Vol.77| 菊地雅章
1970 東京
text by Seiichi SUGITA





「やがて私の時代が来る」
といったのは、マーラーである。アルマではない。アルマとは、マーラー夫人(“軍用犬”ではない)。夫がグスタフである。アルマは、あのヒトラーのターゲットではあった。アルマは、夫の譜面=紙で下着を造り、亡命する。
 Jazz Tokyoの最大のメルクマールのひとつが、「アーカイヴス」だと、おくればせながら、知る。
 一切、手を加えずに、参画する。「アーカイヴス」の1担掌主体としてだ。
 聴きたまえ!杉田とプーさん(菊地雅章)との交感=コミュニカシオンを。今こそ。



<インタビュー>
菊地雅章/杉田誠一 (1970年)
音楽は人間の“生”のすべてじゃない

七月七日夕刻、菊地雅章は一人、飄として羽田を発った。ニューポート・ジャズ・フェスティバルに出場のための突然に過ぎるエルビン・ジョーンズからの招きである。菊地はその後も一週間ばかりの日程をさき、ニューヨークでエルビンのコンボの一員として演奏するという。

杉田 何故アメリカヘ行ったのですか?
菊地 つまらないことなんだけど、まず向うからピアノが来るじゃない。つまんないピアノでもコードワークがものすごくいいわけよ。よく考えてみると、そんな難しいことじゃないんだけどさ、すごいコードの発展もあるし。そういうことを心底身につけたいと思ってさ、それで向うでないと駄目だと思って『ダウンビート』の奨学金出したら受かった。
杉田 サダヲさん(渡辺貞夫)の帰国ということも一つのショックになっていたんでしょう?
菊地 ショックとは?
杉田 結局、初めて日本に向うのものを導入してきたわけでしょ。
菊地 ちゃんとした理論をね。ショックというより、俺、嬉しかったな。
杉田 まっ先に習いに行ったわけね。
菊地 うん、俺が教えて下さいって言ったら、一人じゃ駄目だってわけよ、お金になんないし。結局、宮チャン(宮沢昭)なんか誘ってそいで行き始めたわけよ。すごく楽しかったね。
杉田 菊地さんを通して教わった人も相当いたそうですね。プーさん(菊地雅章)は理論家だといわれてますが。
菊地 それはなかったと思うよ。確かにサダヲちゃんていうのは理論家じやないよね、知っててもさ。その点、俺なんかわりと言葉つけたしたりして説明するから重宝がられただけじゃないかな。
杉田 日本に対して、ある種の絶望感はなかったんですか?
菊地 ない。それは全然ない。
杉田 ちょうど日野皓正=菊地の双頭コンポが最も人気が出てきたときでしょ。にもかかわらず、すぱっとやめて行っちゃったわけだからファンは呆然としましたね。
菊地 そうお? ミュージシァンとして不安っていうか、未知なる部分が沢山あるわけでしょ。それを知りたかったっていうだけなんだがな、あの時は。ソウルのことも知りたかったし。俺の音楽の巾でもって、あのクインテットをあれ以上スムーズに発展させることができるかどうか、ちょっと疑問だったしね。
杉田 それで結局、向うへ行かれた、その十ヶ月ってのはどうだったの?
菊地 そうねえ...どうだったかねえ...
杉田 初めてプーさんが、ジャズと出会った時と同じくらいの原点が絶対あったと思うんですけど。
菊地 まあ...少くともブルー・ノートに頼らないジャズのメロディ、ブルー・ノートに頼らなくてもいわゆるジャズのメロディックなり和声というようなもの、理論じゃなくそういうものを俺は身につけたと思っている それが果して日本人に必要かどうかまでは、まだ俺は判らないわけよ。ただ、音楽としての一つの形ね、形としてのそういうものは得たと思っているわけ。ただそれが俺にとってプラスになるかマイナスになるか、またそれがどういうように発展していって...本当は間違っているか判らないけど、その内、また、がく然とすることあるだろうね。
杉田 また行かれるんでしょ?
菊地 日本じゃ勉強できないね。まだそんなに直接的な疑問...まあ、毎日演っていて疑問はあるけど、とにかく自信がないわけよ。何故こういうことをやっているのかという確信も持てないしね。技術的とか、理論的とかそういうはっきりした音楽としての形態に於ける疑問は今のところないけど、三年か四年したら、恐らくまた出てくるだろうな。こんな状態でずっと仕事を続けていたら駄目になっちゃうだろうしね。まして俺、弱いし...環境的にもよくないし...。
杉田 もっといってたらよかったのに。
菊地 お金がないから。バークレーさ、奨学金だけじゃ授業料の半分にしかならないのよ。それで半分だけ受けさせてくれって言ったんだけど、とにかくお金なかったね。
杉田 バークレーってどんな学校なんですか?
菊地 質が落ちてるね。生従の数も千五百人くらい。教えられるわけないよ。サダヲちゃんの時は三百人くらいだった。今は兵役逃れにみな入って来るわけよ。まあ、サダヲちゃんから習ったことで残ってた疑問はなくなったけ...学校にはいろいろ腹立ったけど。でも、いいね。音楽やってると、いいね。
杉田 結局、一つの場として利用しようと。

菊地 いぞ、そうしゃないんだ。俺は発狂しょうと思って行ったんだけどね。
杉田 なるほどね。パークレーに何ヶ月行ったということじゃなくて、総体としてのアメリカと関ったというところにプーさんの原点かおるわけだ。
菊地 原点?
杉田 つまりアメリカに於て、絶対にゆるがせない基本的なものを吸収したと思うんですよ、一ヶ月しか居なかった僕自身のことを省みてみても。そういう意味で原点といったんですけど。
菊地 そうね。ジャズをやる人達と関れたこと、ょかった。
杉田 それで、日本に帰って来たとき、決定的に日本の駄目な点ということを強く感じませんでしたか?
菊地 日本は駄目になるんじゃないかと思ってたけどね、滅亡するんじゃないかとね。ところが日本に居ると慣れちゃうのよね、感じなくなってくるんだ。帰って来た当時はこんなことやっていちゃあって、本当に思った。こんなこと俺が言うのはおかしいけど、まず、ミユージシアンの層が薄いでしょ。それでジャズで容易に飯が食えている。どうしようもないね。行く前はモダンジャズで完全に飯が食えていたのはサダヲちゃんぐらいでしょ。帰って来たら凄いものね、ゴロゴロ。でもまた最近は駄目らしいね。コンサートゃっても客が余り入らないらしい。
杉田 そのへんは、やはり聴衆の耳がこえてきたんしゃないですか。乱発気味ですもの。帰国してから今のメンバーを構成するまで随分時間がかかりましたけど、どういうところで構成されたわけですか?
菊地 音楽として、のびのびとして素直だということ...そう、やっぱり音楽になっていないのは嫌なんだよ、俺。音楽になるというと誤弊かあるかも知れないけど、その人の思想なんかが変に前面に出てきているのは音楽として認めたくないんだ。聡いていて楽しくないじゃない。
杉田 思想とか理論が先行してしまっていてはね。
菊地 そう、結局、そのバランスが問題だと思うんだよね。思想というものはむしろ隠されていていいんじやないかな。俺の考えている音楽というのは割りと古くさいんじゃないかな。
杉田 厳しいこと言わせていただくと、レベルの差がある今のメンバーで音楽やっていく上でのある種の最低限での統一を望んでいらっしゃるとすれば、どこでその共通項を見出していくのかが開題となってきますね。
菊地 その人のヒューマンな、音楽にヒューマンな感じの出ている人ということかな。それが一番大事だと思うんだよね。技術的にうまくても、理論的に優れていても、やっぱりそれが一番重要なことではないね。若い人は伸びる力も早いし、素直に人間としてつきあえる人が必要だ。だってインクープレイする時も相手の音楽を信用してやっていかなきやどうしようもないでしょう。疑ってたら何にもできないからね。連帯怨が大切だと思うからね。そういう音を出せる人はそういう人間性を持ってもいると思うしね。
杉由 するとかなり妥協のないところでメンバーを構成したわけですね。
菊地 それを言っちゃうとまずい。層の薄さということはあくまでもあるよ。
杉田 その辺がやはり日本でジャズを統けていくことの大きな問題ですね。
菊地 うん、そうなんだよ。層が薄いなんてもんじやないからね。プロ・ミュージシァンとしてやっていける資格を持っているのは十人に満たないんじゃないかなあ。人間的なつき合いがなくても、一端音楽に関すると、すごく連帯感が生まれるとか、そこまでいっていないでしょう。
杉田 かなり制約のある中で、できることをやるしかないということになりますか?
菊地 いや、これからやろうとしているんだよ。日本の民族主義ってのはよく繁栄してるんじやない、慣れ合うという面ではさ。そういう障害はだんだん切り捨てていかなくちゃならないと思うし、メンバーとも音楽だけのつき合いでうまくやりたいと思うし。もちろん人間対人間のつき合いがあればこんないいことはないけど、嫌な奴でも一つ音楽をやっていけば調和が生れるというようなところまでいきたいのよ。
杉田 日野さんのグループに戻るということは考えなかったんですか?
菊地 一年ぐらい離れていると、それぞれに伸びているし、絆みたいなものもなくなって既に元のさやじゃなくなってきている。違っているわけさ、その人なりに伸びて一つのものをこさえかけている所に入って行くのは嫌だし、俺も邪魔されるのは嫌だし、対社会的なものもあったしね。

 

杉田 この一年、目本のジャズシーンは大きく動きましたもの。帰国して、戸惑いを感じませんでしたか?
菊地 うまくなったね、みんな。びっくりしたな。でも、ずっと向うのサウンド聴いていたじゃない。だから何か一本筋が通っていないという感じはあったね。
筋ってさ、理論で通すんじゃなくて、これは俺、自分の音楽に惑じていることなんだけど、あらゆる音楽知ってね、いわゆる音楽の厳しさなり自然さを得る、そういう所で本当の音楽のやすらぎみたいな余裕が出てくると思うんだよね。
杉田 ミュージシァンの音楽に対する姿勢が常に問われているという訳ですね。
菊地 思考面だけでやっていちゃ駄目なんだよ。
杉田 瞬間的な面で言えば音に対する真摯さ?
菊地 そうだね。その音にミュージシァンがフィットしてるかどうかだよね。それがなかったら全然意味がないよね。
杉田 自分とかけ離れた所でいくらいい音楽をその人がやっていても評価に値しないという。
菊地 それに気付かない人も居るよね。
杉田 グチっぽくなるね。日本のジャズはプアーだってサダヲさんはおっしゃってたけど、とにかくやりたい時にミュージシァンをパッと集めるなんてことは出来ない状態なんだから、自分のコンボを組んで、練習していく以外ないというところに、日本でジャズをやっていくことの不幸というか、ある種の宿命みたいなものはありますよね。もう、どの辺に基本線を置いて、どこまでそのメンバーの中で自己の可能性を引き出してゆけるかという極めて難しい開題がね。
菊地 環境の前に、俺はとにかく勉強したくてね。だけどやっている時にすごく気にしなくちゃなんないってのはとても嫌だよね。特に俺、神経が鋭敏だしさ。
杉田 絶望惑というか、先日コンサートで、プーさんがコンダクターになりましたけど、バラバラ。ああいう時、最も顕われちゃうんじゃないんですか。
菊地 いや、あれはやっぱり億に責任があると思うし、はっきり自信を持ち得ないということが大きな原因になったんじゃないのかな。だから俺自身、もっとパイダルな面の必要を感じているし、基本的にはジャズマンはスポーツマンのような筋肉と敏捷な反射神経を備えてなきゃ駄目なんだ。億はまずその辺から自信ないわけよ。今、身休づくり始めてんだ。
杉田 黒人の持っているしなやかなバネね。
菊地 そう、その辺で若い奴に期待するわけよ。戦後の経験もないし、食い物も違ってきてる。かなり俺遠の頃と社会が違ってきてるもの。
杉田 そうすると、かなりいろいろな要素を考慮して今のグループをつくってるわけですね。
菊地 と思うんだけどね。だけど評論家はきっと良く書かないと思うんだ。ピアノの重なる部分がないとか。そんなことは判っているのよ俺だって。俺達がかかわり合っている開題をね、書いて欲しいんだ。素人でも判るようなことを書いてお金とるなんておかしいと思うのよ。ほとんどの日本のジャズ評論家というのがそうでしょ、現象ばかりとらえててさ、俺、文句いいたいよ。
杉田 現象にも追いつかなくなりましたよね。現象の方がスピードかある。第一現象聴いていないじゃないですか。向うの物をいち早く購入して、バンバン訳して横流ししているだけのようなね。日本だからこそそういうのが成立するわけですよ。開題にする必要ないですよ。
菊地 そりゃそうだな。
杉田 話を変えましょう。
菊地 誹謗にするかね。
杉田 えっ、それは余り面白くない。飽きましたよ、そういう話が多過ぎて(笑)。ところで、昔から怨念のない歌はないですね。
菊地 それはさ、歌が戦いのための勝鬨きであったからで、今はそういう戦いないしさ、音楽の形は変ってきているじゃない?
杉田 形は変っても、自分が意識してないところでも怨みつらみの根深いものは絶対にあると思うんですよ。
菊地 俺なんか音に対する怨みかね。
杉田 ただ単に怨念ということでなく、もっとトータルなところで、僕は情念というものを非常に無視できない。もし仮に、そういうことが表われてないものであれば、少くとも同世代の内に於ての共有感はないんじゃないかということは基本的な所であるんですけどね。
菊地 あなたの言っていることは正論だよ。だけど今の日本じゃ正論は通らないよ。何故かね。
杉田 やっぱり見てくれとか、表面的な所でしか関っていないんじゃないですかね。
菊地 民謡なんか誰でも判るけどね。西洋音楽にはアクセサリーを見るような感覚が存在しちゃうのかね。あなたの説に俺は賛成だよ。ただ情念っていうと、今、「天井挽歌」とかああいう所でもてはやされていて、わりとドロドロしたものを想像しやすいけどさ、もっと明かるいものもあるわけだよね。
杉田 サダヲさんなんかがそれを日本人には珍しくストレートに、みごとに出せる人なんですよね。何の抵抗もなく楽器を持った瞬間にね。
菊地 スケールでかいね。あの兄弟は珍しいよ。文男といい妹といい。妹の歌っての聴いてごらん、いいよ。あのさ、(ゲイリー)ピーコックどうなんだろうね、あれ。
杉田 僕は失礼な言い方だと思うけど、いいと思わないんです。あの人が音楽をやってなかった何年間というものが、
菊地 やってんだよ。
杉田 やってたんですか。じゃ、易とか禅とか思想的な面をかなり吸収していた期間、どうなんでしょう、同時点に音楽というものがあったんですかね?もしそうであれば、今の演奏はもっと素晴しいと思うんですがね。あの人自身の自分との関り、対外的関りと音楽との関りの接点が果してどこにあるかということであの人の音楽には疑問がある。
菊地 それは判る。だけど音楽が自分の生活と同時点にあると考えた場合の論理でしょ。でもね、まず生活が第一義的であった時にはさ、音楽ってのはただ本人の自己発露の場であったとすれば彼は彼なりにいいわけだよ。片隅に押しやっちゃった方が音楽ってものがょく見えるってこともあるしさ。冷静に音楽に対することができるし、かえってそのものに対する敵しさが増すんじゃないかって気もするんだけど。音楽なんて人間の全てじゃないもの、それほどまでに大事なものじゃないもの...よく判んないんだけど、俺。
杉田 いや、そうじゃなくて、演奏したいという衝動が常に音楽に向けられているとすれば、音楽が自分の全てというまでに等しい存在理由がその人になければジャズはできないんじゃないかって思うんですけどね。いわゆるニュージャズはどうなんですか。
菊地 日本のはね、失敗したなあって思うのが多いよね。俺はもう少しね、ミュージシァンとして音楽に於ける「静と動」の「静」についてもっと考えて欲しいんだ。連中の相手の音、こっちもそれ以上の音っていう単純なものじゃない。でてきた音楽なんて自分の責任を離れたところにあるといえばそれまでだけど、人間ってのは反射神経かある訳でしょう。そうすると聞こえるところでは反射するけど、聞こえないところでは反射しない、ではすごくいい加減だよ。耳栓して、自分の音のみに没入するというのは別だけど、反射ということを考えると一様に平均してなくてはいけないと思うんだよ。これはピーコックの説なんだけど、音楽にはトニックとドミナントしかないと言うんだ。ということは強と弱、陰と陽だよね。最も強いドミナントは何かっていうと静寂だっていうわけよ。静寂ってことを音楽で如何に対処するかってことが判んなきゃいけないって俺に言ってたけどね。俺もそれは何年も前から考えていることだけど、改めて言われるとギョっとする。だけどジョジョ(高柳昌行)なんか頑張ってる。そこで俺の持っているノーマルにすぎる考え方、それが俺の一つのコンプレックスになっているわけよ。それをどう解決するかはまだ判っていないわけよ。ある意味で当たり前のこと...なんてんだろうな...『イズ』聴いたでしょ? 話は違うけどさ。一から四まであれ、だんだんと音楽が凝縮していってるんですよね。すごい判るね、音楽家として。
杉田 ただサイドはどうなんですかね。
菊地 あれはあれでいいんじゃないの、別にさ。チック・コリアさ、個人を尊重しているわけよ。反射が鋭い人であれば彼にとっては誰れでもいいわけよ。
杉田 前衛的だとかニュージヤズ的だとかで云々するんじゃなくて、ピアノの持っているかなり制約された...。
菊地 ピアノじゃなくて音楽。結局、音楽の存在する過程とか、音楽の存在自体を、あれで表明したかったんじゃないかと思うんだ。だからあの前に一枚、何も人っていないレコードが入っていても構わないわけよ。すごい俺判って、感激したんだけどね。そりゃあね、そうじゃないかって感じるだけで、あくまで本当のころは判らない。正解とは言わないけど、傀達音楽家のおり方について、かなり正確に彼はあそこで言っていると思うんだよ。やっぱり凡人じゃないね。
杉田 そうですね。もう一つ僕が考えているのは、これは音楽の発生の時期に戻って考えてみると一番シンプルに考えられると思うんですけど、一般的に絶対視されているいわゆる音楽の三要素がありますね。果してあれが絶対かどうかという疑問、ハーモニィとかメロディの絶対視からは妙に制約のある、解放感のない音楽が随分あるような気がするんですね。“最初にジズムありき”という説の通りまずリズムが基本にあって、それに従属したところであとの二要素があるんじゃないかという考え方にもし立ったとしたら、限界の突破口のーつがそこに隠されているんじゃないかという仮説があるんです。
菊地 それ、判るんだけど、果してリズムとメロディとどっちが先かなんて、言えないでしょ。
杉田 でもしかしね。リズムのないハーモニィは厳密に考えた時、あり得ないでしょ。
菊地 ハーモニィは必ずリズムを合んでいるわけよ。
杉田 ええ、だからリズムの中にハーモニィもメロディも合んでいると考えるわけですよ。それを進めている音楽家、僕が向うで会った中ではデイブ・バレルとかサニー・マレーとか。ああいう人達がいま鋭角化し突出してきているのは必然的だと思うんですけど。
菊地 鋭角とかいうこと、俺、すごく難しいと思うんだけど。わりと音響の結果からそういう言葉が使われているんじゃないかと思うのよ。シンコペーションとか不協和音とかで前衛とか何んとかは言えないと思うんだけどね。
杉田 当然でしょ。フリー・インプロビゼーションとか不協和音とかを称して前衛なんて言えないでしょ。




菊地 ピーコックね、あの人わりとアドリブなんかがフリーなんだよね。いわゆるフリージャズっていうのはああいう形でもできるんだよね。ソニー・シャーロックなんかは前衛だと思わないしね。
杉田 ええ、『ブラック・ウーマン』聴いてがっかりしちゃいましたね。ああいう行き方も判るけど、シンプルというか...あれじゃあやっぱり満足できないですね、他にもいろいろあるんですからね。まあ、ともかくプーさん自身、リズムを中心に置いたさっきの仮説ね、そういう方法の導入があってもいいと思っているんですよ。
菊地 もちろん機会があれば自分でもやってみたいけど、だけどもっと俺には基本的で大切なことがいっぱい残っているのよ。だから今、そういうものを拒否している理由もすごく単純なわけよ。
杉田 なるほど。プーさんの他に日本人でジャズをやる必然性のある人っていうと、どんな人を挙げますか?
菊地 必然性というより資格ね。...難しいね、でも。いろんな条件があるからね。音楽というものを情念の世界のものとしてとらえるならそれはそれであるし、自分に破綻なくやっていけるかどうかっていうことは人間的な才能もあるだろうしさ。
杉田 今、プーさんが一番言いたいことって何ですか?
菊地 言い尽くしたね、ないよ。間題は俺自身だ。この頃、喋りすぎたし書きすぎた。俺、それほど言いたいこともないんだよ。このインタビュー終って、『ライト・ミュージック』の連載終ったら、一切喋るのも書くのも止めるよ。
杉田 じゃあ最後ですね。サダヲさんも同じこと言ったんですよ、僕がインクビューやった時。
菊地 本当にね。俺達にとっちゃ毒だよ.正論が判ったって何にもならないもの。それにさ、俺は...俺は駄目たんだ、正論しか吐けないんだよな...。
杉田 問題ですか、それが。コンプレックスとまで意識するほど。
菊地 結局さ、自分の音楽がこうあるべきだという、やっぱり理想になっちゃうわけよ。なんてのかなぁ...やっぱり音楽というのが力を失っちゃうわけよ。それをどう解決するかね...。俺、変ったよ。老いたっていえば老いたけどね。バランスってことをすぐ考えるようになったものね。それだけでなまぬるいって言う人も居るものね。でも、バランスってすごく大切だよ。チームワーク組むにしたってさ。地球だって太陽系のバランフで成りたっている...と、これはゲイリーの受け売りだけどさ。あの人とは直接に共鳴するということじゃなくて、勉強にすごくなった。
杉田 でも直接的に音楽に関係ない面というのも、結果的には音楽に出てくるということですからね。
菊地 そうなんだね。だから億、ゲイリーと一緒にやって、あの人の足、隨分引っぱったと思うんだ。...あの人はあまり白人ということを感じさせなかった...。
杉田 そういう話、聞いて思うのは、プーさんって何事にも、もちろん自己に対しても謙虚だってこと。
菊地 そういう言葉、嫌なんだ。つまりほめ言葉にもなる、けなし言葉にもなる。そういう意味あいを持たされるのは嫌なんだ。
杉田 謙虚ってことは音に対して忠実だってこと。即ち自己に対して忠実だってことをつくづく感じるからなんです。
菊地 音の恐しさを良く知っているからね。そうでないとすると音が意味を持ってこなくなるしね、いや、それくらい無責任になりたいわけよ。
杉田 無責任ってことは、結局、自分目身と音とを突き放すことですか?
菊地 そう。一つの運動の過程の中での一つのアクシデント、アクシデントでおかしければイベント。それでもって考えたいわけよ俺は、いま。
杉田 僕は演奏家じゃないからはっきり判らないんだけど、演奏している時の状態っていうのは、これは全く想像になっちゃうんですけど、弾いている自分を見ている自分、そしてそれ全体を見られている自分、見られているということをまた見ている自分という方向性はありますか?
菊地 見なくちゃいけないんだけど、ところが俺、見ている余裕がないんだ。それ、俺、よくないんだ。恐らく日本人のプレイヤーには少いんじゃない。見られているという意識は良くない。見ているというところまでいかなくては。それだけの余裕をつけるのは並の勉強じゃ駄目だよ。
杉田 弾きながら声を出したりしてますね。
菊地 あれ駄目だ。自然と出ちゃうんだけど力の入れ具合いが結局まだ出来てない証拠なんだ。ソニー・ロリンズなんかみると、すごい腹式呼吸しているよね。俺は駄目だ。バランスが全然とれてないんだもの。
(1970.4.19 菊地宅)



菊地 音楽する入間そのもの、音を出す前のその人となり、思想とか哲学とか思念とかそういうものを押し込めちゃったところで音楽やれるわけがないし、かといって、そういうものを意図するのもおかしいと思うしね...日本って国、俺、大嫌いなんだ。安保もどうなるんだろうね。...よく「うたを取り戻そう」って言うよね。とり戻そうっていってもそのうたが原始のうたなのか、まあ、もちろんそうなんだろうけど、でも原始のうたもさ、ヨーロッパなんかでは金持ちの享楽のものになっていっちゃったわけでしょ。それは音楽が自分でそういう所へ行っちゃったわけだ。音楽ってもの、そういうものでいいんだろうか...判んないのよ...。俺は音楽やる場合にはただ真摯に忠実にやっているだけだしね。判んないのよ...変に自分があるがままでいいなんてことになったら、これ、私小説家と同じじゃない。...今、民族主義について原稿書いているところなんだけど、判んないのよ俺には...本当のところなんて。ものすごい今日は俺、嫌だ。(1970.5.31 マネージャー宅)



菊地 ツー・ドラムは失敗たったという人居るんだけど、そうは思わないんだけどね。失敗とかそういうこと云々する段階じゃないと思うんだ。それは初めからみんなが、一人前のプロ・ミュージシアンであればうまくいくだろうけど、俺でさえ一人前のミュージシアンかどうか判らない。今、ゲイリーとやったレコード聴いてたんだけど、前はいいと思ってたんだけど、ものすごくアラが目立つじゃない。自分の悪いとこ、また判って、ガックリきてたとこへあなたが来たのよ。少し嬉しくなってきたな。俺、気持ちの荒れが激しいからね。
杉田 失敗だったなんて決論を果して誰が下せるの。
菊地 俺の進歩の上で、俺が下すしかないわけよ。結局は。他の人がいい悪いっていっても俺には何にもなんないしね。むしろはっきり否定してくれた場合の方が...でもその否定してくれた場合でもさ、結局、俺を説得するだけの批評の内容じゃなきゃなんない。
杉田 今のメンバー構成にいくまでの試行錯誤がいろいろあっての上なんですから、やるだけやらなくちゃ、まだ。
菊地 結果としてツー・ピアノ、ツー・ドラムということになっちゃって、その辺にみんな意味を求めたがるのよ。電気ピアノを入れたというのはさ、俺、弟が欲しかったからね。弟というのは、出できた音楽がどうのこうのというんじゃなくて、いわゆる資質として、すごい日本人離れしているのね。俺はさ、その資質という面では悪さとしての日本人のそれを持っていると思うわけ。ハーモニィの発展とか...まあ、ハーモニィがなくなる時代が来るかもしれないし、またそれが本当かも知れないけど、今のジャズに於いてはハーモニィという問題をまだまだ抱えているし、そのハーモニィの上で弟はすごいなにか、より広々とした和音を侍っている。洋々としたものを持っているピアニストは日本じゃ少いからね。ほとんど居ないといってもいいんじゃないかなあ。わりと観念的ないわゆるブルース・フィーリング、ラムゼイ・ルイスとかああいうものじゃなくてね、例えばまあ、はっきり言えばラリー・ヤングが持っているブルース・フィーリングというものを特っている日本入は少いわけでしょ。それを弟は持っているし、それが欲しかったわけよ。自分でも影響されたいしね。すごく。なんていうのかな、傀は自分では理論家だと思ってないけど、人は理論家だと言うし、もし理論家であるとすれば、それが一つの弱点にもなると思うし。そういう意味でも欲しかったんだ。峰(厚介)はね、康晴しい素質を特っているよね。素直だしね。ドラムの二台は、いろいろ言われるけど、まずダイナミックさが出せると思うし、いわゆるフィリー・ジョー・ジョーンズだとかトニー・ウィリアムスとかの前半のセンシティブなリズムというのがあるでしょ。オール・アメリカンって言われたようなね、ああいうリズムじゃ既になくなってきちゃっているのよね。ものすごく前進してさ、力強いリズムに変ってきてると思うんだよね。力強いということは決して粗いということじゃなくてね。そういうリズムを俺は欲しいしね。でもどうしても日本人ってのはフオー・ビートをたたき出すってことに於いて、確かに白くなると思うんだよね。傀達の場合でも応々にしてお互いに白くなってきているような所があるからね。それは結局二人の力の関係もあるだろうし、バランスの問題もあるだろうし、俺に起因することもあるだろうし、だけどそれはね、アイディアと言ったらすごく軽々しく聞こえるけれど、今までにないアンサンブルができると思っているんだよね。俺の考え、間違ってないと思うけど。弟が創った「パズルジング」っていう曲、まあ、単純明解であるけどさ、何かやっぱり新しいアンサンブル、それに踏み込むことができたという感じがするんだけどなあ。それから例えばアルトと電気ピアノというユニゾンで生れる一つの独特のサウンドね、それも欲しかったしね。結局、アルトと電気ピアノというサウンドは明かるくなって、わりと繊細な音になっちゃうけど、逆に今度、そこに本当のブルース・フィーリングがないとかえってそのサウンドは浮き上ってきちゃうだろうしさ、それはまた、逆の意味で戒めにもなるだろうしさ。それから池田(芳夫)君を選んだっていうのは、いろいろ不満はあるけど、あれだけ音をとってくれるベースは今のところ日本にはいないからね。リズムとかいろいろ総合点ということはあるんだけど、俺の場合は音がすごく気になるし、一緒にやっていて、やっぱりちゃんとこっちのサウンドを理解してくれた上で弾いてくれないと気になっちゃうし...それはもう、みんないろんな問題を抱えているわけじゃない? で、お金をとる以上は時間がかかるからもう少し待てというわけにはいかんでしょ。それならお金をとらないかといえばそうもいかない。

 

杉田 完成度という面でプーさんのコンボよりレベルが高い所っていっても、そんなにないでしょ?
菊地 いや、だからね、完成度というより、結局、俺としてはね、俺の望む音、納得のいくサウンドを欲しいしね。ある意味では完成度を要求しているのかも知れないけどもね。もっと違うと思うんだなあ...。日本の場合の完成度っていうのはスタート・ラインにならぶということだと思うんだな。俺は果してそのスタート・ラインに並んだのかどうかだって全然判んないのよ。時々、調子かいい時っていうのかなあ、自分の気持ちかわりと陽気なとぎなんか、俺はスタート・ラインに並べたのかなと考えるけど、ちょっとまずいとさあ、ああ、駄目なんだと、こうなっちゃうわけよ。本当はリーダーがこうじゃまずいんだけどさ(笑)。だからねえ、それは結局、自分のうた不足だと思うんだよね。それが本当にもうどうしても必要欠くべからざるものであるんならさ、どうあってもさ、それが出てくるのが当然でしょう。
杉田 もうプーさんとは随分話し合ってきたけど、常に完璧性を追い求めているという姿勢は終始感じますね。
菊地 それは関係ないんだ。
杉田 いや、
菊地 知ってるんだ、俺は。
杉田 ところが同時にそれに対する不審感も強くある。その五分五分の自分を常に見据えているんですね。
菊地 それはかなりフラフラしているんじゃないかな。ちょっとこっちいったら、
杉田 いや、そんなはずはない。
菊地 完成って...絶対っていうのかな、それを上廻るだけの音楽的必然性があるといったら、それも判んないしな...。なんか俺、いい加減な人だと思うよ。それはあなたが買いかぶりだよ。
杉田 聴き手からみれば恐しいことにね、あるんですよ。聴いていていつもそういう感じがするんですけどね。
菊地 ........そしたら、また何か新しい問題持ち込まれたなあ.....。
杉田 理論が絶対じゃないってことも、見据えていますね。
菊地 いや、そうじゃなくてさ、そんなんじゃないんだ。これからの自分の問題をやっていく上の最も簡単な方法は理論だからね。判らない何かをつかむというときにね。別に理論のために時間をつぶすということはないし、理論に徹するという場合はそこに何か目的があるじゃない。それはさあ、達せられない目的なんだろうけど、それに到達する間に必ず矛盾があるでしょ。その矛盾をはいして、不毛の努力だよね。一つ一つの矛盾にどう対抗していくかだよね、生きている間はやっぱり問題になってくるものね。こんなこと言うと、すでに自己弁護風になっちゃうけどさ、それと並んで俺に今、ものすごく必要なのはまず錬磨だよね。正当化するようだけど、いま少しね、錬磨だけを考えて、いわゆる身体の運動だけを考える音楽をね、やってみようと思ってんだ。その点、若い奴はいいよ、いいにつけ悪いにつけ余り考えないでしょ。日本人の体質が変ってきたと忌うんだ。自分のアクションだけが開題になっていてね。俺、少しそういう音楽をやってみようと思ってんだよ。そうじゃないといつまでたっても俺、自分の音楽を好きになれないんじゃないかと思うんだよ。別にナルシストになりたいとかそういうことじゃなくてさ。
杉田 徹し切れますかね、プーさんが。
菊地徹 しなぎや駄目じゃないかな、傀。
杉田 だけど徹し切れないんじゃないかなあ、プーさんって。
菊地 いや、俺は徹するよ。
杉田 (笑)では期待するとして、でも過去に一つのことに徹することはなかったんじゃないですか。
菊地 なかったよね。...精神分裂かな?
杉田 いや、精神分裂なんて(笑)。つまりあり得ないと思うんだな、そういう形で徹するということは。
菊地 だけど羨しいよ。
杉田 プーさんが何かに徹したとすると必ず、またさっきの矛盾がうっ積する。
菊地 だけどそうなったら音楽が嫌いになっているということが目に見えちゃうでしょ。しょ。そしたら段々、音楽が恐くなっちゃう。音楽やめるより他、なくなっちゃう。それで今から変えても判っちゃう。それじゃつまんないよー。俺、音楽家になりたいんだなあ。やっぱり音楽がないと駄目なんだなあ。
杉田 音楽が人間の生の全てではないとおっしゃっていたでしょ。
菊地 だからむしろ、そういう意味で音楽家になりたいんだ、俺。あらゆる意味でプロとしての。俺にとって音楽っていうものがそれほど大事かどうか、よく判んないんだけどね。でもさ、意外と皆は判っているんじゃないのかね、俺、一人が悶々としているだけで。どう思う?
(1970.6.6 菊地宅)



杉田 プーさんってのは結局非転向なんだな。
菊地 だけど、それは直接俺の特性にはならないでしょう。たとえば、明日にでもものすごい音楽的なショックを受けるようなことがあれば変わっちゃうかも知れない。それを、あなたが僕の美点だなんて思ってるんだったら、俺すごく寂しいよ。
杉田 別に美点だなんて思いませんが、まあザッと日本のミュージシァンを見渡してみてみると、殆んどが転向癖をもってる。いわゆる戦闘的だなんていわれてる人を含めて、
菊地 戦闘的だっていえる人がいる?
杉田 厳密には、いないですね。
菊地 いないと思うんだな。例えば、フリーク・トーンを使ったからって戦闘だとか、セシル・テイラーみたいに弾いたからって戦闘的だなんていえないと思うんだ。戦闘的だということを打ち出せる音楽家がいないんじゃないかな。
杉田 結局、そういうことにつきます。
菊地 戦闘的っていうのは、やっぱりある程度音楽家としての才質に富んでいる人じゃないと無理だと思うんだよね。たとえば、エイビー・リンカーンの『ウィ・インシスト』だったっけ、あれだって戦闘的っていえるかどうか判んないもん。あれはいわゆるニグロの特質でしょ。それで、たまたま戦闘的なものをとると楽じゃなくなっちゃう場合が多いでしょ。結局、音楽のレベルが下がっちゃってさ、戦闘的なものだけが浮き上がっちゃう場合が多いでしょ。戦闘的ってこと、すごい難しいことだと思う。
杉田 少しもどりますけど、さびしいっていうと、
菊地 いや、それでもって特質とするんだったらさ...。わりと人間っていうのは、頑固でいたいんじゃない?
杉田 非転向っていうのは、頑固っていうことじゃないですよ。ジャズの歴史がスタイルの変遷で系統樹的にとらえられていて、スタイルが変わればコロコロ変って流されていく。ところが、プーさんはあくまでもジャズのルーツに深く根ざしつつ、そのルーツを同時に創っていくという作業が、
菊地 転向するしないっていうのは、今まで生きてきた自分というものを全く否定し得るかどうかってことにかかわるわけだ。やっぱり俺はできないもんね。俺はやっぱり、一応自分じゃ多少の後悔っていうのはあるけど、後めたさっていうものはないもんね。結局、そういう後めたさを感じれば、すごい嫌悪感を感しるでしょ。音楽上に生きてきたことに対してだって、俺は嫌悪感感じないしね。転向するしないっていっても、根本にくるのは今までの自分を否定っていうことよりも、もっとすごい侮辱的意味を持っていると思うんだよね。俺は自分の過去を侮辱的に見られるほど前衛じゃないしね。人間がね、すごい逆にいえば、浮薄な人間でもないしね。それしかいえないんじゃないかな。だから、俺がこれから転向するしないってことは、自分を完全に否定し得るか、すごい浮薄な人間になりきるか、どっちかしかないと思うんだ。それは俺の切なる訴えよ。
杉田 プーさん自身が、プーさんの音楽に逆に見られている。プーさんの「うた」から見つめられているプーさんを感じることがあるでしょう?
菊地 ある。
杉田 その時の自分っていうのは、「うた」をうたった自分とちょっと離れると思うんですよね。恐いと思いませんか?
菊地 思うね。
杉田 眼差を感じれば感じるほど、止揚といったらオーバーかもしれないけど、次にうたう時は乗り越えざるを得ないわけでしょう。ブーさんの長い演奏活動の流れの中で、今がその眼差を明確に意識してきている時だと思う。それが契機の一つになるんじゃないかな。
菊地 サダヲちゃんが言っている八十%は力いっぱいやっても、残り二〇%は醒めてるってことと関係してくると思うんだ。最近の俺は、プレーしてて非常に批判的、というより否定的なんだよね。この間も、全く関係ない音が出てきたりしてね、がく然とするわけよ。視線があることを惑じていても、視線とのギャップっていうのがあるでしよう。それはなくなる方がいいと思う。そのギャップは不調とか好調とかってことよりも、もっと款えないというような問題になっちゃうと思う。ギャップをなくしたいな。
杉田 理論からふっ切れたいという願いと、そこら辺が結びついてくるわけですね。
菊地 そうだね。
杉田 アナーキィなんですね。革命性とエロスを同時に内包しているんだな。
菊地 ところがね、葛藤があるわけよ、俺は。音楽はエロスな世界だよね。でもそれが勝ってもまずいわけよ。バランスが間題なんだよね。革合性が勝つと、すごく自分で寂しくなってくるんだな。そんな時の寂漠感はたまんないよ。それはスイングしててもそうなんだ。エロスの世界でもっても、視線と自分とにギャップを感じない時は本当に幸せだよ。それはミュージシァンの特権だね。そういう時、俺、ミュージシァンになって本当によかったと思うよ。
杉田 目標にしている人は?
菊地 バランスがとれているとか、完成されているっていう意味ではデューク・エリントンが一番好きだね。いろいろ嫌なところもあるけどさ、音楽的にみてね...。俺、さっきマイルス・デビス聴いてたんだけど、イライラしてきちゃうんだよね。
杉田 デビスっていうのはアンバランスな独特な美学?
菊地 聴いていて音楽的な焦りを感じるんだな、マイルスには。エリントンのピアノ聴いていて感じられる茫洋とした平和は感じられない。
杉田 ピアノでは? 菊地 エリントン、ファッツ・ワーラーいいね。ガーナーもいい時なんてのはご気嫌だね。テータムも尊敬するけど密接には感じない。あらゆる意味で完璧だもの。俺、完璧なものを嫌うじゃない。
(1970.6.21 青山「レオス」)

杉田誠一
杉田誠一:
1945年4月、新潟県新発田市生まれ。
1965年5月、月刊『ジャズ』、
1999年11月、『Out there』をそれぞれ創刊。
2006年12月、横浜市白楽に
cafe bar Bitches Brew for hipsters onlyを開く。
http://hakuraku-bb.tumblr.com/
著書に『ジャズ幻視行』『ジャズ&ジャズ』
『ぼくのジャズ感情旅行』。
http://www.k5.dion.ne.jp/~sugita/cafe&bar.html
及川公生のちょっといい音空間見つけた >>

♪ Live Information
open 7:00pm/show 8:00pm

10/23 Sun 鈴木公二(ts)
10/28 Fri BUL松原(vo) 橋本けんいち(p)
10/29 Sat 杉田誠一vs●●●●
(中止となりました)
11/2 Wed 竹内 直(ts,fl,b-cl)
11/4 Fri 大由鬼山(尺八)
11/5 Sat 相沢史郎 vs 杉田誠一
犬音まり子(vo) 大由鬼山(尺八)
11/6 Sun 鈴木公二(ts)
11/12 Sat 黒崎 隆(ds)“ジャム・セッション”
11/13 Sun 鈴木公二(ts)
11/18 Fri 福田みすず(poetry reading)
“モチ・ラボ”望月 孝(g)他
11/20 Sun 鈴木公二(ts)
11/25 Fri 竹内 直(reeds)
11/27 Sun 鈴木公二(ts)
2012:
1/11Wed〜
17Thr

竹内 直(ts,fl,b-cl)

問)Btches Brew 090-8343-5621(杉田)
http://hakuraku-bb.tumblr.com/
http://www.facebook.com/Hakuraku.BB

JAZZ TOKYO
WEB shoppingJT jungle tomato

FIVE by FIVE 注目の新譜


NEW1.31 '16

追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)

オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)

INTERVIEW
#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義

CONCERT/LIVE REPORT
#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
#875「ノーマ・ウィンストン・トリオ」神野秀雄


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