Vol.64 | すごいジャズには理由(ワケ)がある

text by Masahiko YUH

 岡田暁生という音楽評論家がいる。数年前、ふとした機会に、私は氏が書かれたオーネット・コールマン論を目にする機会があった。それは例えていうなら学者の論文を思わせる緻密な構成と分析を強く印象づけるもので、折りがあればお会いしてコールマン論をたたかわしたいものだと思っていた。
 1年ほど経った昨年の6月、<音楽学者とジャズ・ピアニストの対話>という副題のついた著作が出版され、送られてきた本を見て驚いた。作者の名前に岡田暁生とあったからだ。クラシック音楽の愛好家ならとっくにご存知だと思うが、岡田暁生氏は朝日新聞のクラシック音楽のコンサート評で健筆をふるっておられるのでクラシック音楽以外のファンにもご存知の方が少なくないのではないだろうか。上に掲げたタイトルは実はその著作の正式標題だ。すなわち、クラシック音楽の著作ではない。クラシックの評論家が書いたジャズの本である。著者の岡田暁生氏は京都大学人文科学研究所の教授という肩書きをお持ちのクラシック音楽の批評家だが、その彼がジャズの、それも捉えようによっては、ときにジャズを専門に執筆や評論の活動を生業にしている人たちの思考の間隙を突くかのような著書を上梓したのだから、彼のクラシック音楽評論に関心を寄せていた人々にとっては驚きの1冊だったといっていいかもしれない。冒頭に掲げたこの著作の正式タイトルに限っていえば、それはジャズ・ファンの好奇心を誘わずにはおかないが、ジャズ・ファンとかクラシック愛好家とかにかかわらず騙されたと思って読んでも決して損はない。実際、読み進めばすぐに分かる。彼がいかに真摯なジャズ愛好家であり、ジャズ批評家でないことを自覚しながらも果敢にアタックしている音楽を愛する好漢だということが。
 副題に目を移そう。<音楽学者とジャズ・ピアニストの対話>とある。音楽学者とはむろん岡田暁生氏のことだ。では、ジャズ・ピアニストとは誰のこと?実はそのピアニストこそ、共著者ともいうべきフィリップ・ストレンジ氏である。ジャズ通はよくパーカーは凄い、エリントンは凄いというが、ではパーカーのどこがそんなに凄いのか。それを的確に説明してくれる人は滅多にいない。岡田暁生氏がパーカーならパーカーがなぜその音をそこで使い、パーカーの「どこがそんなにすごいかを具体的に知りたい」と答えを求めているときにたまたま巡り会ったピアニスト、それがフィリップ・ストレンジ氏だったというわけである。彼と会ったことが契機となって、何となく好きだったジャズに、岡田氏はついにはのめり込むことになった。これが、西洋音楽の学者として半生を過ごしてきた岡田暁生氏がジャズに真に目覚めた決定的な出会いとなった。これこそ彼にとってのまたとない僥倖だったといってもよいだろう。そのいきさつを前書きの中で氏は明かしている。「50歳となった2010年夏、”祇園(京都)のCandyという小さなライヴハウス”で初めて彼の演奏を聴いて」すっかり心を奪われた氏は、「ダメもとでその場でレッスンをお願いして以後、3年半のあいだに月3回くらいのペースでレッスンを受けてきた」と、いうのだ。ジャズに対して歴史や優れた演奏技法の解説や理論ではなく、ジャズの演奏実技の面白さをピアノ演奏からアプローチする。こんな方法でジャズの面白さに肉迫しようとした人を私は過去に知らない。パーカーやマイルスのジャズが凄いのは言わずもがなだが、それにしても岡田氏の執念も凄い。歴史的知識ではなく、音楽的実践からジャズにアタックし、何となく好きだったジャズの魅力を現場での実践を通して理解していったというのだから、いやはや恐れ入る。
 もっともフィリップ・ストレンジといっても、ご存じない人の方がむしろ多いのではないか。とりわけ東京をはじめ関東界隈のジャズ・ファンには彼の名を知らない人の方が多いのではないかと推察する。私も詳しくは本書で知った。岡田氏はストレンジ氏が演奏していた祇園のライヴハウス”Candy”で出会い、「圧倒的なピアニストとしての能力、無限とも思えるファンタジーと創意、そして繊細きわまりない音楽性に仰天」とみずから書いているくらいだから第一級の力量を持つピアニストであることは察しがつく。

 本書の最後にある著者紹介のコーナーにある略歴には次のようにあった。フィリップ・ストレンジは1960年テキサス州出身で、アリゾナ州立大学で音楽教育をおさめた、とある。すると、ブランフォード・マルサリスや小曽根真(1961年)らと同年齢ということになる。続けて、88年にグレン・ミラー・オーケストラのメンバーで初来日。直後に神戸の甲陽音楽院で10年間教鞭をとったとあるので、関西地区では比較的名が通っていたと考えられる。2003年にはキース・ジャレットの即興についての論文で博士号を取得したというから、これまた凄い。この著作の本文中で彼は自分の先生がクレア・フィッシャーであると明かしている。フィッシャーならこの場面ではこの和声をこんな風に変形して提示するだろう、といった教えをストレンジ氏から受けたゆえにこそ岡田暁生氏もジャズ演奏の魅力に開眼していったということになるだろう。この後2005年までマイアミ大学の講師としてジャズ・ピアノを教え、当時デイヴ・ホランドや故ジョー・ヘンダーソンら名だたる多くの名手と共演した。特に目を引いたのが、ダウンビート誌から2002年に最優秀器楽ソロイスト、及び最優秀オリジナル作曲の分野で選出されていることだろう。それにしても何とまぁ、この略歴を読む限りでは第一級のピアニストではないか。むしろ知らない方がおかしいくらい。私など不勉強のそしりを免れまい。わが国では吹込レコードの発売が海外演奏家の人気を左右する。彼の演奏CDが日本のレコード社から発売され、ジャズ専門誌から取り上げられていたら、間違いなく大きな脚光を浴びる存在となっていたかもしれない。
 さて、この著書で取り上げられている”すごいジャズ”を演奏するミュージシャンは、アート・テイタムにはじまり、チャーリー・パーカー、マイルス・デイヴィス、オーネット・コールマン、ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンスの6人。歴史的な評価を得た”すごいジャズ”と聞いて、その瞬間頭に思い描くジャズやジャズ演奏家は人それぞれだろう。たとえば、デューク・エリントンだったり、チャーリー・パーカーだったら彼の「ヤード・バード組曲」だったり、あるいはソニー・ロリンズの「マック・ザ・ナイフ」やジョン・コルトレーンの「至上の愛」だったり、人によってはマイルス・デイヴィスの「アランフェス協奏曲」だったりするかもしれない。人それぞれであろう。本書でフィリップ・ストレンジ氏や岡田暁生氏がジャズの「脱物語化」と言い表しているように、両者がここで話の中心においているのは”すごいジャズ”そのものであって、麻薬による辛酸をなめた話や人種差別などの歴史的背景ではない。たとえばパーカーの演奏(アドリブ)で、「この音がああではなくこうなのがすごい」とズバリ指摘して名演奏の真髄に迫っているところが、従来の専門書やジャズの専門家による著書とはまったく違う視点であり、面白さだ。繰り返すが、音楽そのものとは関係のない「エピソードや薀蓄」は二の次に、パーカーならパーカーがなぜその音を使い、彼の演奏の「どこがそんなにすごいかを具体的に知りたい」という氏自身の素朴な欲求に答えてくれるフィリップ・ストレンジというピアニストと出会ったことで、氏は真にジャズに開眼できたということになる。言い換えれば、氏のさまざまな疑問に明快な回答を与えてくれたフィリップ・ストレンジという米国の知的なピアニストと出会わなかったら、岡田氏にとってこんなにエキサイティングな経験はもしかすると一生起こらなかったかもしれない。師と呼べるフィリップ・ストレンジ氏との出会いが、岡田氏の脳裏をおおっていた暗雲を瞬く間に吹き飛ばしたことになる。

 登場する”すごいジャズ”を演奏したミュージシャンが6人と知って、たった6人だけ?といぶかしく思った人もおいでだろう。また、なぜセロニアス・モンクでなくてビル・エヴァンスなのか、あるいはナット・キング・コールでもバド・パウエルでもなく、なぜアート・テイタムなのか、なぜセシル・テイラーではなくオーネット・コールマンなのか等々、私のようなひねくれ者なら嫌みや文句の1つもいいたくなるに違いない。思うに、もしかすると反響次第では、続編として第2弾や第3弾も考慮に入れた出版社が、まずは手頃な価格でジャズ・ファンの気持を打診しようとした結果かもしれない。仮りにそうだとした場合セロニアス・モンクやバド・パウエル、ナット・コールやセシル・テイラーは第2弾以降に登場する有力候補となるはずで、ルイ・アームストロング、ベニー・カーター、ソニー・ロリンズ、チャールス・ミンガス、エリック・ドルフィー、マックス・ローチ、あるいはデューク・エリントンやカウント・ベイシー、ビリー・ホリデイ等々の”すごいジャズ”を、ストレンジと岡田両氏が今後取り上げる可能性についての出版社サイドの瀬踏みがもしかすると隠れているかもしれないのである。フィリップ・ストレンジ氏が第2弾以降で披露する可能性があるなら、これらミュージシャンの”すごいジャズ”の秘密にぜひ接したいと手ぐすねを引いているジャズ・ファンが少なくないと読めば、出版社はそういったファン心理を見据えた上で本書の続編を考慮に入れたアプローチをとるだろう。げすの勘ぐりなどというなかれ。そのくらいストレンジ氏のアプローチとそれを引き出す岡田氏のリードや相づちがユニークで面白いのだ。たとえばミュージシャン志向がある人には、そうか、そうだったのかと膝を打つ場面があって、ますますジャズへの関心が深まるのではないだろうか。
 ストレンジ氏は挨拶文の中で書いている。「アーティストの真価とは最終的には彼らの芸術のクォーリティにもとづくもの。ジャズはいわば、プレ・コンポジションと、リアルタイムでなされるコンポジションとが混ざり合ったような音楽です。私と岡田暁生氏は、偉大な芸術家たちを例にとりながら、音楽そのものの発展にもとづいたモダン・ジャズ史を描きだそうと試みました」(プレ・コンポジションが即興演奏の材料で、リアルタイムでなされるコンポジションがアドリブであることはいうまでもない)。
 ここらで、両氏が試みている最も印象的な”すごいジャズ”の例を、マイルス・デイヴィスのモード・ジャズからピックアップしてみよう。マイルスは「So What」で一躍注目を集めた『Kind of Blue』によってバップ(ハード・バップ)の機能和声から脱皮するモード・ジャズ時代を導きだすことに成功した。ところが、マイルスはほどなくモード・ジャズのさらなる展開についてはジョン・コルトレーンに託し、みずからはすでに別の関心に向けた歩みの緒についていた。その新しい関心とは何か(クイズにしてジャズ・ファンに提供したら面白いかも?)。岡田暁生氏はてっきり『ビッチェズ・ブリュー』に代表される<エレクトリック・マイルス>だと 思い込んだ。しかし、師のストレンジ氏が首を横に振った。そして、出した答えが俗にいう<ミックスト・モード(Mixed Mode)時代のマイルス>だったのである。
 マイルス・デイヴィスはコルトレーンと袂を分かった後、やがてハービー・ハンコックやロン・カーターらを擁した新グループを組織した。そして64年9月、ジャズ・メッセンジャーズとの関係を正式に清算したウェイン・ショーターが晴れて参加したことで、マイルスは静止したままだったモード・ジャズのハーモニーを動かす策をショーターやハンコックらの頭脳を借りて展開する挙にでたのだ。「この時代のマイルスを聴いてみよう」とストレンジ氏がかけたレコードは『Miles Smiles』の中の「Circle」。聴きながら解説していく。「いまはフリジアン・モード(フリギア旋法)だね……次の小節はドリアン・モード……いまはコンビネーション・ディミニッシュト・スケール……またフリジアンに戻った……こんどはミクソリディアン・モード……」。この「Circle」のアイディアがもしやハンコック由来ではないかと推量して、ストレンジ氏はハンコック作の有名な「Dolphin Dance」を例に出した。そして、「小節ごとに和声は変化するんだけど、ひじょうに自由に進む。また各和声ごとに使うモードが変わるんです」と説明する。文字にすると分かりにくいかもしれないが、実際に「Circle」や「Dolphin Dance」を聴きながらストレンジ氏の解説を読むと、霧が晴れるかのようにスカッと理解できる。もやもやが一掃される。「バップの基本は5度進行が中心。完全5度は自然倍音の法則から来ていますから、すごく論理的。でもミックスト・モードは心理的です。これに近いものとしては汎全音階的和声もあります。どのハーモニーからどのハーモニーにいってもかまわない。たとえば、ストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』の<ロシア・ダンス>だって汎全音階的和声の典型。機能和声だったらG7の和音はCに解決しないといけない。でもストラヴィンスキーではG7から始まってCに進み、G7へ戻る!んです」。

 そうしたストレンジ氏の説明の中で、岡田暁生氏が強く印象づけられたのはストレンジ氏のいう<動機の展開>だった。「考えてみれば基本的にジャズは、即興でやる”変奏曲”である。そして材料(テーマ)に隠れている可能性をきわめつくすことこそ、高度の変奏技法の秘訣だ。バッハもベートーヴェンもこうした変奏の巨匠であり、同時に即興演奏の名手でもあった」と納得するところが岡田氏らしい。
 実際、ストレンジ氏が指摘するように、マイルスに限らず多くの傑出したプレーヤーの演奏はバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、シェーンベルクらと同じで、彼らは素材展開の名手だ。マイルスはこれをパーカーとの共演で学んだ。その好例が「All Blues」だとストレンジ氏は指摘した。ほんのわずかな例を見るだけでも、ストレンジ氏の回答や解説が的を射抜いていることが分かる。彼が薀蓄を語ることはほとんどないし、ジャズの歴史に論点を移すこともない。だが、優れた演奏家である氏の指摘や分析は決して正鵠を誤ることはなく、常に的を突いている。だからといって、彼はこれからプロの演奏家を目指す人々に知恵や方法論を伝授しようとしているわけではない。ジャズの楽しみ方を演奏家の立場で解説しながら”すごいジャズ”に隠された真実を一般のジャズ愛好家が納得できるように解き明かしていくのだ。なるほどそうだったのかと目から鱗が落ちるような快感を、この本を読まれた方々は熱く体験することができるのではあるまいか。
 最後にもうひとつ。両者はなぜ、たとえばセロニアス・モンクではなく、アート・テイタムを選んだのか。その答えは、テイタムは「ジャズにおける最初のモダン・ミュージシャンのひとり」だからと言い切ったストレンジ氏の言葉に裏書きされている。そのあかしの1つとして、彼が驚くほど斬新なハーモニーをたくさん使っていることを挙げる。モダン・ジャズではドミナント和音(X)のとき5度や9度の音にシャープ(♯)やフラット(♭)をつけて半音変化させる。テイタムはこうした奏法をすでに積極的に使用していたと指摘して、ストレンジ氏はテイタムが♭9(フラット・ナインス)と♯9(シャープ・ナインス)をほぼ同時に弾いた例を聴かせ、「まるでセロニアス・モンクみたいな、ものすごくモダンな不協和音」として読者を納得させる。モンクが「Lulu's Back in Town」で裏コードを使用した例を出して、「ひじょうにアート・テイタム的だ」とさえ言っている。また、モダン・ジャズではもとのコード進行とはまったく関係のない別の調性のパッセージを挿入するという、いわば演奏家が機転を楽しむといったテクニックをしばしば用いる。ストレンジ氏によれば、これは「サイド・スリッピング」という技法で、「脇(サイド)の調性にほんの一時スリップする」という技法。これがアート・テイタムの演奏にしばしば見られると喝破する。つまり、テイタムはパーカーやパウエル同様にすこぶるモダンなコンセプトを持ったピアニストだったのだというのだ。それがパーカーの前にテイタムを本書の劈頭においた理由ということになるのだろう。ストレンジ氏がいかにテイタムを敬愛していたかが分かる。のみならずその愛情が「テイタム」の項に横溢している点でも読み応えがある。
 もっとも、ストレンジ氏だって人の子であり、ときに階段を踏み外すような発言をすることが皆無というわけではない。たとえば、何か悪い例を挙げて欲しいという岡田氏の誘いに乗って、アルト奏者リッチー・コールのある演奏に、「カッコイイ。でも何も考えてない。手のパターンだけ」と切って捨てるところなど、リッチー・コールの熱烈なファンだったら喧嘩を売りたくなる類いの発言かもしれない。あるいは、「マイルスはウィントン・マルサリスの対極のようなタイプです。マルサリスはものすごくうまい。だからこそというべきか、<自分のヴォイス>というものがあまりない」と。ウィントンの支持者の激烈な反論が返ってきそう。私も必ずしも彼のウィントン評にはくみさない。とはいえ、自分の考えや意見を繕うことなく率直に披瀝するところはいかにもアメリカ人らしいし、ストレンジ氏の率直な人間性なのだろう。そうと冷静に理解できれば、ストレンジ氏のジャズへの愛情の深さは本書を読むだけでも強くアピールしてくる。
 なお、ここでは取り上げられなかったチャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーン、オーネット・コールマン、ビル・エヴァンスらの分析も実に興味深い。ぜひ折りを見つけてお読みいただきたい。過去のどんなジャズの著作とも違う視点に立つユニークな面白さを味わうことができるはずだ。また、クラシックの批評家でありながら、その一方でジャズ・ピアノを演奏し、ジャズについての優れた見識をお持ちの岡田暁生氏が個性豊かな二刀流の批評家として健筆をふるわれることを強く期待したい。



『すごいジャズには理由(ワケ)がある』岡田暁生、フィリップ・ストレンジ著(アルテスパブリッシング)

悠 雅彦

悠 雅彦 Masahiko Yuh
1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、朝日新聞などに寄稿する他、ジャズ講座の講師を務める。
共著「ジャズCDの名盤」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽之友社)他。本誌主幹。 。

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追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
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by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
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第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


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