Vol.60 | 人種差別・人間差別考

text by Masahiko YUH

 前回、映画『大統領の執事の涙』の中で、触れたいと思いながらスペースがなかったために機会をあらためようと思った話から始めることにしたい。
 それは、黙々と職務に従事している執事のセシル・ゲインズが仕事から解放されて寛いでいる夜の食卓の席で、長男のルイスと偉大な黒人映画俳優シドニー・ポワチエ(1927〜)をめぐって激しく言い争う場面。
 シドニー・ポワチエといえば、「手錠のままの脱獄」、「招かれざる客」や「ポーギーとベス」、いや何といっても「野のユリ」で黒人俳優として初のアカデミー主演男優賞、及びゴールデン・グローブ主演男優賞に輝いた人である。彼がアカデミー賞を受賞した63年といえば、非暴力で運動を展開したキング牧師が主導するワシントン大行進(Freedom March)が挙行された年であり、人種差別の闘いや公民権運動が最高潮に達しようとしていた矢先のことだった。父セシルと息子の意見が対立したのは、ポワチエが主演した映画「夜の大捜査線」(67年)の話題をめぐって始まった会話の中での、俳優ポワチエについての評価であった。ポワチエを賞賛する父セシルに対し、反対に長男のルイスがポワチエを槍玉にあげて軽蔑の言葉を吐く場面だ。映画では北部出身の黒人刑事ティッブスが、人種的偏見が根深い南部で犯罪捜査に情熱を注ぐ。そのポワチエを「黒人の誇りだ」というセシルに向かって、ルイスが「白人が自分たちの好みに合うように作り変えた理想的黒人の姿だ」と言い返すこの場面は、白人支配体制の社会の中で順応しながら自分の居場所を見つけて生きていこうとする黒人と、あくまでも正義を振りかざし、人間としての真の自由を求めて闘う道を選んだルイスに代表される先鋭的な若い黒人とが、この時代、もはや手を携えながら人間としての権利奪回に向かって共同歩調をとることが不可能になったことを示しだす。
 1927年生まれのポワチエは当時唯一の黒人映画俳優だったというわけではないが、少なくとも名のある黒人俳優として孤軍奮闘する中で、黒人社会と黒人文化のレベルアップに大きな貢献を果たした偉大な存在だったことは間違いない。「映画スタジオの中には当時、黒人は私1人しかいなかった」と当時を振り返って語ったことがあるほど、当時の映画界はクラシック音楽界同様に白人一色といっていいほどだっだ。『大統領の執事の涙』で話題にのぼったもう1人の黒人スター、ジャッキー・ロビンソンにも、あるいはシベリウスやトスカニーニから100年に1度の声と称賛されたマリアン・アンダーソンにも同じことがいえる。ロビンソンはメジャーリーグと契約した初の黒人大リーガーで、その歴史に名を刻んだ名選手だった。彼は1947年4月15日に大リーグ・デビューしたが、昨年公開された映画『42〜世界を変えた男〜』に詳しく描写されているそうだ(42は当時の彼の背番号で、向井万起男氏のエッセーによると現在は大リーグの全球団で永久欠番となっているそうだ)。 

 前回ご紹介したルイ・アームストロング(DVD映像『サッチモは世界を廻る』、TV映像の『オペレーション・エンターテインメント』)とて例外ではない。とはいっても、ルイ・アームストロングが、ポワチエやロビンソンのように孤軍奮闘した存在だったというわけではない。なぜか。それはアフリカン・アメリカン(黒人)が創始したブルースやジャズなどの黒人音楽が、もともとブラック・コミュニティで誕生して発展し、やがてこれらの音楽の真価と絶大な魅力を見出した白人音楽家を巻き込んで全米各地に広がっていったからだ。
 ニューオリンズでジャズが誕生しつつあったころ、そこで指導的な力を発揮したのがクリオール(黒人とフランス・スペイン系の白人との混血)という特権階級の黒人で、ジャズ史上に最初に登場するジェリー・ロール・モートンやシドニー・ベシェといった巨人や、アルバート・ニコラスやキッド・オリーら初期の著名なミュージシャンたちがクリオールの代表的な人々だったと知れば合点がいくはずだ。彼らはいわばニューオリンズでは白人的な存在だった。このクリオールが没落階級となるのは皮肉にも1863年の「奴隷解放令」がきっかけだが、19世紀末にニューオリンズで発布された、白人的立場のクリオールも一般黒人と同様に扱われるべしという条例が決定的だった。
 中でも「分離すれども平等」という条例が施行されるや、カトリックのクリオールと彼らがむしろ差別していたプロテスタント派の一般黒人とが肩を並べて生活することになった。ジャズはこうした状況を背景にして生まれたのだ。かくしてこのニューオリンズのストーリーヴィル(遊郭地、紅灯街)などでの演奏で注目を集めるようになったミュージシャンたちがジャズを育んだのである。アームストロングが登場したのはこうした中でのこと。キング・オリヴァーに目をかけられ、数年後にはOK吹込やフレッチャー・ヘンダーソン楽団の花形ソロイストとなって脚光を集め、ジャズ史に輝く活躍をほしいままにした彼だが、同じスターでもたった1人で道を切り開いたポワチエやロビンソンと同一視できないのは、以上に説明した理由による。
 話をポワチエをめぐる父セシルと長男ルイスの意見が対立した場面に戻そう。このときもし話題がシドニー・ポワチエではなくルイ・アームストロングだったらどうだったろうか。ブラック・パンサー党の急進的な考え方に共鳴していったルイスのことだから、白人聴衆を笑わせたり楽しませたりしながら最良の芸を披露するサッチモに対しても、恐らくポワチエのときと同様の辛辣な言葉を浴びせたに違いない。確かに、ジャズが一部の白人立ちの心をとらえるようになり、その魅力の虜になった彼らが黒人演奏家たちの芸や音楽を楽しむことができるような、そうした娯楽の場が幾つかの都市に次々と生まれるようになった1920年代から30年代にかけて、黒人演奏家やエンターテイナーが白人聴衆に媚を売ったり、少なくとも黒人差別が日常だった時代に差別への抗議を隠したまま、むしろ白人社会に迎合するように見える態度をとったことは否定できないだろう。

 だが、たとえば劇中でセシルを演じたフォレスト・ウィテカーは言う。ちなみに、彼はクリント・イーストウッドが監督した映画『バード』(88年)でチャーリー・パーカーを演じ、カンヌ映画祭で最優秀男優賞に輝いた人である。「ルイ・アームストロングのような人たちは一時期白人にへつらう黒人と見なされていた。でも彼ら以前には、アフリカ系アメリカ人はきちんとした会場で演技や演奏すらすらできなかったし、入ることもできない部屋があった。黒人が認められていなかったからだ。彼らは他の人たちが歩いていけるように、それまで歩めなかった道を歩んで(切り開いて)いった行動者たちだった。ジャングルを進むとき、目の前に立ちはだかるつる草には鎌を使うだろう。つる草を切り払った人たちがいたからこそ、あとに続く人間はその道を舗装し、前に進むことができるんだ」(プログラムより)。
 アームストロングやポワチエが先駆者として果たした功績を、黒人側から評価した場合、これ以上の賛辞はないといってもよい。穏健とか急進といった概念を超えたスタンダードな評価であり賛辞だ。少なくとも、アームストロングは白人の聴衆と黒人の聴衆とを区別したり、演奏する態度を変えたりしたミュージシャンではない。観客の前ではエンターテイナーに徹して振る舞った演奏家だ。もし彼が黒人であることを恥じたり、白人にはおもねったりする演奏家だったら、たとえば肌の色が黒いことを嘆いて悲哀を味わう気持を歌うアンディ・ラザフの詞にファッツ・ウォーラーが作曲し、ミュージカル「ホット・チョコレート」(29年)に挿入した<Black and Blue>などの歌を十八番にすることなどはなかったろう。ご紹介した『サッチモは世界を廻る』の中でも歌っているルイのこの名唱にぜひ触れて欲しい。
 <Black and Blue>はルイ・アームストロングの最高傑作の1つ、『サッチモ・アット・シンフォニー・ホール』(デッカ)に聴ける。この中に私の好きな<Stars Fell on Alabama/星降るアラバマ>もある。アラバマは満天の星がよほど美しいところなのだろう。そのアラバマが黒人差別の最も激烈なところだったとは何という皮肉だろうか。アラバマは奴隷制度によって成り立っていた南部諸州の中でも特に黒人人口が多い州であり、人種差別主義者として知られるウォレス知事が君臨したこともあって、黒人を差別する数々の法律化が推し進められたところだ。学校では白人と黒人を別々に教育することに始まり、交通機関やホテル、レストランや教会など、あらゆる場所や施設で両人種の差別が徹底化された。55年のバス・ボイコット事件が有名だが、翌56年にはアラバマ大学に1人の黒人女子学生が法廷闘争に勝って登校したことでますます露骨な差別が行われるようになった。そのためにキング牧師など多くの黒人指導者が輩出したのもアラバマなら、KKK、白バラ騎士団、黒十字騎士団などの白人結社が黒人への暴力をエスカレートさせるようになったのもアラバマだった。あの巨人ジョン・コルトレーンが「アラバマ」を沈痛な表情で演奏したのも、同州バーミンガムで起こった教会爆破事件のために命を落とした少女たちへの哀悼ゆえだった。映画『大統領の〜』でルイスら若い黒人活動家を乗せたバスにKKKの一団が凶器を手に襲いかかった凄まじい光景には前回触れたが、忘れかけていたそのむごたらしいシーンをありありと思い出させる封切り間もない映画を見て、私はしばし考え込んだ。昨2013年の米サンダンス映画祭で作品賞と観客賞に輝いた「フルートベール駅で(原題 Fruitvale Station)」という作品だ。
 一般市民の黒人青年がサンフランシスコ湾岸を走る電車の中でやくざ風の白人男性に因縁をつけられて喧嘩沙汰となり、オークランドに近いフルートベールという駅で仲間ともども降りたとたん、数人の警官に激しい暴行を受け、抗議をする丸腰の黒人青年に向かって若い白人警官がピストルを放つ。5年前の元旦、実際に起こった事件を青年と同じ歳の新鋭ライアン・クーグラー監督が自ら脚本を書いて映画化した。オスカー・グラント(俳優はマイケル・B・ジョーダン)というこの青年は理不尽な警官の発砲であたら22歳の生涯を終えることになったが、クーグラーはこの青年の元日というたった1日を物語に仕立て上げ、彼の命が余りにも軽く扱われたことへの抗議を静かににじませた作りで観客の心を捉える。これがデビュー作とは思えない黒人監督の、物語を展開する手際の良さ、3歳の娘を含む青年の家族、とりわけ母親の豊かな表情と言葉遣いなどへの温かな眼差しがすこぶる印象的な新作映画だった。
 だが、青年のこの物語を紹介するのが実は本意ではない。5年前と言えば2009年。ついこの間の出来事だ。22歳といえば、彼の人生はまさにこれからだったはずだ。劇中で誰一人として人種差別反対などと叫んだりしているわけでもない。こういう現実がこの国にはあり、その中で青年の豊かな半生が失われたことを自らの胸にたたんでおくことを静かに語って閉じる1時間半は、終わってみると実に重い。まるで人間の根深い業、人種差別や人間差別が永遠に解決されることはないと思わずにはいられない人間の愚かさ、人間の心の闇がいかに底のない果てへ広がっていることか、と暗澹たる思いに襲われてしばらく席を立てなかった。

 それにしても、電車内で騒ぎを起こしたもう一方の白人には何の咎め立てもなく、数人の白人警官がオスカーら数人の黒人青年に警棒を振り回して襲いかかる光景は、私には『大統領の〜』の中でKKK集団が黒人青年グループを乗せたバスを襲撃する陰惨なシーンとダブってみえて仕方がない。
 前回、私は人種差別が米国だけに起こった問題ではなく、この日本でもヘイトスピーチ、サッカーJ1浦和のサポーターによる外国人を閉め出そうとした横断幕事件、あるいは入国管理局職員による手荒くも理不尽な扱いでガーナ人男性を死に至らしめた事件を例にあげて、人間が他の人間を差別する事例が現にしばしば顔を出していることを指摘した。近年、ヨーロッパでも、特にフランス、イタリア、オランダなどで顕著な現象としてクローズアップされている事例。すなわち、右翼政党による移民(アフリカの人々)を標的にした排斥運動などもそうした典型的な例といってよい。オランダの右翼政党、自由党党首が自国に押し寄せるモロッコ人を槍玉に挙げて、イスラム排斥を推し進める政策をぶち上げたとたん支持率が急落したという報道に接して、人間も捨てたものじゃないと意を強くしたものだ。
 ところで、映画『大統領の執事の涙』のプログラムに寄せて映画評論家・町山智浩氏が書いている。この映画はアメリカ史を暴いてみせるが、それは『フォレスト・ガンプ』が逆に隠し通したものだった、と。さらに続ける。「アメリカの近代史を2時間で勉強するには便利(な映画)だ。筆者が14歳の娘を連れてきたのも、同じ理由だ」、と。その次のくだりを読んだとたん私は我にかえった。「広い客層を集めて『大統領の執事の涙』はアメリカで大ヒットした。マスコミはこれを国民的名作とされる『フォレスト・ガンプ/一期一会』の黒人版であると評した」ーーーそうか。そうだったか。
 私もアカデミー賞の作品賞に輝いたこの映画には感銘を受けたことを今でもよく覚えている。『フォレスト・ガンプ/Forrest Gump』(’94年。ロバート・ゼメキス監督)は、実はアラバマのとある町に住むフォレスト・ガンプ(トム・ハンクス)という男の物語だ。なぜ『大統領の〜』を見終わったとき、『フォレスト・ガンプ』を思い出さなかったのだろう。1つには『フォレスト〜』ではアラバマとか人種差別などは底に沈殿していて表に現れてこなかったからとしか考えられない。そういえばウォレス知事も登場するし、ケネディやジョンソンら大統領も顔を出す。主人公のガンプが軍隊に入ってバッパという黒人と仲良くなるエピソードも出てくる。極めつきはガンプがアラバマ大学の学生だったことと、大学ではフットボールに夢中になったこと。そして、彼がヴェトナム戦争で戦場を駆け回っていたころ恋人のジェニーがブラック・パンサー党の一員となって反戦活動に没頭していたこと、だろうか。しかし『フォレスト・ガンプ』には人種差別とか、黒人側から見たアラバマの日常の、たとえば血の匂いがする殺伐とした風景などはどこにもない。指摘されて初めて、なるほど『大統領の〜』は『フォレスト・ガンプ』の黒人版であるという見方に納得した。また、ガンプ(Gump)とは「間抜け」とか「馬鹿者」といった意味の、アラバマ州独特の方言だという。ガンプは障害を持って生まれた男であり、映画がいじめや発達障害を扱っていて、それに目を奪われたせいかもしれない。黒人差別が全米で最も激しかったアラバマの陰の部分が『フォレスト・ガンプ』ではまったく現れてこなかったからでもあろうか。好意的に解釈するなら、もしストーリーに黒人差別の問題が加わったりすればフォレスト・ガンプの生き方や監督の狙いそのものが焦点ぼけする恐れは避けられない。ゼメキス監督が人種差別にまったく関心がなかったわけでは決してないのだ。
 改めて思う。60年代がいかに血塗られた時代だったか。「日本の<黄金時代>だった60年代」(小熊英二)が、他の国々では多数派に対するマイノリティ(少数派)の抵抗が激しさを増すなど、騒然とした世相を写し出した時代だった。とりわけ人種問題で揺れ動く米国では、公民権運動をめぐる黒人たちの闘いが63年の自由大行進を経てクライマックスを迎え、人種差別撤廃に向けた黒人たちによる都市暴動が頻発するようになった。そんな中で64年にはケネディ大統領が暗殺された(その直後に公民権法が議会を通った)。
 64年といえば、南アフリカの悪名高い人種隔離政策、アパルトヘイトに対する闘いが激化しはじめたころに当たる。この闘いの先頭に立って民衆を鼓舞したのがネルソン・マンデラだった。そのマンデラが国家反逆罪で終身刑を宣告されて監獄に収監されたのが64年。世界の声に後押しされる形で27年間に及ぶ獄中生活から釈放されたマンデラが、90年2月11日の日曜日、ケープタウンの刑務所からウィニー夫人と手をつないで出所してくる映像に世界中の目が釘付けになったことは、今なお忘れられない。世界中がノーベル平和賞(93年)、ユネスコ平和賞、サハロフ賞でこの鉄人を称えた。94年には第8代大統領にまで選出されたマンデラだったが、高齢には勝てず99年に政界を退いた。彼が世を去ったのは昨年(2013年)12月5日。追悼式には世界80カ国以上の首脳が南アの式場に集い、故人を称え悼んだ。疑いなくネルソン・マンデラはキング牧師ら黒人解放闘争に命を捧げたアメリカの偉大な運動家とともに、文字通り命をかけて60年代を闘った稀有な偉人として永遠に記憶されるに違いない。

*恥ずべき人種差別(人間差別)〜前編
http://www.jazztokyo.com/column/editrial01/v59_index.html

悠 雅彦

悠 雅彦(ゆう・まさひこ)
1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、朝日新聞などに寄稿する他、ジャズ講座の講師を務める。 共著「ジャズCDの名盤」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽之友社)他。本誌主幹。

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FIVE by FIVE 注目の新譜


NEW1.31 '16

追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)

オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)

INTERVIEW
#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義

CONCERT/LIVE REPORT
#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
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