石井彰は毎年秋にリサイタル形式のソロ・ピアノ・コンサートを行い一年間の活動の軌跡を披露している。ビル・エヴァンスやモンク、キースなどのジャズ・ジャイアンツの曲を交えながら自作曲を心行くまで弾く。ピアノの余韻がホール全体に心地よく広がり、アコースティック・ピアノの美しさを堪能させてくれる。杉並公会堂小ホールや白寿ホールなど2〜300人程度の小ホールを発表の場としPAなしでピアノの響き、微妙なニュアンスを活かしたリサイタルは過度なPAを効かせたコンサートにはない、アットホームな温かさが醸し出される。
今年はソロ・コンサート10周年の節目ということもあって、例年のソロ・ピアノに加えてゲストに日野皓正(tp)、杉本智和(b)、江藤良人(ds)を迎え、10月23日(木)、銀座・王子ホールでの開催が予定されている。
石井彰は日野皓正(tp)のユニットで16年活動しているので日野グループのピアニストとしては広く認められているが、並行して自己のユニット、石井彰トリオやカルテットにも心血を注いでいる。また、数多くのミュージシャンとのセッションにも積極的に参加して、その活動範囲も広い。
石井彰の自己のユニットからは、ピアニストとしての石井と同時にミュージカル・ディレクター石井の音楽性が色濃く反映されている。
近作『エンドレス フロウ Endless Flow』(Studio TLive)には石井のここ10年築き上げてきたスタイリッシュな面が凝縮して表現されていて、心境の著しさがうかがえる。ユニットとしてきちっと構成された部分と即興との絡み合い具合に独特の石井らしさを編みだしているのである。
決して派手さはないが媚びたところのない斬新な創意と、知的なアイディアが今の石井彰の音楽に向き合う強い意欲を感じさせてくれる。
1963年10月1日、川崎市に生まれる。
小学のころは水泳と野球を、中学ではバレーボールを好むスポーツ好きの少年であった。
小学6年の時、父親の仕事の関係で大阪に移り住む。
子供の頃から音楽教室に通いオルガンやエレクトーンになじんでいたが、本格的にピアノを始めたのは、高校2年になって音大志望を決めたころからであった。
音楽を総合的に勉強したいとの思いで、大阪音楽大学・作曲科に進学、音大ではビッグバンド部に所属しカウント・ベイシー等をレパートリーとして演奏していた。
井上陽介(b)は音大の一年下の後輩にあたり、一番初めにグループを作って練習を始めたときのベースが井上陽介であった。以来、折にふれて二人の共演は続いている。
あるとき、このビッグバンドのメンバーで少編成のコンボを練習しようということになった時に改めてジャズを本格的に聴いてみようと思って初めて買ったのがビル・エヴァンスだった。
初めて聴いたエヴァンスの『ポートレイト・イン・ジャズ』(Riverside)に衝撃を受け、プロのピアニストを志すようになったと云う。ピアニストになるきっかけがエヴァンスであったということは現在の石井の音楽のバックボーンの一つとなっている。
2009年のリサイタルで石井は<マイ・ロマンス>や<ソーラー>などをソロで弾きビル・エヴァンスへのトリビュートを行ったが、なかでも<ターン・アウト・ザ・スターズ>はエヴァンスへの思いを石井独自の発想に昇華したもので、今なお強く印象に残っている。
石井は新作『エンドレス フロウ』で12音に基づく<十二神将>という曲を披露している。エヴァンスも1973年の東京公演『Live In Tokyo』(CBS/SONY)で12音技法に基づく<T.T.T.T.(Twelve Tone Tune Two)>を演奏している。 石井とエヴァンスを紡ぐ糸は今でもつながっているようだ。
石井にはエヴァンス以上にもう一人のピアニスト、キース・ジャレットの存在が大きい。
エヴァンスは石井にピアニストになる決心をさせた。そしてキースは現在の石井の音楽の方向性に刺激を与える存在のようだ。
石井のホームページによると石井はキースの来日コンサートには欠かさず通っている。ピアニストからみてのキースを色々な面で尊敬していると云いきる。
また、ゲイリー・ピーコック(b)がキースのトリオの一員として来日した際、ゲイリーと西山満(b)と3人で一時間ほど話をした時のことを今でも鮮明に覚えているという。この時ゲイリーが語ってくれたキース・ジャレット・トリオの音楽に対するアプローチに非常に感銘を受けたという。
<このトリオはね、まだ出来たばかりだけど3人で荒波に飛び込んでいくようなもんだよ。3人とも皆溺れちゃって皆同じ楽園にたどり着くこともあるんだよ。音楽をやるにはそうしたリスクを恐れずに音楽の中に飛び込むんだぞ>
今の石井の音楽に立ち向かう姿勢にこのゲイリーの話がオーバーラップする。
音大卒業後の数年は大阪で活動をしていたそうだ。大阪時代は西山満(b)、井上陽介(b)北川潔(b)等と演奏体験を重ねている。
1991年、28歳の時に東京在住の弟を頼って上京、大隅寿男(ds)と知り合い数年間、大隅寿男トリオで活動する。大隅トリオでは2000年に『The Sound Of Music In Jazz』(JAZZBANK)、新作『キャリー・オン / 大隅寿男』(M&I、2014)にも参加している。
上京とほぼ同時期に母校、大阪音大にジャズ科が創設されることになり、母校からの要請で東京から大阪まで出向いて指導を行っている。以来20年近く続けていて、現在も大阪音楽大学の特任教授としてその任にあたっている。
1998年、 ピアノの野力奏一の後任として日野皓正グループに抜擢され、以来16年にわたって日野グループで演奏を続け今日に至っている。
当時の日野グループには日野元彦(ds)が在籍していて、入団早々に日野元彦に俺のバンドにも入れよ、と云われて「クラブ・トコ」にも入団、音楽の作り方について多くのものを学んだという。
<レコーディングの時なんか、ものすごい集中力というか、一発で決めるというか、プロフェッショナルに決めるというか…そのやり方にものすごく感動しましたね>
石井彰は日野元彦のグループで『DOUBLE CHANT / MOTOHIKO HINO QUINTET』(ewe、1998)のレコーディングに参加している。
日野元彦は翌年の1999年5月、53歳という若さで病に倒れる。若すぎる天才の早世であった。
石井は日野元彦のグループで一緒だった川島哲郎(ts)のバンドにも何年か在籍しているし、日野グループで一緒だった多田誠司(as)との「the MOST」、古野光昭(b)のトリオ、大坂昌彦(ds)、安カ川大樹(b)との「Sean of Jazz」等々にも参加するなど交友関係は幅広い。
また、石井はヴォーカリストの小林桂ともアレンジャー&キーボードとしてしばしば共演をしているが2001年9月には小林桂のニューヨーク公演にも参加し、その折にニューヨークのスタジオでスティーヴ・スワロウ(b)とのデュオ・アルバム『That Early September』(ewe)を録音している。
また、ヴォーカリストとの共演では北浪良佳」の『Little Girl Blue』(Videoarts、2007)でのプロデューサー、アレンジャー、ピアニストとしての参加が光っている。
日野皓正グループの足跡をたどることは石井の軌跡を知ることにもつながるが、2000年に入ってからの日野皓正グループのアルバムは意外と少ない。大好きだった弟日野元彦を失ってからの日野は菊地雅章(p)や海外のミュージシャンとのアルバム制作が多くなり、日野バンドとしては2003年の『Here We Go Again』(Sony)からになる。日野(tp)と多田誠司(as)の2管の時代である。映画音楽のサウンドトラック『透光の樹』(Sony、2004)をはさんで2005年『Dragon -龍』(Sony)、2006年『Crimson』(Sony)、そして多田誠司等が抜けてメンバーを一新した2010年の『Aftershock』(Sony)、昨2013年の『Unity -h factor』JLAND)が最新作である。
これらの体験を通して石井は日野から音楽を演奏することの意義を学んだという。
<日野さんは音楽の、というよりも人生の師匠ですね。音楽、プレイ、あの人をおいてほかに居ませんし、プレイでもこんなフレーズやれとかこういう風にやれとか云われたことはないんですよ>
<やっぱり、音楽というのは自分の内面を磨いて、それがにじみ出るのが音楽なんだぜ>
<結局、日野さんからはそういうことを学んでいる気がします>
永年ジャズ・シーンを牽引してきた日野の言葉には重みがある。
石井彰は日野グループでの活動と並行して自己のユニットでの演奏にも力を注いでいる。
2001年には、俵山昌之(b)、江藤良人(ds)からなる自己のトリオで初リーダーアルバム『Voices in The Night』(EWE)を発表、続いて2002年にソロアルバム『Presence』(EWE)2003年『Synchronicity』(EWE)、2004年『Embrace』(EWE)とトリオによる作品をリリースし、精力的な活動を続ける。そしてレーベルを変えて2011年にソロアルバム『a-inspiration from muse』(Studio TLive) そして今年の6月『Endless Flow』(Studio TLive)の発表に至っている。新作の『Endless Flow』ではレギュラー・トリオとカルテットを母体に一曲を除き全て自己のオリジナルで構成し、これまでの石井の歩み、今の石井彰のありのままの実像を色鮮やかに映し出している。日野皓正グループで演奏するかたわら真摯に音楽と向き合い、自らを高めてきた石井彰、そして石井彰トリオ、カルテットの演奏にはジャズ・シーンの最先端の一翼を担うのだという気概がひしひしと伝わってくる。
日野グループのツアー、自己のトリオやカルテット、そのほか諸々のセッションで忙しく全国を飛び回っている石井だが、オフの時間には一眼レフのカメラを持ち歩いてお寺を訪ね歩き、仏像の姿を写真に収めている。なにも宗教的な意味合いはないのだそうだが、仏像の姿に魅入られているのだという。何も語らない仏像から普遍的な美を感じ、カメラに切り取っている。アルバム『Endless Flow』には奈良の新薬師寺を訪れた際に湧きあがったインスピレーションを基に作曲した曲も収められている。石井が美と向き合う姿勢はそのまま音楽と結びつき新たな成果を上げてきているようだ。
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