MONTHRY EDITORIAL02

Vol.69 文明と野蛮 text by Mariko OKAYAMA

 このコラム用に書きかけた別の原稿を、そのまま書き継ぐ気持ちになれない。日本人が二人、イスラム国の人質になり、残った一人も殺害された、とのTVニュースを見て、さまざまに入り乱れる思いを、どうしようもできないでいるからだ。そういうことはひとまず頭の隅においておき、とりあえずその原稿を書き進めてゆく、ということが私にはできない。
 前回、私はパキスタンのペシャワルで起きた学校襲撃事件と、テロリストに銃撃された少女マララ・ユスフザイのことを書いた。マララの語るように、報復のくり返しと憎悪と暴力の連鎖に、人は「本とペン」で立ち向かえるのか。マララは「私は誰も敵だとは思っていません。ましてやタリバーンその他のテロ集団に対する個人的な復讐心もありません。」と言ったが、現実の世界は暴力に暴力の応酬で屍を築いている。
 ここで何かまとまった考えを述べる力は、私にはない。断片的なことがらが脈絡無く浮かんでは消えてゆくだけなのだが、それでも、それをありのまま、拾って書き並べることをお許しいただきたい。

 私はネットに掲載されたジャーナリスト後藤健二さんの殺害動画を見ていない。耐えられないからだ。ただ、思う。なぜ人はこうも残虐になれるのか?イスラム国のメンバーは特別に極悪非道な狂気の殺人集団なのだ、と話を済ませられるのかどうか。西欧にはかってギロチンがあったし、日本だって、近くは江戸時代、罪人の市中引き回しから斬首、晒首があった。それがなくなったのは、それだけ人間が進歩、もしくは変化した、ということなのだろうか。誰かが、イスラム国は私たちの文明の圏外にある、と発言していたが、私たちの文明(こういう言い方自体、問題を含むと思うけれど)は、そういう残虐さを、ほんとうに殲滅、克服できたのだろうか。文明は野蛮と対置されるが、では、空爆は残虐、野蛮ではないのか。
 一方で、こんなことがあった。一歳半の孫と動物のTV番組を見ていたら、ヒョウ同士のすさまじい戦闘シーンがでてきた。その血みどろの戦いをじっと注視していた彼は、目をうるませ、泣きそうな顔になって、私や母親を何度も振り返った。その訴えるようなまなざしに、私は胸を突かれた。こんなちいさな魂にも、なにか感じることがあるのか、と思って。きっとどこかに激しい痛みを覚えているのだ。私はその様子に、深い、なにか根源的な人間の尊厳のようなものを感じて、敬虔な気持ちになった。
 人間についての、この相反する思いは、たぶん、宗教の根っこに連なるものであろうけれど、私の頭のなかでは、振り子のように行ったり来たりするだけだ。

 私はイスラム圏は、トルコ、エジプトしか行ったことがない。どこも観光で、名所を回っただけだが、それでも、いろいろ感じ、考えたことはそれなりにある。
 トルコのモスクで。女性は寺院の内部に入れない。でも外国人女性は入れる。私たちがズカズカと神聖なモスクの絨毯にあがってゆき、あちこちを歩き回るのをながめながら(もちろん私は気をつけたが、無頓着な観光客は多い)、彼女たちは外に設けられた礼拝の場から静かに祈りを捧げている。それは、やっぱり心咎めるものがあり、複雑な気持ちになった。ここにある二重の差別を、どう受け止めたらよいのか、と。
 朝に晩に、1日5回、街に流れるアザーン(礼拝への呼びかけ)で人々の生活は回ってゆく。それは人間の声による朗誦だから、西欧の教会の鐘の音とは異なった印象を受ける。「声」であることの持つ直接性。そこに、私は西欧とは異なる神と人間のかかわりの密度を感じた。コーランが現実的で具体的な戒律に満ち満ちているように(計量的な比喩が目につくのは、ムハンマドが商人であったことを頷かせるものだ)、人々の信仰と生活の規律の密着度は高い。
 エジプト観光のおり。9月初旬だったが、暑さは半端ではない。神殿ひとつ見るにも、灼熱地獄だ。巨大な王墓群やピラミッド見学はむろんのこと、そこに行き着くまでに長い距離を歩かねばならないから、帽子、長袖、長ズボンは女性の場合、必須。だが、欧米の人々はサングラスに無帽、タンクトップ、短パンといういでたちが圧倒的に多い。したがって、暑さにやられ、倒れている女性を、何人も見た。イスラム圏の女性が頭から足先まですっぽり覆い、目だけを出すブルカと呼ばれる服を着るのは、強烈な日差しや砂嵐から身を守る知恵でもある、と私は実感した。男性でも長袖の長衣を着ているのは、同様の理由だろう。ブルカを女性の抑圧の象徴と考えるのは西欧的な価値観で、風俗には長い歴史のなかで定着したそれなりの合理性があると私は思う。が、ブルカの着用を拒んだ女性を処罰すること。一方で、フランスをはじめとする西欧諸国におけるブルカやスカーフ禁止令。それぞれの尺度ではかられる自由と抑圧を、私たちはどう捉えたら良いのか。


 

 ピラミッド付近の砂漠で、私はラクダに乗ってみた。たまたま一緒になった日本人女性が、「ラクダ使いにいきなり胸、触られたから気をつけて。」と教えてくれたので、私は深く用心した。観光客相手のスレた男たちのこういう振る舞いには、バザールでも遭遇し、私は思いっきり「寄るな、触るな!」と叫んだものだ。アジアの、とりわけ日本女性に彼らは手を出す。ひ弱、気弱とわかっているからだ。自分の妻娘は病気になっても男の医者に触れさせないのに、他国の女に触れてくる男たちの欲望に私は心底腹が立った。ここにも自由と抑圧の形がある・・・。
 ほんのいっときでも、熱砂の砂漠に立ってみると、そこに生きることの過酷さを思い知らされる。見渡すかぎり、射るように照りつける太陽と砂しかないのだ。足下からじゅっと酷熱の砂地に吸い取られそうな恐怖。キリスト教もイスラム教も砂漠の宗教と言われるけれど、湿潤な森林から生まれた仏教との違いは、生きる環境のそれとわかちがたく結びつく。砂漠のベドウィンの部族同士、血で血を洗う抗争と、アリをも踏みつぶさぬよう気をつけて歩いたブッダ。美しい四季に恵まれた日本人が、砂漠の思考を理解するのは難しいが、それでも想像する努力を怠ってはならないだろう・・・。

 と、思い浮かぶあれこれを追いかけつつ、心は錯綜したままだ。ふと、思い出して、イギリスの心理学者ニコラス・ハンフリーの本『内なる目』を手にとって、ページを繰ってみた。「理解する脳と心をうまく働かせることをしなかった人々は絶滅した。」という言葉。「人類は同朋に対する深い感受性と理解なしに生き延びることはできないのだ。」とも。そうか、と思った。1歳半の孫の泣き顔にあったのは、この脳と心の働き、この感受性と理解ではなかったか。彼にとっては動物も同朋であり、同じ命のことなのだ。(ちなみに彼の家にはウサギと犬がいる)その直覚が人間を人間たらしめる根源的な尊厳というものだろう、と、ぽっと小さな灯りをともされるような気持ちになった。

 と、ここまで書いて、イスラム国によるヨルダンのパイロットの惨殺と、これに応じたヨルダンによる死刑囚死刑執行の報に接した。なぜ人はこうも残虐になれるのか。同じ「種」に対し、こういう仕業をするのは、人間だけだ。動物は生存のために闘うが、憎悪で殺し合ったりはしない。私たちは、ジャンヌ・ダルクの時代をいまだに終わらせていないのだ。ハンフリーの言うように、イスラム国はいずれ絶滅するのだろうか。私には、わからない。わかっていることは、残虐に残虐で応じてはいけない、ということ。そして、日本は人道支援のみに徹し、決して武力行為に加担してはならない、ということだけだ。

 パイロットのニュースから1日たった夜、出かけたコンサートで、私は20歳そこそこくらいの音大声楽専攻生たちが歌う三善晃の合唱曲『生きる』を聴いた。白いブラウスに黒のスカートで並んだ彼女たちの清楚な姿とその歌声に、思わず知らず、胸が熱くなった。ピアノのための無窮連祷による、との副題のとおり、繰り返されるピアノの透明な波のうえに歌がのってゆく。谷川俊太郎の詩だ。第3節、「生きているということ いま生きているということ」のリフレインに続く言葉、「泣けるということ 笑えるということ 怒れるということ 自由ということ」の最後の「自由ということ」の繰り返しで、彼女たちは大空に両手をいっぱいに差し伸べるみたいにいちだんと声を張り上げ、一瞬、私はベルリンの壁崩壊直後の東ドイツで、窓辺にひまわりのように咲き並ぶパラボラアンテナを見たときのことを思い出した。

 生きているということ、いま生きているということ。いま、私は生きているのだから、わからないことはわからないなりに、ともかく考え続けねばならない。そう、強く思った。(2月7日 記)


カイロのムハンマド・アリ・モスク(筆者撮影)


丘山万里子

丘山万里子 Mariko Okayama
東京生まれ。桐朋学園大学音楽学部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。2010年まで日本大学文理学部非常勤講師。著書に『鬩ぎ合うもの越えゆくもの』『からたちの道 山田耕筰論』(深夜叢書)『失楽園の音色』(二玄社)、『吉田秀和 音追い人』(アルヒーフ)、『波のあわいに』(三善晃+丘山万里子/春秋社)他。東京音楽ペンクラブ会員。本誌副編集長。

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#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
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#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
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