MONTHRY EDITORIAL02

Vol.65 『アンネの日記』から text by Mariko OKAYAMA

 この春、都内と近郊の図書館や書店でアンネ・フランク関連本の一部が引き裂かれるという事件が頻発した。被害は杉並区の図書館を中心におよそ300冊以上に及び、図書館をよく利用する私はショックを受けた。4月に逮捕された犯人は「アンネの日記は偽物だということを主張したかった。」と言ったそうだ。偽物説は発刊当初からあったが、詳細な研究と検討によって本物であると証明されている。だが、ヨーロッパでも、いわゆるネオナチによるホロコーストの否定など、今日も根強い反ユダヤ主義がとりわけ若者達の心を掴んでいる。私もドイツ在住時に、スキンヘッドにハーケンクロイツの若者たちをたまに街で見かけ、慄然とした。ドイツでは小学校から、ナチズムの犯した罪を学ぶ教育がなされているが、にもかかわらず、こうした動きはとまらない。日本でも、たとえば南京大虐殺をなかったと主張、自虐史観として批判する人々がこのところ勢いを拡げ、政治の舞台でも大手を振るようになった。本誌で2回にわたり連載された悠雅彦主幹の《今月の論点》における人種差別問題は、今や私たちの身近な日常にまで及んできている。友人がヘイトスピーチについての意見をブログに書いたら、ものすごい数の攻撃メールが届き、もう政治的発言はしない、と愚痴っていた。ネットにおける悪意の増殖は空恐ろしいばかりだ。

 私は以前、旅の途上、アムステルダムでアンネの家を訪ねている。運河に面した通りに立つ建物の内部は当時をそのまま保存したもので、隠れ家の入り口となった本棚から居間、屋根裏部屋など、ひととおり見て回った。彼女と同じ年頃、つまり中学生の時に読んだ『アンネの日記』と、およそ2年におよぶ潜伏生活に思いを馳せる。人は生まれを選べない。いや、生まれによる「差別」そのものが理不尽・不条理であるのに、なぜ人間はいつの時代も「差異」を「差別」と直結させるのか。展示されていた日記のしっかりした筆跡に、作家を夢見た一人の少女の熱い鼓動が伝わってくるようで、言いようのない気持ちに襲われた。
 本の破損事件のあと、増補新訂版『アンネの日記』を読み直した。フランク一家で唯一生き残った父親が削除・編集して出版した初版本に対し、この新版は自筆原稿に基づき、その他の記録からの補完も含む内容で、家庭内での争いや性の問題なども赤裸々に描かれている。13歳の誕生日に贈られた日記帳は、潜伏以前のアンネのヴィヴィッドな日常の報告からはじまるが、同時に、彼女が心のなかに抱える孤独の感情の告白も記されている。愛する両親と16歳の姉、30人くらいいる友達に囲まれながら「13歳の女の子が、この世でまったくひとりぼっちのように感じている」ことを日記はまず、知らせるのである。この孤独感は、思春期にありがちなものとも言えようが、それは潜伏生活のなかでも彼女を苛み、また支えにもなってゆく。日記に一貫して読み取れる彼女の明るさと強さは、内面に深く孤独を知るもののそれでもあった。それは表現行為に必須のもので、アンネは明らかに一個の表現者だったことを改めて思う。
 ユダヤ人弾圧のさまざまな法令はすでにアンネたちの生活をおびただしく浸潤していた。日記はそれを克明に伝える。黄色い星印をつけなくてはならない、電車に乗ってはならない、車の使用の禁止、午後3時から5時の間にしか買い物ができない、ユダヤ人の床屋にしか行ってはならない、夜8時から翌朝6時まで外出禁止、劇場や映画館、その他の娯楽施設、いっさいのスポーツ施設への立ち入り禁止、通学はユダヤ人学校のみ、などなど。それでも彼女は「かといって、毎日を生きるのをやめるわけにはゆきません。」「わたしたち一家四人は、あらゆる点で順調にやってきました。」と言うのである。
 潜伏の日は突然やってきた。アンネの父は香辛料などを取り扱う商会の社長だったが、身の危険を感じ準備していた隠れ家、つまり会社の上階へアンネたちを連れてゆく。着込めるだけのものを着込み、持てるだけのものをありったけ持って道を歩いてゆく彼女たちの姿を、通りすがりの人々は気の毒そうに見ていたという。「ぜったいに外に出られないってこと、これがどれだけ息苦しいものか・・・でも反面、見つかって、銃殺されるというのも、やはりとても恐ろしい。こういう見通しがあまりうれしいものじゃないのはもちろんのことです。」と彼女は書く。
 潜伏を助ける階下の社員たちから伝えられる悲惨なニュースで、アンネたちはユダヤ人の受けている恐ろしい迫害を逐一知っていた。収容所のことも、ガス室のことも。アンネは恐怖にうちのめされる一方で、「ここにいるわたしたちは、なんてしあわせなのでしょう。手厚く面倒を見てもらって、なんの不安もなく暮らせるのですから。」窓は塞がれ、足音も立てられず、水を流す時間もわずかに限られ、外気に触れることもない息詰る生活であっても、彼女は生きている幸福を噛みしめるのである。そうして「いまの暮らしは、過去の財産を食いつぶして生きているようなものですから。なのにわたしたちは身勝手にも、<戦後>のことを語り合ったり、新しい服や新しい靴のことを夢見て、胸をときめかせたりしています。ほんとは、わずかでもお金を倹約して、戦争が終わったときに、困っている人たちを助けたり、なんとか戦火をまぬがれたものを救うために、力を尽くしたりしなけりゃいけないのに。」この年齢の、このように過酷な状況のなかでも、彼女は冷静に自分と世界とを見つめる眼を持ち続けた。
 同居する知人一家の息子ペーターとの淡い恋は、アンネにつかの間の春をもたらす。唯一、開けることを許された屋根裏部屋の窓から、ペーターとともに見上げる空に「こういう自然が存在するかぎり、たとえどんな環境にあっても、あらゆる悲しみにたいする慰めをそこに見いだすことができる。自然こそは、あらゆる悩みへの慰安をもたらしてくれるものにほかならないのです。」と書く。


 

 迫害の理不尽へも思いを巡らす。「いったいだれが、このような苦しみをわたしたちに負わせたのでしょう。だれがユダヤ人をほかの民族と区別させるようにしたのでしょう。だれがきょうまでわたしたちを、これほどの苦難にあわせてきたのでしょう。」この問いは、しかし「勇気を持ちましょう。ユダヤ人としての使命をつねに自覚し、愚痴はいいますまい。解決のときは必ずきます。」という決意で締めくくられる。中学生の少女のその心の強さ。あるいは、こうも問いかける。「いったい全体、戦争がなにになるのだろう。なぜ人間は、お互いに仲良く暮らせないのだろう。なんのためにこれだけの破壊がつづけられるのだろう。」と。そうして「戦争の責任は、偉い人たちや政治家、資本家にだけあるのではありません。そうですとも。責任は名もない一般の人たちにもあるのです。そうでなかったら世界じゅうの人びとはとうに立ち上がって、革命を起こしていたでしょうから。もともと人間には破壊本能、殺戮本能があります。殺したい、暴力をふるいたいという本能があります。ですから、全人類がひとりの例外もなく心を入れかえるまでは、けっして戦争の絶えることはないでしょう。」と続ける。が、「人の本性は善であると私は信じている。」とも語るのである。
 幸福についての彼女の思索は深い。「どんな富も失われることがあります。けれども、心の幸福は、いっときおおいかくされることはあっても、いつかはきっとよみがえってくるはずです。生きているかぎりは、きっと。孤独なとき、不幸なとき、悲しいとき、そんなときには、どうかお天気のいい日を選んで、屋根裏部屋から外をながめる努力をしてみてください。街並みだの、家々の屋根を見るのではなく、その向こうの天をながめるのです。恐れることなく天を仰ぐことができるかぎりは、自分の心が清らかであり、いつかはまた幸福をみいだせるということが信じられるでしょう。」
 屋根裏の窓から、彼女はいつでも天を仰いだ。「わたしには、混乱と、惨禍と、死という土台の上に、将来の展望を築くことはできません。この世界が徐々に荒廃した原野と化してゆくのを、私はまのあたりに見ています。つねに雷鳴が近づいてくるのを、いつの日かわたしたちをも滅ぼし去るだろうといういかずちの接近を、いつも耳にしています。幾百万の人びとの苦しみをも感じることができます。でも、それでいてもなお、顔をあげて天を仰ぎみるとき、わたしは思うのですーーーいつかはすべてが正常に復し、いまのこういう惨害にも終止符が打たれて、平和な、静かな世界がもどってくるだろう、と。それまでは、なんとか理想をたもちつづけなくてはなりません。だってひょっとすると、ほんとにそれを実現できる日がやってくるかもしれないんですから。」こう記したおよそ3週間後に、アンネたちは密告によってゲシュタポに逮捕され収容所に送られた。

 異質なものへの不寛容、排除は、今日の世界でもなお、多くの殺戮を生み出している。血を血であらう抗争は繰り返され、果てることがない。日本の日常でも、他国人へのヘイトスピーチばかりでなく、たとえば放射能汚染に苦しむ福島の人々、その子供たちへの差別となって現れている。「結婚できない」「子どもを産めない」。そんな不安を抱える福島の若い世代に、私たちが何をできるか。アンネが戦争責任は一般の名もない市民たちにもある、と喝破したように、原発や憲法について、私たちは自分自身の問題として、ひとりひとり真摯に向き合わねばなるまい。未来に禍根を残さないための、それは私たちの歴史的責任である。


丘山万里子

丘山万里子:東京生まれ。桐朋学園大学音楽部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。2010年まで日本大学文理学部非常勤講師。著書に「鬩ぎ合うもの越えゆくもの」「からたちの道 山田耕筰論」(深夜叢書)「失楽園の音色」(二玄社)、「吉田秀和 音追い人」(アルヒーフ)、「波のあわいに」(三善晃+丘山万里子/春秋社)他。

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FIVE by FIVE 注目の新譜


NEW1.31 '16

追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)

オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)

INTERVIEW
#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義

CONCERT/LIVE REPORT
#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
#875「ノーマ・ウィンストン・トリオ」神野秀雄


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