントン』でSJ誌のジャズ・ディスク大賞<日本ジャズ賞>受賞。

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