2011年晩秋、高木元輝が愛した基地の街を彷徨する。キャンプ周辺を散策しても、ここはかつてのジャズの素敵な磁場であったなんてとても思えない。
街角のベンチに、疲れ切ったジャズ・ミュージシャンのブロンズがひっそりと座っている。基地の街からジャズはもう全く聴こえてこないのか?
さて、高木元輝(ts,fl,b-cl)のインタヴューは、1969年の『ジャズ』誌創刊号のために行われた。冬の終りの大雪の日に、横浜の高木宅で長時間にわたって行われる。当時、時代は、ニュー・ジャズの真只中に向かって行く。
高木元輝は、1939年横浜に生まれる。Y校(横浜商業)の出身。自らの肉声と楽器音との独自の交感=コミュニカシオンを志向し、2002年死去。未踏のフリー〜ニュー・ジャズの地平を果敢に切り拓く。

<インタビュー>
高木元輝/杉田誠一(1969年)
さけび=そのテナーと肉声のコミュニカシオン
米びつたたいて
杉田 僕は今まで、アーチー・シェップのものを随分聴いたり、ジャケット読んだり、そして書いたりもしてきたんですけど。
高木 杉田さんの「マジック・オブ・ジュジュ論」(OUR JAZZ 8)を読んだとき、何か心が燃えたですね。本当にやりたいというものが新たに湧いたんです。こういうものを書いた人はこれまで日本にはいなかった。
杉田 いやぁ、これ以上あがらせないでくださいよ。大ざっぱに言うと、シェップのジャズ・エネルギーの大きな部分は外面ヘの怒リによって支えられている。ですが、高木さんの殺気はそれだけではとうてい表現できない何かもっと精神に深く宿されたものから発せられたものだと思うんです。
高木 いえ、とんでもないです。僕は吹いているときは自分と話しているんです。自分で自分に話し、吹く。シェップのことはある程度意識はしています。聴いていると、いつも怒っているみたいに感じます。……僕の音楽なんて、腐った肉のようなもんじゃないかなぁ。
杉田 最初からそんなに驚かさないでくださいよ。まずは月並なところで、これまでの経歴を簡単にお話し願えますか?
高木 はい、生まれたのは昭和16年。
杉田 というと戦争のことは覚えていらっしゃらないですね。
高木 防空豪に入ったのなんか覚えています。ジャズをやったのは中学に入った頃で二番目の兄貴の影響かもしれません。一緒に米ぴつをたたいたりして、今思えばそれが初めての楽器かな。
杉田 米びつを、ですか。テナーにひかれたのはいつ頃からですか。
高木 初めはアルトが好きだったんです。パーカーなんかね。テナーはスタン・ゲッツ聴いてから好きになったんです。僕は何か遅れているんですよね。今は新しい人がどんどん出てくるでしょ。みんなすぐそれらを評価するけれど、僕が本当にいいなと思うのは一年か二年ぐらい経ってからなんでナ。とにかく僕は……遅れてるんですね。中学や高校の時も良くレコード聴きましたけど、最初は黒人のジャズがかかると店を出ちゃったり、スタン・ゲッツ聴いて喫茶店
で泣いたりというふうでした。他の楽器では最初からマイルス・デビスが好き、それとジョージ・ルイスも。
高木兄 これは大分女性的な面があったですね。自分で言いたいことも言えないし、まあその代り自分がやると言ったことに対しては何事にも一生懸命やってきました。ただもうがまん強く、熱心なんですね。中学の頃はテニスをよくやっていて神奈川県で個人優勝を何度もしたんですよ。それがどうしたんでナかね、高校へ入ってからがらっと変っちやって楽器をやりはじめて。
高木 あの頃、僕は医者か書家になろうと思ってた。
杉田 洋酒が好きだと伺ってますが、バーなんかで飲むんですか。
高木 いえ、人の家で。
高木兄 これは変ってるんですよ。兄弟で飲もうといっても一滴もやらないんですよ。私なんか皆でパーッとやるのが好きなんですけど、これだけはやっぱり変ってんですねえ。高木家じゃ、音楽がないもの。(笑)
杉田 実際にプロとして吹きはじめたのはいつ頃なんですか。
高木 高校三年の時。吉屋潤とクールキャッツというダンスバンドで横浜のブルー・スカイでやりました。
杉田 あそこは差別がすごいんでしょ。
高木 ええ……朝四時までやっているんですよ。それで一週間のうち三回ぐらいしか学校へ行かなくて。
杉田 それで卒業?
高木 まあ、何とか。商業科でしたしね。ブラスバンドが有名な学校でそれで入ったんですから本望。
杉田 そういうことですね。実際にコンボに入ったのは?
高木 五、六年前。最初はテナー・ラッパでした。
杉田 横浜がー応練習場だったんですね。
高木 いえ、横須賀です。横須賀には二年ぐらいいたんです。その時は毎日昼間の一時か二時頃まで、夏なんかパンツー枚になって汗びっしょり。やっぱり一番その頃が勉強できたなあ。今だって週に三回横浜、四回新宿でしょ。土曜日がきついんですよね、夜、昼だから、練習はたいてい一人で店でやってます。
杉田 僕など横須賀余り知らないでしょ。するとすぐアメリカ兵のおかげで食っている町という先入感があって憤りがあるんですが。
高木 そういうことはあまり感じませんでした。僕なんかの出ている店にも年中アメリカ兵が来てましたし、レコードもらったり、リードもらったり、本もらったり。
杉田 先ほど、黒人のジャズがかかると店を出てしまったといねれましたね。何か原因があったんですか?
高木 あまり激しすぎて聴くのに耐えられなかったんです。その頃の僕はものすごくきれいなものが好きだったんです……でもパーカーなんかは聴いてたなぁ……。
杉田 バークリー音楽院など有名ですね。でもああいう学校の中から果してジャズが生れるんでしょうか。下積みといえば下積みですけどキャバレーなどでダンス音楽やっていてそこから出てくるといった人の方に僕はひかれるものがあるんです。
高木 それなら僕もさんざやりました。
杉田 そうでしたか。ボーヤの経験は、
高木 ボーヤはありません。でも先生についたことはありますョ。最初が吉屋潤、それから渡辺貞夫に二年間、これはお金が払えなくて。
杉田 ギャラリーには通ったほうですか?
高木 ええ通いました。そしてやりました。相沢さんというウェスタンの人と。
杉田 それは知りませんでした。銀巴里時代なんかは?
高木 銀巴里でもやりました。金井英人さん、神田重陽さん、それと武田和命さんなんかも。
杉田 学ばれてきた流れを簡単に。
高木 最初はパーカー、次にスタン・ゲッツそれからロリンズも昔は良くコピーしました。コルトレーンあとはエリック・ドルフィー。
杉田 ジャズをやるきっかけにお兄さんの影響ということを言われてましたけど、なぜひかれたのか、そこには何かある訳でしょう。
高木 スイング感でしょう……それとジャズをやると女の人にもてるんじゃないかと思って(爆笑)。
杉田 いやあ、これはまいりました。趣味はありますか?
高木 趣味?別にないなぁ。
杉田 映画はごらんになりますか?
高木 ぜんぜん見ません。映画みるなんて時間がもったいないですよ。時間がないんです。たまに海を散歩するぐらい。海は好きなんです。イメージがポッとわくこともよくあるんです。海はこわい……あ、釣りは好きですよ。
杉田 本は昔からよくお読みになったんですか?
高木兄 さあ、読んでたのか。
高木 内緒で。
杉田 ジャズの本なんかを?
高木 一応読みました。でもミュージシャンにとってジャズの歴史を勉強することが必須事項とは思わない。ジャズの歴史を学んだからといっていいジャズができるとは言えませんもの。
杉田 そうですね。で、どんな本を一番読むんですか?
高木 主に詩の本です。
杉田 へえー、詩ですか。富樫さんとはいい対照ですね。どういう傾向のものですか、自分でもお作りになるんですか?
高木 いえ、自分では作りません。詩は何でも読みますが現代詩はあまり...たまに新宿で詩集を買うことはありますが。
杉田 結局、高木さんのテナーはある種の詩ともいえるんではないかな。詩人が言葉を使うように。
高木 それは、僕の理想なんです。今まで読んだうちで一番良かったのはインドの長詩……題は忘れましたが吉沢さんに借りたんですけど。
杉田 インド音楽には興味ありますか?
高木 興味はあります。
杉田 コルトレーンなんかすごくインド音楽に影響受けたらしいですね。でもそういう形での直接的な影響というのは高木さんの場合ないようですね。だれを師と仰ぐとかの、尊敬するのとは別にですよ。そこがまたつらいですね。一人で開拓していかなくてはならないんだから。最近シカゴ派が出てきましたね。どうですか。
高木 ロスコー・ミッチェル、こないだ聴いたんですけどとてもよかったです。僕はいまテナーのレコードは聴かないんです。聴くのはアルトとクラシック。
杉田 目本のアルト奏者ではいい方いますか?
高木 渡辺貞夫さんですね。
杉田 彼の与えた影響は大きいですね。
高木 渡辺さんが帰国してすぐ二年習っていたわけですけど、そのとき富樫さんもきていました。
杉田 ほう、そうですか。それでいまの富樫トリオができたんですか?
高木 そういう訳でもないんです。前に富樫さんと吉沢さんがー諸にやったんです。そして富樫さんがフリージャズでいいテナーがいると僕を認めてくれ、吉沢さんが推薦してくれたんです。
杉田 一時、高木さんが親玉でやってらしたこともあるんでしょ。
高木 ええ、タローではいまも僕です。
杉田 タローでは。これは失礼しました。するとピットインでは吉沢さん。
高木 ええ、みんな親玉とかそういうのはあまり関係ないですから。便宜的なものかな……。
杉田 富樫トリオの富樫さんの掛合もそうですか?
高木 ……
杉田 これは言いづらいな。
高木 いまのメンバーに満足しています。……でも富樫さんは、こわいです。
杉田 練習はあまり富樫さんとはなさらないんでしょ?
高木 ええ、一回も。
杉田 ほう、一回も。ではある程度打ち合わせ的なものでやってしまうんですか?
高木 打ち合わせもほとんどやりません。
杉田 ほう、このあいだちょっと楽譜見てましたね。あれは何ですか新曲ですか?
高木 ええ、富樫さんが作ったんです。「バリエーション」とかいう題です。
杉田 純粋に富樫トリオではまだ二、三回しかやってませんね。三回目のときはもうトロンボーンが、次からはトランペットが入ってますね。あれはなぜですか、僕なんかからみると不必要に思うんですが理由があるんですか?
高木 ……富樫さんがいれるんです。今度から高柳さんが入るんです。
杉田 また増えちゃうんですね。折角トリオになったのに惜しいですね。中村達也さんの変貌も目覚しいですね。最初はひどいドラムだと思ったけど近頃は楽しいです。吉沢さんもすごいですね。彼は作曲にも向いているんじゃないですか?賄分作るんでしょ?
高木 半分半分くらいじゃないですか。吉沢さんは偉いですね。
杉田 そう、昔はフリーなんかやる人とは思えなかったですね。
高木 ええ、それと人柄も尊敬できます。いつも僕なんかのこと心配してくれるんですね、身体に気をつけろとか。
杉田 こんど日野皓正さんがやりますけど、大ホールでのコンサートには興味をお持ちですか?
高木 やる必要はない。
ジャズでなくともかまわない
杉田 恋愛のご経験は?
高木 あります。
杉田 そういうときにはいい曲が生まれるんですか?
高木 ダメです。僕、一番曲書きたいときは怒っているときです、母ちゃんとけんかしたとか(笑)。
杉田 吹けなくて困るとか、吹くのがこわいとかいうことありますか?
高木 ええ。
杉田 ソプラノとテナーと持ちかえるでしょ。意図的に何かあるんでしょうか?
高木 ソプラノ吹きたいときは、何か……ううん、判らないな……。
杉田 ことばではむずかしいですね。自信があるときはどっちを。
高木 そういう区別はないです。年中自信がないんです。
杉田 そうかな。それにしちゃすごいの吹きますね。没頭しているときというのはあるんですか?
高木 いえ、頭は冴えています。
杉田 ジャズをやっていて楽しいですか?
高木 いえ、楽しくはありません。でも満足したことはあります。
杉田 オーネット・コールマンのアルトを一番最初に聴いたときどうでした?
高木 ラジオで聴いたんですけど、びっくりしました。
杉田 僕の場合は、これは今までのジャズじゃないという気持でした。
高木 ……何しろ僕遅れているんですよ。彼なんかも当然出るべくして出てきたんでしょうけど、とにかく、最初はやっぱり驚きだけ。
杉田 それは高木さんに確信があるということでしょう、きっと。すると極端に影響を受けるといったことはないんでしょう?
高木 一応ほとんどコピーはするんですけど。でもコピーするのはコピーしたことをやろうという気持じゃなく、どうしてもコピーしたくなっちゃうんですよね、いけない而もありますね。
杉田 高本さんのはコピーであってもコピーでなく高木さんになっていますよ。
高木 コピーじゃ食えないって訳ですね。どうも貧乏はつきまとうらしい(笑)。
杉田 高木さんのテナーの特徴は何といってもあの吹きながら叫ぶ肉声と楽器との交感にあると思うんです。まあ、ユーゼフ・ラティーフなんかもやってますけど。
高木 えっ、あの、い、いるんですか?
杉田 テナーでは一回ぐらいしか聴いたことないですがフルートでよく。
高木 ああ、それなら僕も聴いてます。
杉田 あれは意図的にやってるわけ?
高木 いえ、自然にでてくるんです。テナーの音もだんだん人の声に近づけていく、ただ吹くというのではなくて楽器を使って何かしゃべりたいという気持ちが強くて。
杉田 そのとき聴衆を意識してますか?
高木 ええ。
杉田 しゃべるということですと、やはり相手をセレクトしたい気持はあるでしょうね。誰でもというようなコマーシャルなものでなく100人の聴衆の中の一人でも二人でもという。
高木 ええ、そうです。例えば二人でも、三人でも最初から終りまでいてくれればとても嬉しい。
杉田 それが高木さんの高木さんらしきゆえんですね。そういう姿勢の人は少いですから。そのときミュージシャン相互の対話というのもあるわけですね。
高木 ええ、でもニュー・ジャズやフリー・ジャズというのはある程度個人的なことが重要になります。技術よりも精神的なものじゃないですか。
杉田 すると結果的にフリー・ジャズは、一人一人がめいめいに自我の主張というか表現を行うわけですね。それが結果として聴衆の側に立つと一つのものになっているというとらえ方ですか、それともあくまでも最終的には自分ということですか?
高木 同時に調和ということは頭の中にあります。
杉田 曲の題名ですがあれは必要ですか?
高木 曲のイメージですね。必要はありませんね。最初に題を決めてから作るわけではありませんから。
杉田 作曲はいつなさるんですか?
高木 僕、曲を書くときたいてい電車の中なんです。なぜかなぁ。
杉田 白石かずこも地下鉄の中で書くそうですよ。何か共通するのかな。<マンメンジン>とか<ドミソ汁>とかああいう日本人的な発想の曲は好きですか?
高木 あまり民族的なのは好きじゃないんです。
杉田 もっとコスモポリタンなものを作りたいというわけですね。
高木 はい、でも<ドミソ汁>はアフリカの民謡に近いですね。
杉田 あ、そうですか。パーカッションを最近良く使うようですけどあれは意味があるんですか?
高木 ええ、テナーを吹くのと同じです。僕、一番やりたいのはジャズじゃなくて音楽なんです。
杉田 なるほど、すると高木さんのやっているのがジャズじゃなくてもかまわなかったんですね。またこれからもジャズじゃなくなるかもしれない。
高木 ええ。
杉田 ボーカルは?
高木 好きです。ニーナ・シモン大好きです。いつも寝るときニーナ・シモン聴いているんです。
杉田 高木さんのテナーと一緒にやりたいですか?
高木 ええ、同じ歌ですもの。特にフリー・ジャズではお互いの音楽は密接です。だって昔の黒人霊歌なんか自由でしょ。きまったテンポなんかもないし。
杉田 高木さんにとってブルースとは何ですか?
高木 必要なものです。ブルースはジャズの心ですもの。
杉田 ジャズ理論の先行が可能でしょうか
高木 ジャズ理論の必要は認めます。ですがそれが即、僕等の演奏ではありません。
杉田 それではジャズと情況についてどうお考えですか?
高木 ジャズと情況は切り離すことができません。一緒です。ジャズは情況に乗り越えられたというようなことも何かで読みましたけど、これはおかしいですね。
杉田 相倉さんの図式によると最も土着的なことをやっているのが富樫さんと日野さんのグループだというのですが、そうすると高木さんは一番頂点でやっているわけです。そういう意識はありますか?
識淳 ありません。
杉田 現在ニグロ・ジャズを意識していますか?
高木 ニグロ・スピリチュアルだけを追求するということは間違っています。やはり大切なのは自分のオリジナリティです。だから自分がなくなるということは一番悲しいというか、ダメですよね。
とめどなきテナーと肉声の叫び
杉田 麻薬とジャズメンの問題がありますね。例えばナット・ヘントフの『ジャズ・カントリー』にも出ていたけど。
高木 あればやってみたいですね。
杉田 なぜ?
高木 単に興味ということじゃなくて、やはり自分の音楽に新しい可能性が発見できるんじゃないかという気がするので。でもあったとしてもやらないかも...こわいですもの(笑)。
杉田 たしかに魅力的なものですね。最近麻薬を理由に向うのジャズメンが来日できませんね。
高木 デビスなんかね。
杉田 一時はアルバート・アイラーとシェップが来るという話でしたね。
高木 デビスは来なくてもいいけど、シェップには来て欲しかったな……。でもアイラーと一緒にというかたちでは考えられない……変ですね。
杉田 そう、期待できない企画でしたね。それとシェップが日本は黒人を差別するといって怒ってるんですよ。だって麻薬だけの問題じゃないでしょ。
高木 スタン・ゲッツも起こしているのに堂々と来ましたものね。そこにはあるんですね、見えざる権力が。でも彼は同じミュージシャンでありながらどうして黒人のミュージシャンを差別するんですかね。
杉田 マックス・ローチの『ウィ・インシスト』以上に完成度の高いものができるでしょうか。あれだけの肉声と楽器の融合そして思想性のある。
高木 日本のジャズメンがですか?
杉田 いや、高木さんがですよ。
高木 やりたいです。
杉田 日本のジャズメンの中にはあまりいませんですが、将来政治性を強く打ちだすジャズが育ってくるものはあるんでしょうか
高木 やらなきゃいけない。日本人だから日本人の音楽をやらなきゃいけないです。
杉田 高木さんの音楽というのは最初にも言いましたけどシェップとかミンガスとかローチとかの政治性が前面に押し出されているものとはちょっと違うと思うんです士ね。そういう要素がないというのではなく、それが唯一の表現しょうとしていることではないということは言えると思うのです。
高木 ええ、そうです。でもことばにするのはとても難しい。『ウィ・インシスト』が生れたバックには根強い思想的なものがあったからだと思うんですけど僕の場合はまだそれほどまでには煮つまっていないですもの。
杉田 そうですか。何でいまこんなことか言ったかというと、一番最初にトリオを聴いたときに高木さんのフレーズに『ウィ・インシスト』の中のアビー・リンカーンの「フリーダム・デー」のフレーズがちょこっと出てきたからなんです。無意識に何かのフレーズが出きてしまうというようなことはあるんですか?
高木 ええ。そうでしたか。意識的にではないんですが吹いているうちに知らず知らずにあるのですね。
杉田 社会から弾圧されて、それでジャズを演奏しているというミュージシャンがいっぱいいますが、高木さんの場合どうですか?
高木 やはり抑圧されています。はっきり年中この意識を離れられません。実感としてあるんですから。
杉田 理想の社会がありますか?
高木 いま変りつつあるこの日本です。
杉田 東大闘争のときピアノをバリケードに使いましたね。
高木 ほんとうですか?ひどいな。
高木兄 しかし学生さん達にとっては仕方のないことですよ。私は大いにやってもらいたいですね。
高木 でも...。
高木兄 いや、そうじゃない。そりゃあ、お前達はそういうだろうが彼等は権利を主張しようとして何もかもやったんだよ。楽器をバリケードにしようが。
高木 ひどいよ、そんな……。
高木兄 いや、お前、それは違う、違うよ。それは楽器をやっている人のいう言葉だよ。
杉田 ジャズが弾圧をうけたとき高木さん自身はどうなさいますか?
高木 やります……闘います。もし機動隊がきて楽器をこわしたら……僕は...殺してしまう...。
杉田 要するに権力側がジャズを判らないんですね。弾圧された人間じゃないとジャズが判らないというか、奴等に判られたらたまらないという気持ですね。高木さんのことばを聞いてほんとうに心強くなりました。
高木兄 技術という大変な問題がありますが心は真似できない。自分のものですから。だから共通した者同士、結束してゆかなければダメです。
高木 やりますよ。例え僕が楽器を奪われるようなことがあっても、僕はある。叫んだって……。
杉田 部落問題なんかどうですか?
高木 腹立たしい。なぜ差別が言い切れるのか...。僕思うのは、部落民とか新平民とかそういう人達の広い意味で音楽に限らず絵とか詩とか、ああいうのが一番美しいんじゃないかと思う。音楽のことを言えばきれいな音だけが美しいんではなく、汚い音の中にも美しさがある…。
高木兄 そうだ。きれいにみえるところにきれいなものはないんだ。
高木 それは人の感じ方です。
杉田 不協和音なんかそういう事でナね。
高木 そうです、そうですね。
杉田 ジャズではそれを積極的に使っているわけですね。高木さんのテナーの音ほど濁っていてきれいな音というのが他にもあるのかなあ。
高木 もう、死にもの狂いなんです。べートーベンなんか随分貴族とか君主に弾圧されているでしょ。それでああいう美しい音楽ができたんじゃないですか。
杉田 聴衆とのズレは感じますか?
高木 ええ、感じます。僕なんかのやっていることはジャズというよりも広い意味での音楽をやっている。でも聴きに来る人はジャズを聴きたいんじゃないですか。
アーチー・シェップと共演したい
杉田 往々にして目本のジャズメンはニュー・ジャズを嫌いますよね。なぜですか。
高木 それは聴く人を意識しているからだと思います。
杉田 なるほど。ニュー・ジャズを聴く人は少いですね。金にならないからな。
アイラーはあまり好きではないのですか?
高木 いえ、好きです。でも初期の頃の方が好きです。
杉田 ESPから出たのですか?
高木 ええ、『マイ・ネーム・イズ・アルパート・アイラー』の「サマータイム」がいいと思います。
杉田 コルトレーンはどうですか?
高木 全部好きです。披のはほとんど買いました。でも、.もう半分ぐらいは売っちゃったけど。彼が来日したときは三回聴きに行ったんです。いつも目を閉じて聴いていると『十戒』という映画が出てくるんですよ。
杉田 はぁ〜、すると具体的にことばになおすとかなり宗教的だということですね。たしかにー般的にいわれているように彼はシェップとは対照的なものがありますね。
高木 僕もそう思います。
杉田 それとコルトレーンを聴いている七とてもセクシャルなものを感じますね。
高木 僕の音楽の場合にも、それはあると思います。
杉田 ええ、そうです。クラシックもお聴きになるんですね。
高木 ええ、聴きます。
杉田 僕はよく判らないんですけど、最近新しい図形の様な楽譜がありますでしょ、あれはどういうんですか?
高木 色別なんですよ。それでタイムが決っているんです。その色によって自分が感じたことを表現するんですね。
杉田 ときにはそういうものも使うんですか?
高木 いえ、まだ。こないだうち富樫さんが書いてくるっていってましたがまだできないんです。そのうちに。
杉田 ちょっとおもしろいですね。いまレコードは何枚ぐらいお持ちですか?
高木 100枚ぐらい。そのうち80枚ぐらいはジャズです。
杉田 ポピュラーとか歌謡曲とかは?
高木 それは兄ちやんだね。
高木兄 いや……(笑)。
杉田 高木さんより先を行っている人はいますか?
高木 いっぱいいます。クラシックの人ですがチェロの岩崎洸さん。ジャズでは富樫さんを追い越したいです。
杉田 向うの人では?
高木 全部。死んだ人も含めて。
杉田 ヨーロッパのジャズはどうですか?
高木 素晴しいと思います。例えばポーランドなんか。……富樫さんいまミュージシャンの研究をしているんですよ。
杉田 ほう、そうですか。太鼓なんかですとシュトックハウゼンのように打楽器だけを使った音楽ってのがありますよね。で、高木さんはテナーですが、テナーだけの音楽ってのはありますか?
高木 僕一回やったことがあります。タローで夜、大野さんが出られないとき一人で吹いたんです。そのときお客さん50人ぐらいいたんですけど最初から終りまで一人も帰らなかったんです。そのとき六千円くれたんですよ。でも悪いから二千円だけもらって帰ってきました。
杉田 へえー。そりゃ、のがしたな。すごいですね。それは是非とも聴きたかった。可能だということですものね。ところで高木さんはリズムよりサウンドを重要視しますか?
高木 スピード感です。
杉田 スピード感?ははーん。パーカッションに意味があるとおっしゃいましだけどどういう意味なんですか?
高木 やはりスピード感じゃないですか。パーカッションの場合はサウンドの方が大きいかな。
杉田 現代音楽なんかもやってみたいですか?
高木 ええ、やってみたい。だからバスクラが欲しいんです。
杉田 あのファラオがやったのがあるでしょう。楽器のもつ特性、やっぱり違いますよね。現在の高木さんの具体的な課題というのはなんですか?
高木 楽器をマスターすること。オリジナル曲をうんと増やすこと。
杉田 いま一番一諸にやってみたいミュージシャンってはだれですか?
高木 オーネット・コールマン。最近好きになったから。でもコールマンよりかシェップですね。
杉田 オーネットの「フリー」をよくやりますが、自由ということをどうお考えですか?
高木 自由になるほど難しいですね。....わかんないなあ....。
杉田 最後に、雑誌『ジャズ』への希望を。
高木 はっきりいっていまのジャズ・ジャーナリズムは不毛だと思うんです。僕らの心をとらえるものは何もありませんもの。ャズの寄生虫にはなってもらいたくありませんね。


高木元輝(たかぎ・もとてる)
1941年12月28日、大阪生まれ、横浜育ち。
横浜商業高校卒業後、吉屋潤、渡辺貞夫にサックスを習う。
吉屋潤とクールキャッツ、チャーリー石黒と東京パンチョスなどを経て、ニュージャズの世界へ。独自のヴォイスを獲得し、吉沢元治bの紹介で69年に富樫雅彦dsの知遇を得、活動を共にする。翌年、富樫の事故により豊住芳三郎dsとの活動を展開するが、71年春、豊住の渡米により中断。73年秋自らもパリに渡るが、1年間の滞在で留学中の加古隆pらとのセッションを通じてその名を高らしめる。75年、近藤等則、土取利之、豊住芳三郎らとEEU(Evolution Ensemble Unity)結成、アルバム『Stone Blues』を制作。70年代後半は、ミルフォード・グレイブズ、デレク・ベイリー、ヘンリー・カイザーなどと共演。
晩年は豊橋に移り住み中央のシーンとは断絶していたが、2001年、地元のクラブに不破大輔b、小山彰太dsを迎え、ドキュメント『2001.07.06』(地底レコード)を残す。翌年、横浜に居を戻し、活動再開に備えたものの、2002年12月11日急逝。
アルバムに『アイソレーション』(1971) 『パリ日本館コンサート』(1974)『モスラ・フライト』(1975)『ミルフォード・グレイヴズ/メディテーション・アマング・アス』(1977)など。