Vol.67 | 安保法案成立に思う

text by Masahiko YUH

 怒号が飛び交う中で、戦争法案として記憶されることになった安保法案(安全保障関連法案)が、とうとう可決された。ラジオでNHKの国会中継を聴いていた私は、その瞬間、いったい何が起こったのかがまったく分からないまま、委員長席に殺到して抗議の怒声をあげる野党議員の声を聴いていた。次の瞬間、法案が可決されたことを伝える中継アナウンサーの甲高い声で安保法案がついに可決されたことが分かって、呆気にとられながら,予期はしていたものの初めて「法案可決」が現実になった事態が呑み込めた。与党が多数決の横暴で法案成立を図ろうとする成り行きにはおおよその予測はついていたものの、とはいえそれが現実となったことに思いいたったとき、夢から醒めた寒々しい気分が全身を駆け抜けた。
 この法案は多くの憲法学者を初めとする識者が指摘する通り、明らかな憲法違反だ。すなわち憲法9条違反である。この4月、アメリカの議会でこの法案を9月中までには成立させると宣言し、米政府との約束を公にした安倍首相にとって、ゴリ押ししてでも安保法案を成立させなければならない立場にあることを自覚した上での強行採決だったとしか言いようがない。国民の大多数がいくら反対しても、安倍首相にとってはどこ吹く風ぐらいの感覚だったのだろう。いざとなれば、60日ルールの決まりを使って衆議院で再可決すればよいと、まさに「私は総理大臣なんですから」と国会で高をくくった安倍首相の腹にはあったに違いない。まさに想定通りの強硬突破だったのだ。その総理大臣が国会での審議の最中に法案反対の立場から政府案に反論していた野党議員に汚い野次を飛ばしたときの国会中継を聴いていて、あたかも安倍首相がどこぞの暴力団組長の姿とダブって見えた。「早く質問しろよ」などという,過去にどの総理からも聞いたことがない低劣な野次も同様で、かくも人を小馬鹿にしたような野次を飛ばしたり、かと思えば閣僚の誤った回答を「それぐらいはいいじゃない」と言って御茶を濁す首相の態度は、選挙で多数を得た自民党の総裁としての驕りといってもあながち誤りではあるまい。
 いずれにせよ、この戦争法案と揶揄される安保法案がたとえ野党のしぶとい抵抗に手を焼くとしても、米議会で安倍首相が成立を言明した以上結局は両院を通過するだろうと、そんなことぐらい国民の誰もが分かっていたことだろう。にもかかわらず,それを承知の上で多くの国民がデモに参加し、のみならず政府が主宰する公聴会のひどさに憤慨してデモに加わり、声を上げる人さえいた。学生団体「SEALDs」を中心に、若い人々が法案反対の声を上げたのも大きな特徴だった。私が早稲田の学生だったころ、日米安全保障改定に反対する闘争が激化し、授業をボイコットしてデモに参加する級友たちも少なくなかった。時の首相が安倍首相の祖父、故岸信介。この新安保条約が強行採決された1960年5月19日が、去る9月19日の安保法案の参院での強行可決と重なった。
 それにしても、こんな鼻っ柱の強い安倍首相が、日本の自衛隊がアメリカの下請けになって世界各地で戦争をするようになる法案に,なぜ砂川判決まで持ち出して固執するのだろうか。この法案は先にも触れたように憲法9条に違反する。本来なら憲法を改正する議論をたたかわせ、その上で憲法9条改正を国民投票(憲法96条)で問い、集団自衛権の行使を認める改正をおこなうのが筋だ。それをしないで法案を成立させ、自衛隊がアメリカにいわれるまま海外での戦いに赴くレールを敷いてしまえば、外国勢力からの直接の武力攻撃に対処する場合を除いては、武力の使用を永久に禁じた憲法9条はあって無きが如しの条項となる。
 「SEALDs」を筆頭に今回のデモでの若い人々が正当な意思表示をアピールしたことは一連の動きの中で特筆していいと思っている。とりわけ膨大な数の人々が国会前に集まって、言葉による訴えを通じた今回のさまざまな人々による意思表示は、日本の歴史に残る参加型民主主義の大きな足跡だったと思う。
 むろん「SEALDs」ばかりではない。解釈改憲による集団的自衛権に反対する元裁判官75人が意見書を提出し、演劇にたずさわる250人を超える人々が東京や大阪など20カ所の駅頭に立ち、無言でプラカードを持って抗議する「サイレントスタンディング」を行った(9月16日付け朝日新聞夕刊)。「『さようなら原発』1千万署名・市民の会」が安保法案に反対する市民団体と共同で主催した集会の呼びかけ人をつとめた作家の大江健三郎や、法話の会を主催する瀬戸内寂聴、作曲家の坂本龍一,俳優の渡辺謙、歌手の長渕剛や久保田利伸等々、多くの有名人が呼びかけ人となって運動を盛り上げた。その他、「安保法制と安倍政権の暴走を許さない演劇人と舞台表現者の会」,多種多様な学者や研究者のサークル等々。先頭に立つジャズの演奏家がいなかったのは淋しかったが,さまざまな世界で活躍する多くの人々が法案に反対する意思表示をおこなった。
 ことここに至れば、私たち有権者は今度の国政選挙で、今回決まった安保法案を認めていないという意志を1票に託すしかない。かの思想研究家・内田樹氏も「民主主義には欠陥があるということ」と意に介さず、この法案に賛成した人には絶対投票しないことだと強調した。もちろん今回の安保法制が正当なものかどうかを問う訴訟の行方にも注視しなくてはならないが、差し当たって現議員の任期が満了となる明年(2016年)の7月25日以前に予定される参議院選挙で、安保法案を支持した議員には票を投じないことだ。それが、「法案が成立したら国民は忘れる」との政権内の声にこたえる最も有効な手だてでもあり、まっとうな方法でもあるだろう。今回、憲法9条を守る街頭運動で必死に訴えた多くの人々にとって、落胆するのはまだ早い。怖いのは今回の法案成立で人々が不必要に沈黙することだ。街頭で訴えたあの情熱を失うことなく、次に到来するチャンスに活かすことである。
 昨年4月、神奈川県の一主婦が日本国憲法第9条をノーベル平和賞に推薦し、ノーベル賞当局がこれを受理したと認めて話題になったことがある。こんな夢のある嬉しい話題はもう生まれないのだろうか。もしこのノーベル賞が実現していたら、受賞者の日本国民は歓喜に沸いたばかりでなく、70年にわたって日本を守り続けた憲法第9条に今般のように傷をつけることなど決してあり得なかったに違いない。それから1年半が過ぎ、法案が成立した翌日の朝日新聞に、こんな川柳がのっていた。
    九条のノーベル賞は遠くなり(埼玉県・西村健児)

悠 雅彦

悠 雅彦 Masahiko Yuh
1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、朝日新聞などに寄稿する他、ジャズ講座の講師を務める。
共著「ジャズCDの名盤」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽之友社)他。本誌主幹。

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