Vol.40 | 姜泰煥@宇都宮市be off 2014
Kang Tae Hwan @be off, Utsunomiya 2014

姜泰煥の音楽の真髄に触れたいのならばソロに限る。韓国や日本のミュージシャンとの共演でも優れた演奏を聴かせてくれるのだが、何事も超克したようなある種の境地を味わうにはやはりソロが良い、と私は勝手に思っている。毎年のように来日している姜泰煥だが、なかなかソロでの演奏を観る機会がなかった。しかし、2014年のツアーでは宇都宮のbe offでソロ演奏するというので、出かけることにした。

宇都宮駅前の繁華街からやや離れた東武宇都宮線南宇都宮駅のすぐ近くに大谷石で出来た蔵を改装したスペース、be offがある。小劇場くらいの大きさで、主にダンスを中心としたパフォーミングアーツなどのイベントが行われているという。大谷石といえば、宇都宮駅からバスで約30分のところに大谷石資料館がある。そこではジョン・ブッチャー&エディ・プレヴォなどを観たが、大谷石地下採掘場跡という場の特異性もさることながら、大谷石に囲まれた環境がもたらす音響効果ゆえ、極めて印象深く記憶に残っている。姜泰煥もそこで演奏しているが、残念ながら観ていない。be offの建物も大谷石で出来た蔵ということを聞き、期待して出かけることにした。
元々は蔵ということもあり、be offの天井が吹き抜けになった空間の響きはコンサートホールやライヴハウスとは異なった風合いがある。演奏が始まると、彼独特のアルトサックスの音がその空間に広がっていく。循環呼吸法やマルチフォニックスを用いる奏法を今では多くのミュージシャンが取り入れている。しかし、彼独自のハーモニクスや微分音から醸し出される陰影や奥行き、そのポリフォニックな重音のコントロール力は尋常ではない。表現のために自ら創出してきた数々の奏法によってサックスから発せられる音は、水墨画の世界に例えるならば五彩(乾、湿、濃、淡、焦)が際立っていて、ぐいぐいとその音空間に引き込まれていく。そのサウンドは気韻生動という言葉が当てはまる。これを聴くために、このサウンドを体感したいがためにやってきたのだ。姜泰煥の奏する異空間に引き寄せられているうちに、瞬く間に時間が過ぎていったのである。

姜泰煥の音楽を知ったのは80年代半ばである。当時、韓国のパフォーミングアーツの紹介を熱心に行っていた在日二世の康貞子(カン・チョンジャ)さんがひとかたならぬ熱意をもって、故副島輝人氏と姜泰煥のコンサートのブッキングに当たっていた。最初にカセットテープを聴かせてもらった時の印象は、エヴァン・パーカーと似て異なる演奏家だということ。だが、類い希な個性を強く感じつつも、何か物足りなさというか、ある種の窮屈さを感じたことも確かだった。考えてみればそれは無理もないことである。日本のように欧米のフリージャズ以降の輸入盤LPがレコード店の棚に並んでいたわけではなく、それらの音楽に触れる機会もほとんどない中で、姜泰煥トリオ(姜泰煥、崔善培(tp)、金大煥(ds))が韓国でフリー・ミュージックを演奏する唯一のグループだったということを考えあわせれば、いかに孤独に自らの音楽を探究していたのか想像がつく。
彼の音楽が大きく変化したと感じたのは、1990年3月、佐藤允彦(p)、高田みどり(per)とのトリオによる新宿ピットインでのライヴだった。この場に居合わせて本当に幸運だったと今でも思う。この時、床にあぐらをかき、座してサックスを吹く姿を見て驚いた。さらに驚かされたのはサウンドである。ビブラートによるゆらぎ、流動的に上昇し下降する音、それは今まで体験したことのない世界であり、アジアの音楽創造における新たな地平が拓かれたと感じたのだった。その後も姜泰煥の音楽は絶えず変化し、深化し続けている。

 

be offでの演奏を終えた後、彼といつものとおり英語と日本語のチャンポンで会話している時、今までなぜかずっと聞きそびれていたこと、「いつどのようなきっかけで座ってサックスを吹くようになったのか」について尋ねてみた。80年代終わりにツアーで行った北海道のある会場が能舞台のように床が空洞になっていたので、座って演奏するとサウンド的に面白いのではないかと思いついたのだという。そして、今の自分の音は座って吹かないと出せないということも言っていた。純粋に音楽的な理由から座って吹く道を選んだのである。
姜泰煥が創造し続ける世界の現在が聴けるのは2012年録音の『素來花 Sorefa』(Audioguy Records)である。何度も彼の演奏を観、聴いてきたが、このCDをプレーヤーに乗せた時に出てきた音には一瞬不意をつかれた。1曲目がまるでチェロを演奏しているような、バッハの無伴奏ソロのあのボウイングのようなサウンドだったからである。2曲目からは驚くことこそなかったが、その昇華された音楽にのめり込むように聴き入ったのだった。即興演奏への向き合い方は人それぞれだと思うが、姜泰煥の場合は純粋な即興演奏とは異なる。作曲作業と技術開発は結びついているし、即興と思って聴いているソロ演奏もベースとなっているのは既に作曲された作品だったりする。そういう意味では、音楽そのものは全く異なるが、音楽への向き合い方はセシル・テイラーのそれに近いかもしれない。

姜泰煥と知遇を得てから、かれこれ四半世紀以上。今まで様々なミュージシャンとの出会いがあったが、彼ほど名声や俗な意味での成功には目もくれず自らの音楽を追究することに喜びを見いだしている音楽家は他にいない。2002年録音の『I Think So』(IMA Shizuoka)の2曲目のタイトルは<来歴諦念>、もしかすると自虐的な意味でつけたタイトルかもしれないが、その曲名がその生き様を表している。奇しくも、ちゃぷちゃぷレコードから1994年録音の貴重なライヴ・ドキュメント『姜泰煥』が再発された。これらのアルバムを併せて聞くことで、その軌跡を、その深化を辿れるだろう。
写真はbe offでのリハーサル時に撮影したもの。それを見たある関係者は「姜さんの孤独と優しさが伝わって来る様に感じた」と伝えてきた。

*関連リンク
http://www.jazztokyo.com/column/reflection/v29_index.html
http://www.jazztokyo.com/five/five1229.html

横井一江 Kazue Yokoi
北海道帯広市生まれ。The Jazz Journalist Association会員。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。海外レポート、ヨーロッパの重鎮達の多くをはじめ、若手までインタビューを数多く手がける。 フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年〜2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)。趣味は料理。

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