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Vol.62 「五線譜に描いた夢 日本近代音楽の150年」を見て  text by Mariko OKAYAMA

 東京オペラシティ・アートギャラリーで「五線譜に描いた夢 日本近代音楽の150年」という展覧会が開催された(2013年10月11日〜12月23日)。幕末、明治に西洋近代の文化と接触し、新たなスタートを切った日本の音楽の150年の変遷を、明治学院大学日本近代音楽館の所蔵資料を中心に、全国の資料館、美術館、個人蔵の貴重な資料も加えたおよそ300点で4つのセクションに分けて展示したもの。時代背景を伝える映像も含め、実際の音を聴取できる工夫もあり、開国以来の音楽文化史を立体的に俯瞰できる大規模な企画である。会場では8回にわたるミニ・コンサートも開かれ、充実した内容となっていた。
 第1セクションは<幕末から明治へ>で、外国軍隊の軍楽の響きに好奇心をもつ庶民の姿などを描いた絵をはじめとし、讃美歌や唱歌集、当時のオルガンなどとともに西洋音楽の普及の過程、伊澤修二が掲げた理念と音楽取調掛の設置、音楽教育制度の確立といった近代化の流れが提示されている。制定された音楽教育における西洋音楽偏重は、近年大きな問題とされ、2002年に学校教育に邦楽が導入されたが、この時の文科省のお役人へのインタビューで、その道のりの長さと困難を嘆息していたのを思い出す。学校教育にとどまらず、全国に網羅されたヤマハやカワイの音楽教室の数を思えば、邦楽は教える人材やシステムもふくめ問題山積と言える。改めて明治の「近代化」について考えさせられた。
 第2セクションは「大正モダニズムと音楽」。山田耕筰の大きな油彩の肖像画や『曼荼羅の華』のスケッチ、『からたちの花』自筆譜など、その仕事ぶりが目をひく。彼が日本の20世紀音楽に果たした役割の大きさが実感される。山田らによる芸術歌曲創作、『赤い鳥』に象徴される童謡運動、浅草オペラなどオペラやオペレッタの隆盛と、大正期は清新な空気に満ちている。プロコフィエフの来日公演のプログラム(複製)なども興味深い。外来音楽家の来日の稀少な時代、どれほどの刺戟を音楽界に与えたか。日本の音楽批評の先達、大田黒元雄の著作『バッハよりシェーンベルヒ』も感慨深いものがある。啓蒙期における大田黒や野村光一らの仕事から、批評が意識的に自立したジャンルとなるのは、山根銀二ら第二世代をへて、第三世代ともいうべき吉田秀和や遠山一行の登場によってだが、その批評も、今日のネット社会のなかで変質してきている。情報の洪水の前で、批評はどうあるべきか…。
 第3セクションは「昭和の戦争と音楽」。1925年開始のラジオや、大正半ばから一般に普及したレコード、昭和初期のトーキーなど、昭和の音楽は新たなメディアによって多彩な展開を見せる。新興作曲家聯盟や日本プロレタリア音楽家同盟などが結成され、新しい作品が次々と生まれる。その発表会のプログラムやチラシなどからは、当時の作曲家たちのいかにも覇気に満ちた表情が見えるようだ。清瀬保二の歌曲集や松平頼則の作品、貴志康一、深井史郎らの自筆スコアなどが並ぶ。だが1931年の満州事変を境に、日本は一挙に戦争への道を歩き始め、政府の奨励による「愛国歌」や「軍国歌謡」、国民の健全な精神をつくるべく意図された放送番組「国民歌謡」など、音楽は戦時色に塗り込められるのである。『君死にたもうことなかれ』の吉田隆子の筆写譜はそんななかで異彩を放つ。信時潔『海ゆかば』の自筆スコア、瀬戸口藤吉『愛国行進曲』などとともに、音楽報国挺身隊の赤い腕章からは、「音楽は軍需品」とされた当時の空気がダイレクトに伝わってくる。昨今、「日本を取り戻す」の掛け声とともに、特定秘密保護法を成立させ、憲法改正や愛国心を言い立てる安倍総理の言動が展示にオーバーラップし、背筋が寒くなった。


 

 第4セクションは「戦後から21世紀へ」。終戦時に少年、青年であった日本の若手作曲家たちは、メシアン、J・ケージら欧米の前衛へと接近する。武満徹らの実験工房や、柴田南雄らによる二十世紀音楽研究所が主導する日本の前衛運動は、彼らの青春の輝きとともに高揚する。そのコーナーからは、生き生きした実験精神が満ちあふれるようだった。柴田や入野義朗、早坂文雄、湯浅譲二、武満徹、黛敏郎、林光、間宮芳生、池内友次郎、矢代秋雄、松村禎三、三善晃、一柳慧、諸井誠、石井真木ら、戦後を築いた作曲家たちの自筆譜からは、それぞれの語法を探るそれぞれの音楽の独特な顔立ちが浮かんで来る。細川俊夫、西村朗ら、今日のスターたちのスコアも並ぶ。壮観である。日本の現代音楽が世界へとはばたくさまも一目瞭然。戦後から今日まで、一気に駆け抜けるような作曲家群像に圧倒された。なかでは、湯浅譲二『内触覚的宇宙』、矢代秋雄『交響曲』、松村禎三『沈黙』の自筆スコアが印象的。一方、各地のオーケストラの活動の様子も、そのプログラム展示からわかるようになっている。創作も演奏も、日本が150年かかって築き上げた財産は実に豊かだ、といささかの興奮を覚えたのであった。
 これだけの展示を可能にしたのは、明治学院大学日本近代音楽館の力である。その前身は麻布にあった日本近代音楽館で、もともとは批評家の遠山一行が旧邸に構えた遠山音楽図書館から出発している。ここには山田耕筰文庫をはじめとし、日本の作曲家たちの自筆譜もふくめた貴重な資料およそ50万点が収集、保管、公開されている。作曲家の没後、作品の散逸を守ってこられたのは、この音楽館の存在が絶大で、遠山の偉業の一つと言えよう。私は、闘病中の三善晃作品の全てを三善宅から音楽館に搬出する手伝いをしたことがあり、館の重要性を痛感した。このとき、搬出の指揮をとったのは音楽館の林淑姫氏で、一つ一つのスコアを白手袋でボードに丁寧に挟み込み、処理してゆく。その手際のよさと、作品への深い愛情に、しみじみ打たれたことだった。今回の展示も、氏の尽力のあとがくっきりと見える。氏は展示にともなって開かれたミニ・コンサートのうち5回の解説を担当したが、聴けなかったのは残念だった。
 21世紀はニューヨーク・テロによって幕を明けた。憎悪と報復の連鎖。一方で東日本大震災と福島第一原発事故。そうして平和憲法を変え、戦争の出来る国を企む輩たち。この100年がどんな時代として歴史に書き残されるか。今日の日本の作曲家たちは、そこにどのような音を刻んでゆくのか。注意深く見つめてゆきたいと思った。


丘山万里子

丘山万里子:東京生まれ。桐朋学園大学音楽部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。日本大学文理学部非常勤講師。著書に「鬩ぎ合うもの越えゆくもの」(深夜叢書)「翔べ未分の彼方へ」(楽社)「失楽園の音色」(二玄社)他。

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追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
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#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

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