Vol.61 | 食べある記 ]W

text by Masahiko Yuh

ずいぶんご無沙汰してしまった。理由はいうまでもなく、個別にライヴ・リポート(コンサート評)を書く機会が多くなって、本来《食べある記》に注ぎ込むつもりで用意していたエネルギーをライヴ・リポートに吸い取られてしまった?からだ。食べある記と単独のライヴ・リポートを、私は当初から振り分けて書いているわけではない。食べある記の方はサイズは自由だからほんの数行で片付けることもあれば、興に乗ったらライヴ・リポート並みの分量をノリノリで書いてしまうことだってある。要するに、食べある記のコンサート評は、いいなと感じた演奏や音楽を題材にある種のエッセーを書いている気分で、しかしこれがいたって気持がいい。コンサート評のように、取り上げる演奏やコンサートについてさまざまな角度からアプローチしたあげく、当該執筆者なりの演奏評価を下さなければならないという追いつめられたような苦しみからは当初から解放されている。格闘競技にも似た真剣勝負で演奏者や音楽を評価する作業も、それはそれでときには汗をかいたなりの充足感を味わうものだが、もっとあらゆる制約から解放された楽しさを満喫したいと思うと、やはり食べある記のようなエッセー風の演奏や音楽評に食指が動く。 ちなみに、3月以降に書いたライヴ・リポートは、3月21日のライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を皮切りに、近藤那々子、横坂源、アルフレッド・ロドリゲス、須川展也、デニス・コジュヒン、パウル・バドゥラ・スコダ、ホー・シーハオ、亀山香能、山下洋輔スペシャル・ビッグバンドと、10本もある。私にしたら異常なほどの数だ。その間をぬって、以下の食べある記に登場するコンサートを含めたら自分でも驚くほどのコンサートがよいをしていることになる。音楽を聴くならライヴに限るという私の日ごろのポリシーにそった活動の結果だと、むしろ上々の晴れがましさを堪能したい気分だ。

♪ 3/17『デュオ・グレイスの謝肉祭』

まずは3月のコンサートから。高橋多佳子と宮谷理香がコンビを組むデュオ・グレイスのリサイタル(17日、東京文化会館小ホール)が、デビューCDの好評もあってかファンの間で話題となり、多くの人々が詰めかけて活気のある演奏会となった。『デュオ・グレイスの謝肉祭』と銘打ってのカーニバルの楽しさが、デュオ・グレイスの個性といってもいい華やぎと1つに溶け合った、まさにライヴを地でいくような活気に富む演奏会であった。ミヨーの<スカラムーシュ>を皮切りにサン=サーンスの<動物の謝肉祭>やストラヴィンスキーの<“ペトルーシュカ”からの3楽章>に、「くるみ割り人形」の中の有名な<ワルツ>など。中では彼女たちの息のあった演奏の痛快さが発揮された点で、<スカラムーシュ>とアンコールで演奏したアレンスキーの「組曲」からのワルツが文句なしによかった。このところ個性的なピアノ・デュオが世界各国に出現しており、ジュリアン・カンタン&ジャン・フレデリック・ヌーヴルジュのように大きな注目を集める例も少なくない。このデュオによるラフマニノフ最晩年の<交響的舞曲>(ピアノ・デュオ版)を聴いたときはすっかり魅了されたが、デュオ・グレイスもアピール度そのものは軽いものの負けてはいない。彼女たちのミヨーやアレンスキー、同じくアンコールで演奏したラフマニノフの<タランテラ>(組曲より)などで発揮した華やかでカラフルな演奏こそ彼女たちの持味が遺憾なく示された好例だったといってよいだろう。

♪ 3/28、30 『メキシコ音楽の祭典』

3月からもう1つ。『メキシコ音楽の祭典』と銘打って催された2日間。メキシコから有能な演奏家を招いて行われた東京オペラシティ文化財団主催の室内楽の夕べ(28日)とオーケストラ・コンサート(30日)だが、とりわけ後者が興味深かった。演奏は東京フィルハーモニー交響楽団で、ホセ・アレアンという今年48歳のメキシコの指揮者がタクトを振った。何度も来日しているアドリアン・ユストゥスが独奏したポンセの<ヴァイオリン協奏曲>も、日本初演というチャベスの<ピアノ協奏曲>も取り上げたいのだが、ここではシルヴェストレ・レヴエルタスの管弦楽作品に的をしぼることにした。いや、そのくらい初めて聴いたレヴエルタス作品の魅力に取り憑かれてしまった。私の好きな伊福部昭の幾多の作品、たとえば<日本狂詩曲>や<SF交響ファンタジー>を彷彿させるレヴエルタスの2つの作品、<センセマヤ>と<マヤ族の夜>は、大胆かつ活き活きとメキシコの先住民族やスペインの音楽との混交から生まれたプリミティヴなリズムを導入し、独学で身につけたレヴエルタス固有の語法を駆使した、驚くほどの色彩の豊かさとリズムの野性味が生むメキシコならではの音響世界を強烈に印象づけた。濱田滋郎氏の解説によると、スペイン市民戦争(1936〜39)でフランコ将軍率いる右翼勢力に惨殺された傑出した詩人ロルカを悼んで<ガルシア・ロルカ讃歌>を作曲したのみならず、みずからファシズムと闘う国際旅団に身を投じたほどの「ひとかたならぬ熱血漢だった」(濱田滋郎)。戦いはファシズム派の勝利で終わった。「そのときのレヴエルタスの落胆ぶりは著しかった。そして1年後、肺炎のため40歳で世を去った」(同)。というわけで、レヴエルタスは作品の数がいたって少ない。しかし、<マヤ族の夜>などは日本でもっと知られていい作品であり、レヴエルタスをはじめメキシコの優れた音楽にスポットを当てた今回の『メキシコ音楽の祭典』を、オペラシティ文化財団による創造的な企画として称えたい。

♪ 6/28 『ロルカとアンダルシア』

  私は見る機会を逸したが、このガルシア・ロルカを題材にした現代スペインの歌劇「アイナダマール(涙の泉)」が日生劇場で6月末に上演された。このオペラの前哨戦とも前祝いのプレコンサートともいうべき公演『ロルカとアンダルシア』で、<夜明け>をはじめ<ソロンゴ・ヒターノ>や<死せるロサリア・デ・カストロへ捧げる子守唄>や<暗い死>など20曲にも及ぶロルカの詩によるカンテ(歌)をフラメンコ歌手の石塚隆充のソロや、フラメンコ舞踊、ロルカ役の伊礼彼方の朗読で聴いた(6月28日、日生劇場)。石塚の素朴なフラメンコ唱法や、智詠(ギター)、SAYAKA(ヴァイオリン)、コモブチ・キイチロウ(ベース)、石塚まみ(ピアノ)らによる演奏も好演だった。ただ、ロルカの詩に横溢するアンダルシア性やグラナダの神秘性に触れようとするなら、字幕を利用した視覚的なアプローチなども一考すべきではなかったかと思う。

♪ 3/23 エルダー・ジャンギロフ

ジャズといえば、一昔前は米国の第一線で活躍するグループやソロイストが圧倒的だった状況からすれば、昨今はすっかり様変わりしてしまった。私のように米国の黄金時代のジャズで青春を謳歌した人間からすると、一抹の寂しさを禁じえないが、しかし他方で現代を肯定的に捉えて見ると、それはそれで興味をそそる動きやプレイヤーのテクニックや考え方の新しさに心を奪われたり、あるいはジャズ状況の変化に時代の変転を見出す面白さもあって一概に現代のジャズを軽視しようなどとは思わない。
たとえば、世界の各地から驚くほどの才能に恵まれた新鋭が飛び出してくる。北欧はいわずもがな、東欧や南米各国などから、かつてのニューヨークの活気を彷彿とさせる飛び切りの才能に恵まれた新鋭プレイヤーが狼煙を上げる。今や伝説的、あるいは時代を切り開いた巨匠や名匠が姿を消した今日では、あらゆる新人アーティストが同じスタートラインに立っているようなものだ。だから、食欲をそそる新しい才能が飛び出してくると思わず品定めをしたくなる。ときにはこちらも体当たりで聴きたくなる。卑近な例を引けば、アルフレッド・ロドリゲスやエルダー・ジャンギロフがそうだった。
エルダー・ジャンギロフについてはもう1年以上前になるが、《食べある記》で紹介した。それは2013年3月5日の丸の内のコットン・クラブ公演で、このときはトリオだった。そのジャンギロフがちょうど1年ぶりにコットン・クラブへ帰ってきた。今度はソロで。これは聞き逃せない。キルギス共和国出身で、当然のことながらソ連時代の美の系譜ともいうべきロシア・ピアニズムの洗礼を受けたピアニストと考えれば、清流が流れるように歯切れのいい彼のテクニックがロシア・ピアニズムの強い影響を受けていると容易に想像できる。10歳で米国へ移住し、やがて西海岸の洗練されたピアノ奏法を身につけて注目を浴びるようになったが、28歳の輝かしいピアニズムがこの夜も心地よくはじけた。現在の彼はまるで20、30代の故オスカー・ピーターソンが突如甦ったかのよう。粒立ちのいい音色といい、強靭な左手が右手をリードするかのような才気ほとばしる演奏スタイルといい、時おり1920、30年代の懐かしいピアノ奏法を混えたジャンギロフの奔放なピアノ・ワールドが、<アイ・シュッド・ケア>を皮切りに、ガーシュウィンの<誰かが私を愛してる>や<エンブレイサブル・ユー>などのスタンダード曲に花を咲かせた。一方でファンキー・ジャズの代表曲<モーニン>などまさにオスカー・ピーターソンの再来とでもいいたい演奏。と思っていたら、ピーターソンのオリジナル曲で有名な「カナダ組曲」からのナンバーを演奏したのには驚いたし、心底ピーターソンに心酔する中で自身の奏法を究めたピアニストだと理解できた。最後はまたまたびっくり。何とガーシュウィンの<ラプソディ・イン・ブルー>。これをほぼ原曲通りに(中盤のみアレンジを加えたアドリブ風フレーズで遊び心を発揮)、しかも何らのミスもなく、コーダも原曲にそって弾き切ったのだ。いわば天才型のピアニストだが、彼が聴く者の心に強く訴える演奏をするようになったら、それこそ恐ろしいピアニストになるだろう。

♪ 7/19 アロルド・ロペス・ヌッサ

お次ぎはキューバ。ここからは才能豊かなピアニストが次々と現れる。ハバナでゴンサロ・ルバルカバの演奏を聴いたときの衝撃は未だに忘れもしないが、チューチョ・ヴァルデスや過日紹介したアルフレッド・ロドリゲスにいたるまで、クィンシ−・ジョーンズを驚喜させるピアニストが育つ風土、教育システムがキューバにはあるのだろう。
その1人になるかどうか。アロルド・ロペス・ヌッサを同じ丸の内のコットン・クラブで聴いた(7月19日)。最新CD『New Day』(Jazz Village)を引っさげての来日演奏で、2005年のモントルーでのソロ・ピアノ・コンペティションの入賞者ということで注目したが、アルフレッド・ロドリゲスが発揮してみせたような、天性のシャープな才覚にはやはり及ばなかったというのが率直な印象だった。ベースはホルヘ・サワ・ペレス、ドラムスがルイ・アドリアン・ロペス・ヌッサというトリオで、目をみはったのはドラマー、ルイの堅実にしてシャープなスティックさばき。<グアヒーラ>や<ロボス・チャ>などで聴衆を魅了したように、演奏の一部始終を理解した上で、そのときの展開に見合ったプレイを選択し表現する能力には感心させられた。彼はアロルドの実弟だというが、この兄弟のデュエットだったら、面白い演奏が期待できるのではないだろうか。

♪ 7/22 Miya presents『Tokyo Improvisers Festival』

フルート奏者Miya がデビュー10周年を迎え、『Tokyo Improvisers Festival』と銘打った興味深いコンサートを行った(7月22日、新宿ピットイン)。山下洋輔との共演でも知られる彼女は2010年に訪れたロンドンで開眼し、即興演奏家としての新たな1歩を踏み出した。ロンドンで体験したインプロヴァイザーズ・オーケストラで感性と創造力を刺激された彼女は欧州で研鑽を重ね、その成果を問うことになった。それが新宿ピットインでの Tokyo Improvisers Orchestra の一夜。ロンドンからドラマーのテリー・デイを迎え、小塚泰、横川理彦(vln)、山田光、森順治、吉田隆一(reeds)、金子雄生(tp)、萩野都、照内史晴(p)、吉本裕美子(g)、岡本希輔、カイドーユタカ、谷口圭祐(b)、荒井康太、白石美徳、山崎直人(ds)、松本ちはや(perc)、蜂谷真紀(voice)、木野彩子、佐渡島明浩(Margatica=dance)らの本邦の前衛派プレイヤーが集結。眼目はスコアに頼ることなく、フリーな音形やパッセージを指揮者(当夜は横川理彦、Miya、照内史晴、蜂谷真紀ら)の指示に従って演奏しながら空間演出の結果生み出されるフリーな美のオーケストラ・サウンドを即興的に創りあげていくことにある。インプロヴァイザーズ・オーケストラが放つ即興的美学の自由な息吹をまた浴びたいと思っているが、いわゆるフリー・ジャズとは違った面白さをぜひ体験するよう勧めたい。

♪ 5/21 ジャック・ディジョネット・トリオ

私が聴いたジャズでは何といっても、ジャック・ディジョネットのグループと、チック・コリア&ゲイリー・バートンが素晴らしかった。 ディジョネットはラヴィ・コルトレーン(sax)とマシュー・ギャリソン(b)を伴って登場した(5月21日、南青山・東京ブルーノート)。ディジョネットのドラミングは息が長い。音色とリズムの結びつきが不思議なテンションを生み、絵のようなスペースを導きだす。この夜、私が圧倒されたのはラヴィ・コルトレーン。父でもある偉大な巨星から解放されたのはそんな昔じゃない。だが、テナーを吹いても、ソプラノを吹いても、もう昔のラヴィはどこにもいない。<Atmosphere>に続く<Wise One>でラヴィが演奏した息の長いテナー・ソロはジョンとは違うラヴィの息吹が私の心を捉えて放さなかった。珍しくジャックがピアノを弾いたり、アンコールではラヴィがソプラニーノを吹いたりと、久しぶりに私たちの方も自然に笑顔がこぼれるような情景を楽しむことができた。時代が時代だったらラヴィは巨大な存在となって新たな脚光を浴びていたかもしれない。

♪ 6/18 チック・コリア・ソロ
 6/21 チック・コリア+ゲイリー・バートン・デュオ

オープンしたばかりの ”よみうり大手町ホール” の響きは実に気持がよかった。あたかも清流が滝から流れ落ちてくる、その澄んだ水しぶきを浴びている感覚を味わった。こんな経験はいつ以来だろうか。それはホー・シーハオという上海のチェロ奏者のリサイタルを聴いたときに感じた余韻だったが、ジャズでも変わらなかった。
ソロ・ピアノとゲイリー・バートンとのデュエットという、チック・コリアのコンサートはこのホールの規模がそう大きくないためか、実に気持よく聴くことができた。チックがソロ(6月18日)の開始前に、このホールが我が家のサロンであると思って楽しんで欲しいといった通り、ファンを1人づつピアノの横に座らせて、あたかもピアノでデッサンするような趣向をこらしたり、何と会場の平原綾香を紹介したり。何でも彼女が歌う<スペイン>に感動し、会場へ招いたのだという。彼女がコリアのピアノで歌う<スペイン>はまさに特別な聴きものとなったことは言うまでもない。彼女の天性のリズム感のよさ。コリアのピアノとの相性も微笑ましいくらいに抜群だった。最後にはゲイル・モランとのデュエットで<サマータイム>を熱唱。
ゲイリー・バートンとのデュエット演奏(同21日)は、モダン・ジャズ全盛期のエキサイティングなジャムを追体験させるかのよう。40年以上も前の2人の『クリスタル・サイレンス』が今に甦るかのような丁々発止が、<ラヴ・キャッスル>のオープニングから始まった。流れるような演奏とはよくいうが、まさにこの2人の演奏は清水が滝から流れ落ちるかのように闊達にほとばしり、水しぶきを浴びるような気持よさ。第2部は新作『ホット・ハウス』にも参加した注目のハーレム・ストリング・クヮルテットをフィーチュアしたステージで、さらに白熱化。アンコールには現コリア夫人のゲイル・モランがかつてチックに書いたラヴソング<Your Eyes Speak to Me>をチックの新アレンジで披露するなど、ホット・ハウスならぬホット・ナイトだった。

♪ 7/13 インゴ・メッツマッハー指揮新日本フィルハーモニー交響楽団

ツインマーマンという作曲家がドイツにいる。正確には「いた」というべきだろう。ベルント・アロイス・ツインマーマンは1970年8月10日にピストル自殺を図って自ら生涯を閉じた。享年52歳。70年8月といえば私がニューヨークに逗留中のことで、この訃報に接する直前、たまたま何気なく聴いていたFM放送でこの作曲家の<誰も知らない私の悩み>を聴いて強い印象を受けたことを突如思い出した。運命的な出会いというべき曲だった。黒人霊歌で最も有名なタイトルを持つこの曲は実はトランペット協奏曲である。その後この曲と出会えずにいたのだが、嬉しいことに新日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会(インゴ・メッツマッハー指揮/7月13日、サントリーホール)で宿願の再会を果たすことができた。
この曲は1954年の作品。54年といえば全米に人種差別反対運動の狼煙が上がったころだ。キング牧師の名を一躍轟かせたバス・ボイコット闘争が起こったのは翌55年のこと。ツインマーマン自身は米国のこの騒ぎを「人種差別の狂気」と言って腹立たしさを表現していたと、向井大策氏は触れている。曲は<誰も知らない私の悩み>を随所に様々な形で引用しながら、バロック時代のコラール前奏曲、12音技法を用いたヴァリエーション、及びジャズの演奏手法という、「時代的にも様式的にも異なる3つの形式原理が用いられる」(同氏)大きな特色を持つ。コラールと無調とジャズが溶け合う流れは、5本のサックス、ハモンドオルガン、ヴァイブなどジャズとの親和性に富む楽器のサウンドでさらに重層化しながら、トランペット・ソロを意味あるもの(公民権運動の盛り上がり)にしていく。メッツマッハーはツィンマーマンの思想に強く共鳴しているらしく、この4日後に新日フィルの定期で彼のオラトリオ風な大作<わたしは改めて、太陽のもとに行われる虐げのすべてを見た>の日本初演をおこなっている。スウェーデン出身のトランペッター、ホーカン・ハーデンベルガーのソロは劇的というのではなく、むしろクールで知的なアプローチを通してツィンマーマンへの共感を詩的に表現してみせた。いかにも北欧的な抑制の利いた演奏が聴衆の温かい拍手を誘った。拍手に応えたアンコールでハーデンベルガーが演奏したのは何と<マイ・ファニー・ヴァレンタイン>。ミュート奏法による1コーラスを聴きながら思いめぐらせた。彼もマイルスに夢中になった時代があったのだろう。
メッツマッハーという指揮者は、<エグモント序曲>(ベートーヴェン)を聴いただけで、新日フィルを世界有数のオケに育て上げていく可能性を確信した。ベートーヴェンの<運命>(19日、トリフォニーホール)でも、テンポは速めだがきびきびしていて、強弱が一体化したかくもスピーディーな快感を体感させてくれるこの指揮者には期待する。余りの熱演に弦楽奏者の多くの楽器の糸がすり切れたままメッツマッハーのエネルギッシュなタクトに集中している光景。このオケに何かが起こる先触れ現象かもしれない。去る8月13日に永眠したフランス・ブリュッヘンが振ったときでも、新日フィルはブリュッヘンが狙ったみずみずしい音を出した。このオケにはそんな柔軟性があるのだろう。

♪ 邦楽5選

想定した通り余白が尽きてしまった。最後に、聴く機会を得た邦楽のコンサートから強く印象に残った演奏を、ほんの数行のコメントを添えて紹介したい。

● 邦楽と語りの世界〜泉鏡花をきく〜下野戸亜弓
(3月31日、紀尾井小ホール)

下野戸亜弓の日本語は綺麗だし味がある。邦楽器(筝、太棹、笛、小鼓)と語り(雛がたり)で泉鏡花の世界に挑んだ筝演奏と朗読に彼女の進境を垣間見た。泉鏡花の幻想的な小品に彼女が音楽をつけた「ゆふ月」(初演)の詩情豊かな古典曲の趣きが忘れがたい。
彼女を紹介してくれたのはもとNHKの長廣比登志氏である。氏は昨年12月28日に病で亡くなられた。邦楽界のために尽力した氏の冥福を祈る。

● 三木稔コンチェルト作品特集/オーラJ〜第31回定期演奏会
(3月14日、渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール)

故三木稔の傑作コンチェルトを全5曲。坂田誠山、野澤徹也、木村玲子、藤川いずみらオーラJの精魂を結集した演奏で、改めて三木稔が邦楽にモダニズムの花を咲かせた偉業を思い、涙した。「三味線協奏曲」、「尺八協奏曲」、カデンツァ風ソロとアンサンブルが融合する「松の協奏曲」など。終曲の「わ」での邦楽器によるカデンツァ風リレー、ジャズを思わせるリズミックなスウィング感が出色だった。

● 邦楽オーケストラの誕生/日本音楽集団〜第212回定期演奏会
(7月9日、津田ホール)

日本音楽集団が50周年を迎えた。64年の第1回定期から一貫して邦楽の新しい地平を目指して活動してきたこの団体の流派を超えた演奏姿勢は今日も揺るがない。その64年の長澤勝俊、清瀬保二作品、ソプラノのヴォーカリーゼを起用した三木稔の「古代舞曲によるパラフレーズ」、とりわけ三善晃が急逝した佐藤敏直の楽想をもとに再構成した2001年作品「和楽器群によるランドスケープ」の抒情的な邦楽アンサンブルには胸打たれた。三善の「かごめ、かごめ〜〜」のエコーを感じながら、2013年10月4日に世を去った三善をしのんだ。

● 筝と尺八と管弦楽のための協奏曲(菅野祐悟作曲)〜Revive〜
日本フィルハーモニー交響楽団/藤岡幸夫(指揮)、遠藤千晶(筝)、藤原道山(尺八)〜第296回横浜定期演奏会より(4月19日、横浜みなとみらいホール)

今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の音楽を担当した菅野祐悟をフィーチュアしたコンサートで披露された邦楽器(筝と尺八)とオーケストラの協演で、世界初演。聴かせどころを心得た菅野の楽想と邦楽界屈指の売れっ子の活きのいい演奏が華やかな絵を生んだ。

● 出雲蓉の会〜上方・江戸の風情
(7月27日、国立能楽堂・研修能舞台)

三代目・中村歌右衛門が江戸から難波に故郷への錦を飾ったときに披露したという地唄「三国一」を中心に、出雲蓉が粋な着流しの素踊りを、あるいは時に滑稽な上方の地唄舞を歯切れよく舞い演じた。彼女がヨーロッパで習得したパントマイムの臨機応変さや即興味が独特のリズムや間(ま)の妙味を生むのに、プラスに働いたように見える。歌右衛門が大当たりをとった七変化舞踊を土産話にしたという座敷舞いを出雲蓉が舞うと、歌舞伎舞踊や能の舞いが庶民的な上方舞の軽みを帯びて微笑ましい。櫻川七好が屏風を立てた座敷で舞う素踊り(演奏は柳家紫文)のユーモラスな「ほこりたたき」もあり、上方舞の楽しさを久々に賞味することができた出雲蓉の地唄舞の会だった。(2014年8月16日記)

悠 雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。本誌主幹。

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FIVE by FIVE 注目の新譜


NEW1.31 '16

追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)

オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)

INTERVIEW
#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義

CONCERT/LIVE REPORT
#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
#875「ノーマ・ウィンストン・トリオ」神野秀雄


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