音の見える風景  


Chapter40.高橋知己
撮影:1980年6月23日
千代田区SOUND INNにて
photo & text by 望月由美




今年の7月17日はコルトレーンの『Crescent』(impulse!1964)から<Wise One>を聴いた。エルヴィンのシンバル・レガートが気持ちよい。おだやかで、しかしおごそかなコルトレーンが部屋全体を満たしてゆく。久しぶりにコルトレーンと向き合えた気がした。そして、ふと38年前の高橋知己の姿を鮮明に思い浮かべた。
当時、高橋知己といえば誰もがコルトレーンを想いおこすという存在であった。コルトレーンをファッション的にとらえてフレーズをなぞるテナー吹きは沢山あらわれたが真正面からコルトレーンの中に飛び込んで火柱を上げて燃え盛る知己の出現は鮮烈であった。

70年代の中頃から自己のカルテット、森山威男カルテット、向井滋春クインテット、古澤良治郎カルテット、SMCO等々で活躍しライヴ・シーンの最前線では注目を浴びていたが未だ一般的な認知度はなかった。ただ、ひたすらコルトレーンを追い求め、そこから自分の音楽の確立を目指して邁進する知己の姿は輝いていた。そんな高橋知己の実像をリアルに描こうと思い立ち、知己を徹底して追いかけた。生まれ故郷の常呂町から母校の函館ラ・サール、写大、先生、学友、家族、山下洋輔にいたるまでくまなく知己に関するコメントを求めた。そして二時間半のドキュメンタリーに構成し、1977年3月31日(木)18:30〜21:00、春の特別番組「ジャズに賭ける」を FM東京(現TFM)からオン・エアした。番組のエア・チェック・テープを引っ張り出して聴いてみた。放送のエンディングは森山4によるコルトレーンの<Dearly Beloved>、新宿ピットインでのライヴ収録であった。知己と森山が真っ向勝負、二人の壮絶なバトルがノン・カットで延々と収録されていて、あらためて当時の知己のコルトレーンへの熱い思いが伝わってくる。
尚、この番組は民放連賞を受賞した。

番組の中で、山下洋輔はインタビューに答えてデビュー当時の知己を語ってくれた。
<知己のプレイを聴くとさ、先ずコルトレーンってなるんだよね。コルトレーンを考えてしまう。知己を聴いてコルトレーンを思い出さない奴はさ、コルトレーンを知らないわけだ>
<ジャズをやる奴はさ、みんな自分のことしか信じないんだよね、そうじゃなければさ、人前でさ、楽器をひいてさ、できないよ。そのあらわれ方がみんなそれぞれ違う訳でさ、これが俺だっていきなり云っちゃう奴もいればさ、コルトレーン風とかカーテンにかけていう奴もいればそのあらわれ方も凄い複雑よ、ひと前で定期的に演奏して、それで生活しようという奴はね、自分のことを人に伝えたいって云うことしかないんじゃない>
38年前の山下洋輔の言葉は今も生きている。

高橋知己は1950年北海道の網走の近く、常呂町の生まれ。家は写真店で、妹がピアノのレッスンを受けていたので自分もピアノを習いたかったが、男の子はピアノなんて習わないでいい、その分ちゃんと勉強していい学校に行ってね、と親にさとされその機会を逸する。根が音楽好きだった知己少年は中学校でブラス・バンド部に入る。
ブラス・バンドではトランペットを吹きたかったのだそうだが、たまたま空席がなくチューバやホルンなどを受け持たされてしまい嫌気を起こして退部し野球部へ移る。ポジションはファーストと外野だった。
80年代に入って辛島文雄(p)や金沢英明(b)、榎本秀一(ts)、山崎弘一(b)等と野球のチーム「世田谷ロリンズ」をつくりプレイをしたのもこの頃の素地があってのことである。

1966年、北の名門、函館ラ・サール高に進む。<ちゃんと勉強していい学校に行ってね>が口癖だったという親の願い通り高校進学まではよい子であった。
この年の夏コルトレーンが来日しているが知己は知る由もなく、知己がコルトレーンを知るのはコルトレーンが亡くなってから1年後であった。
ラ・サールにはブラス・バンドがなかったので知己はグリー・クラブに入り、そこで元岡一英(p)に出会う。元岡は一年先輩でグリー・クラブの部長、のちに新宿ピットインで劇的な出会いをすることになる。寺下誠(p)も一年後輩でグリー・クラブに所属していた。また、このグリー・クラブには一年下に「SHOGUN」の芳野藤丸(g)がいてグリーをやりながら一緒にエレキ・バンドをつくりストーンズなどロックをはじめていた。
芳野藤丸はロックやフォーク以外にも、いろいろな音楽を聴いていて、あるとき知己はガボール・ザボ(g)を聴かせてもらい初めてジャズに興味を持ったという。
<俺にとってはその時までジャズって全然知らないじゃない、で、これをジャズって云うんだって云われてね、でも、不思議な気になる音楽だったんだよ> 
これをきっかけにジャズを積極的に聴き始めたときにNHKのジャズ番組で油井正一が<コルトレーンが死んで1年が経ちましたけどオムっていう新譜が出ました、全曲おかけいたします>
高橋知己のコルトレーン初体験は1968年18歳、高校3年の夏『OM』(impulse!1965)であった。
<オムを聴いてドヒャッときて、これはいったい何なんだろうってすごく興味をもって、高3の後半くらいかな、それがトレーンを聴き始めた動機なんだよ>
『ジャイアント・ステップス』(Atlantic)や『マイ・フェィヴァリット・シングス』からコルトレーンに入るひとが多いと思うがいきなりオムからというのは珍しい。
知己はコルトレーンに捧げて『Nothin’But Coltrane』(AKETA’S DISK 2007) 、『Feeling Good』(AKETA’S DISK 2009)を録音している。

知己はジャズのバンドをやりたくなり後輩の寺下誠(p)を引き入れてそれまでやっていたロック・バンドを、ボサ・ノヴァを演奏するバンドにしてしまう。
ジャズを知ってからの知己は函館のジャズ喫茶巡りに明け暮れ、ビートルズなどロックのレコードを全部売り払って『至上の愛』(impulse!1964)をはじめオーネットやマイルス等のレコードを買い集めては聴いてジャズにどっぷりつかってしまう。

ラ・サールを卒業し北大を目指すものの一年浪人し札幌の予備校に通うが社会情勢の影響もあって実情はジャズ喫茶通いをしていたようである。
<普通の大学を出てさ、それから自分の道を考えてもと思っていたんだけど世の中はさ、安保闘争でさ、東大は変になるし予備校もセクト活動がひどいのよ、それで学生運動とジャズのはざまで何か面白いことをやってみようかといろいろ考えて、で写真も好きだったし写大が東京にあることを知って受けたら受かっちゃったから>
安保闘争が写大生、さらにはジャズマン高橋知己を生んだことになるのであろうか。
知己は自己のブログでウォーキング途中の風景をスケッチした写真を掲載しているが構図の決め方などセンスの良いスタイリストぶりを見せている。

 

東京写真大学(現在の東京工芸大学)に進んだ知己はラ・サール出身者がアルバイトをしていた新宿の喫茶店「イレブン」に通うようになる、隣には新宿ピットインがあった。その頃の新宿ピットインは朝の部、昼の部、夜の部と三部構成。一日中ジャズが演奏されているのを見るにつけ知己自身も楽器をやりたくなり、持っていたレコードやカメラを売ってテナー・サックスを買い、写大の軽音楽部に入り部室で練習を始める。また、ピットインにも出入りするようになる。

当時の新宿ピットインの2階には「ティー・ルーム」と「ニュー・ジャズ・ホール」そして楽器置き場があり、向井滋春(tb)や大友義雄(as)、土岐英史(as)等が練習をしていて、知己もそこで練習を始めミュージシャンとのつながりを広めてゆく。

1972年の秋、寺下誠(p)、米木康志(b)、守新治(ds)と云うメンバーで高橋知己カルテットが新宿ピットインからデビュー。
<写大までは親がかりだったんだけど、家にもう仕送りはいいからって云ったの、親に泣かれたけどね>

山下3をやめて暫く翼を休めていた森山威男(ds)が1976年、「アケタの店」でウォーミング・アップを開始したときから知己は参加、森山威男カルテットのメンバーとなる。森山4は1976年11月から新宿ピットインで毎月定期的にライヴをおこなうようになり、1977年3月の森山威男4の新宿ピットインでのライヴ『フラッシュ・アップ』(テイチク)へとつながってゆく。メンバーは森山威男(ds)、高橋知己(sax)、板橋文夫(p)、望月英明(b)。

そして1979年の1月、ファースト・アルバム『TOMOKI』(日本コロムビア)を録音、さらに翌年の1980年の6月、「ジャズ・マシーン」を引き連れて来日中のエルヴィン・ジョーンズ(ds)と共演しアルバム『another soil』(日本コロムビア)をレコーディングする。
<俺って、かけ出しの頃って恵まれているじゃない、向井さん、古澤さん、森山さんってきて自分のアルバムも作れて、で、次はエルヴィンとつくりたいなぁって冗談で云ったら実現しちゃったわけだから>

70年代は感性だけで突き進んできた知己であったがエルヴィンと共演して、自分は何もできないのだと落ち込み、もうミュージシャンやめてもいいとの思いにまでなり、やめるにしても一度ニューヨークに行ってから考えようとのことからニューヨーク行きを決めたのだという。この時が知己の初めてのニューヨーク、以降たびたびニューヨークに行って街を探索、ときにはラヴィ・コルトレーン(sax)等のニューヨーカーと共演している。
ニューヨークではエルヴィンに声をかけてもらってヴィレッジヴァンガードで共演するなど親交を温め、ジャパニーズ・ジャズ・マシーンの日本公演時にはメンバーとして参加した。

<いやあ、エルヴィンは凄いよ、音楽する心とかね、素晴らしい人間としか云いようがないよ、ドラマーで、ミュージシャンで人間的にも素晴らしくて、バッハとかモーツアルトとかベートーベンとかマイルスとかエリントンくらい天才だよ、大天才だよ!>
<コルトレーンは生みの親でエルヴィンは育ての親だってよく云っているんだよ>
知己は2005年にエルヴィンに捧げて『Blues To Elvin−Tribute To Mr.Elvin Jones』(AKETA’S DISK)を録音している。

知己はこうしたエルヴィンとの共演を重ねるうちにジャズが若い時のように感性だけでは難しい音楽だという風に思いを馳せるようになりさまざまな試みを始める。
その一つがピアノ・レスのトリオと云う編成で、その代表作に『TOMOKI TAKAHSSHI trio/PERHAPS』(AKETA’S DISK 1994 )があげられる。
また、北海道の出身者が集まって「THE HOKKAIDO BAND」を結成、オリジナル・メンバーは小山彰太(ds)、高橋知己(sax)、元岡一英(p)、米木康志(b)で、なぜかドラムは彰太〜セシル・モンロー(故、56歳)〜本田珠也と変遷しそれぞれ一枚ずつ作品を残し、現在は小休止している。

オフでの高橋知己は6〜7年前からウォーキングを始め、日に10キロから15キロ歩いているという。元々の動機は健康上の都合だったというが今では歩くことが楽しくなったようだ。アルコールに深夜のセッションと不健康な行動の帳尻をウォーキングでとるようである。
そして、スポーツ好きの知己は近所の友人とテニスも楽しんでいるそうである。そして映画もかなりの本数を見ていて、自身のブログには5☆の採点も行っている。
朴訥な佇まいに似合わずまめな行動派である。

現在、高橋知己は生田さち子(p)に工藤精(b)、斎藤良(ds)という自己の高橋知己カルテットの活動を主体にベースの紙上理「Ellingtonian 7」、ベースの山崎弘一グループ、ピアノの清水くるみとのデュオ等で演奏するほか阿佐ヶ谷のマンハッタンでは土曜の深夜「MANHATTAN Midnight Jam」のホストを務めるなど多忙な演奏活動を行っている。また、時には一人で楽器をもって全国を旅し、行く先々で地元のミュージシャンとのセッションも行っている。

今年2015年6月17日、ギター奏者の津村和彦が58歳と云う若さで亡くなった。津村が加わった知己4は今年の5月、横浜エアジンでの演奏がラスト・ライヴとなった。2000年から知己4のメンバーとなり実に15年にも及ぶ演奏仲間であった。
高橋知己の最新作『Smile Please』(AKETA’S DISK 2013)がジャズ・アルバムとしては津村の遺作になったと思われる。
このアルバムは知己の音楽のキャリアを振り返るかのようにビートルズからステイーヴィー・ワンダー、チャールズ・ミンガス、ジルベルト・ジル、そして知己のオリジナル曲が演奏されているが、ここで津村も魂のこもったソロを弾いていて、今となっては津村の代表作の一枚に加えられるべき内容となっている。
また、この作品には現在の知己4のピアニスト、生田さち子もゲストとして加わっており、奇しくも新旧のメンバーが顔を揃えたかたちとなっていて、ニュー知己4のスタートの記録にもなっている。
そしていま知己は友人のあまりにも早い死を追悼して、夫人で歌手の津村典子 (vo)と共にトリビュート作品をつくるべく構想を練っているというが一日も早いリリースが望まれる。

デビューから43年、高橋知己にとってのジャズを聞いた。
<ジャズってなんなんだろうねぇ、うん、ほんとは出会いたくなかったのかなぁ、こんな途方もないものに出会っちゃったからね>
<俺が死ぬまで頑張っても自分が満足できないことを分かってて演るわけでしょ……俺の人生にとってはこんなに衝撃うけて感動もらったというか、こんなにでかくて深いものに出会えたことは幸せでもあるけど………>


望月由美

望月由美 Yumi Mochizuki
FM番組の企画・構成・DJと並行し1988年までスイングジャーナル誌、ジャズ・ワールド誌などにレギュラー執筆。 フォトグラファー、音楽プロデューサー。自己のレーベル「Yumi's Alley」主宰。『渋谷 毅/エッセンシャル・エリントン』でSJ誌のジャズ・ディスク大賞<日本ジャズ賞>受賞。

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追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
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カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
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#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
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#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
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