MONTHRY EDITORIAL02

Vol.61 「追悼 三善晃氏のこと」   text by Mariko OKAYAMA

「三善晃作品展」2008年10月18、19日@東京オペラシティコンサートホール控え室にて(撮影/林喜代種)         

 作曲家の三善晃氏が亡くなった。氏についての作品論や作家論は2冊の本にしているので、ここでは思いつくままに、個人的なことごとを書かせていただく。

 氏をはじめてお見かけしたのは、桐朋音大の学生ホール前の廊下で、周囲をピシリと遮断する透明なガラスに全体を囲まれているような、近寄りがたさがあった。その近寄りがたい方が、アナリーゼのクラスに現れたとき、それが三善晃という作曲家だと知った。大学2年生のときのことで、その場にいた作曲と音楽学専攻の受講生は6名ほど。「僕はそのとき、自分が感動をもって語れる言葉しか、皆さんには語れません。」と氏は言い、私はその言葉と居ずまいの美しさに劇しく打たれ、極度に緊張した。繊細に選び抜かれた言葉で、たとえばショパンの音楽がどうできているかを分析してみせる。音楽とは、こういうものだったのか、と、眼前に開かれる世界に私はひたすら驚嘆した。当時、私は小倉朗、石桁真礼生、八村義夫といった作曲家たちのクラスにも出ており、そのひとりひとりの独特な個性をたっぷり浴びていたが、三善氏のそれは、突出したものだった。たとえ大学の授業の一つでも、一言一言に命がけ、といった痛切さがあり、それは氏の音と見事に照応するものだった。『ソプラノとオーケストラのための決闘』に、私はそういう氏の姿を見た。
 あるいは、学生食堂で。氏は一心不乱にポテトサラダを食べていた。それは文字通り、一皿に集中しての摂取で、学食の喧噪をよそに、あたりはそこだけ、しんと静まり返っているようだった。そのひと箸、ひと箸が、禅の行のごとく思え、私はちらちら盗み見ながら、納得した。やはり三善晃だ、と。のち、氏が超のつくグルメだと知ったが、学食のポテトサラダはおいしかったのだろうか。

 最初の三善論を『音楽芸術』に書いた時、スコアをお借りしに、阿佐ヶ谷のご自宅まで伺った。だがその頃、私は頑固に、作曲家の言葉など聞きたくない、音からしか自分は書かない、と気負い立っており、氏にもそう告げ、スコアを頂くのもそこそこに、玄関先で退出してしまった。なんと生意気な、と思われたことだろう。にもかかわらず、そのときの三善論とその続編を収めた本『鬩ぎあうもの超えゆくもの』(深夜叢書社)の出版記念パーティーで、氏はピアノを弾いてくださった。幼少の頃、練習ノートに書いた『ソナチネ』で、スコアには当時師事していた平井康三郎の二重マルと「タイヘンヨロシ」の書き込み、それに師の筆跡をまねた三善少年の「Gut!」が記されている。優しい音律に満ちた愛らしい小品で、ピアノに向かう氏に、少年の面差しが彷彿とした。
 以来、作品が生み出されるその都度、かならず批評を書き続けたが、直接言葉をかわすことはなかった。ただ、阿佐ヶ谷から引っ越された家が、たまたま私の家のすぐそばであったので、お会いしたコンサートの帰り道、私の車でお送りすることがあった。車中での会話はもっぱら夫人とで、氏はときおり何事かを呟くのであった。

 正面から向き合って、お話することになったのは2006年出版の対話本『波のあわいに』(春秋社)の折りで、インタビューごとに、厳格に事前の資料と構想を伝えるよう要請された。テーマに応じて、しかるべく資料をそろえ、あらかじめお渡ししておく。したがって対話は蛇行することなく、整然と進んで行った。がんらい、難しいことを、さらに難しく語られる傾向のある氏であったので、それを平易な会話とするのは、なかなかに大変だった。「これから海へ入ろうかな、と浜辺に立っていたところに、後ろから丘山さんに声をかけられた。」対話にとりかかったとき、氏はそうおっしゃり、私はハッと胸を突かれた。「波のあわいに」とは、そんなところからもイメージされたタイトルである。海のかなた、あるいは彼岸を、遠望する眼とその心が、そこには映っているように思われる。
 病にかかられたのは、そののちのことで、本が形になったとき、氏は検査入院されており、オレンジジュースで乾杯を、との伝言をいただいた。その後、病の進行とともに入退院を繰り返されたが、2008年10月に行われた2日間の『作品展』のときには、車椅子で姿を見せられ、公演終了後のパーティーでもたくさんの笑みをこぼされた。私は企画からかかわったので、連日、満員盛況のコンサートが嬉しく、氏の笑顔が嬉しかった。

 氏は、『レクイエム』から始まる3連作、また、『夏の散乱』をはじめとするオーケストラ4連作、そして『三つのイメージ』について、「魂のいちばん辛いところからの旅」というふうにおっしゃっていた。これらの作品群に通底する戦争の記憶は、氏の音楽の一つの核となるものだが、氏はそれを「反戦」でくくられることを嫌がられた。戦争の記憶にとどまらず、児童合唱『オデコのこいつ』に歌われるビアフラの悲劇のように、氏のまなざしは常に世界の痛苦にまっすぐ向き合うものだった。そこから紡がれる音は峻烈で、厳しかった。一方、晩年に多く書かれた合唱作品は、魂のいちばん柔らかなところからの歌声、と私には思える。それはちょうど、幼い『ソナチネ』に匂う素直な抒情をそのまま抱いているようで、人間への慈しみにあふれるものだった。
 対話のなかで、辛い旅の果て、あるいは慈しみの中にあるのは、祈りであり、光、輝きであろうか、と私が問い、輝きとは、何かに照らされてはじめて輝くものではないか、と申し上げたら、氏は、輝きとは、「自分が輝いていると思うことだ」とおっしゃった。この地球のひとりひとりが「自分が輝いている」と思うことが出来たら、おそらくこの世界全体が、ひとつの大きな輝きとなることだろう。氏の想いは、そういうところへとむかっていたのではないか。


 

 じりじりとした酷暑のある日、私は氏の病室を訪ねた。すでに声を失われた氏は、じっと私をみつめ、私もまた氏をじっとみつめた。何か言おう、とは思わなかった。しばらくして氏は瞼を閉じられた。私は携えた谷川俊太郎の詩の一編『私の星座』を枕元で読み始めた。
 「星のように投げ上げられた 空に ある日
  それが私の誕生日
  そこにはもう他の星たちがいた
  母の星 父の星 姉の星 祖父の星」
詩は
 「私が死んでも誰かがきっと覚えていてくれる
  星と星とをつなぐゆるやかなかたち
  誰ひとり中心ではないあの美しいかたち」
というフレーズで終わる。
 その「私が〜」の句を、私は飛ばした。
 氏の眼は閉ざされたままだった。詩が届いたかどうか、わからない。私は薄い肩にそっと手をおき、「また、伺います。」と言って部屋を辞した。外に出ると、夏の日差しが斬り込むように、肌を刺した。

合掌
丘山万里子

関連リンク;
http://www.jazztokyo.com/column/editrial02/v47_index.html
http://www.jazztokyo.com/newdisc/516/miyoshi.html
http://www.jazztokyo.com/newdisc/530/miyoshi.html
http://www.jazztokyo.com/newdisc/593/miyoshi.html
http://www.jazztokyo.com/column/tagara/tagara-23.html
http://www.jazztokyo.com/column/tagara/tagara-22.html


丘山万里子 著
鬩ぎあうもの超えゆくもの
深夜叢書社(1990)


三善 晃+丘山万里子著
波のあわいに
〜見えないものをめぐる対話
春秋社(2006)


丘山万里子

丘山万里子:東京生まれ。桐朋学園大学音楽部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。日本大学文理学部非常勤講師。著書に「鬩ぎ合うもの越えゆくもの」(深夜叢書)「翔べ未分の彼方へ」(楽社)「失楽園の音色」(二玄社)他。

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