MONTHRY EDITORIAL02

Vol.70 遠山一行氏の想い出 text by Mariko OKAYAMA

 昨年12月初旬、批評家の遠山一行氏が逝去した。吉田秀和に続き、二人の批評家が去り、音楽評論の一つの時代が終わったと感じている人も多いのではないか。この3年ほど、ずっと病のなかにあり、私が最後にお目にかかったときは、ご自宅のベッドに伏せていらっしゃり、ほんの少しの会話でおいとませねばならなかった。それが2013年、晩秋のことだ。
 私にとっては、桐朋音大の学生の頃から今日まで、見守り続けてくださった恩師と呼ぶべきたったひとりの方である。92歳は天寿というべきだろうが、それでも、失ってみると、その存在の大きさが身にしみ、思い出すことばかり。ここでは個人的なことだけ、書かせていただく。

 学生の頃、音楽史とフランス語の原書購読を氏のもとで学んだが、その頃はとくだんの思いもなかった。氏は吉田秀和と並ぶ高名な批評家であったのだから、評論を志していた私には大スターのはずだったが、あいにく我が家は毎日新聞をとっておらず、朝日の吉田にしか目がゆかなかったのである。フランス語の講義には聞き取りもあり、若い頃6年をパリですごした氏の美しいフランス語に聞き惚れつつ、ノートには間違いだらけの単語が並んでゆくのだった。ハイデッガーの『存在と時間』をもとに書いた卒論を「ファンタスティックですね。」とおっしゃり、そんな風に読んで下さったのだ、と他の先生とはひと味違う言葉が嬉しく、それが私のなかに刻まれた最初の氏の印象だったのだから、勝手なものだ。
 批評家としての氏に直に触れたのは、卒業して5年後、氏が批評実習という講座を桐朋に持っていることを知り、そこにもぐりこんで。2年通ったが、学生は私を含め3人だった。批評史のようなものも学んだが、ヨーロッパでの日々や往年の名演奏家たちのこと、現今の演奏界の現場など、こまごまと語られ、羨望にくらくらした。が、それより、実際に演奏会にゆき、批評を書いてみる、というまさに実習が一番の魅力だった。何しろ、大批評家が読んでくれ、簡単なコメントをもらえるのである。私は張り切った。その2年が終わる頃、批評とは何ぞや、のような大命題に突きあたり、氏に「批評とは何か、わからなくなりました。」と打ち明けたら「とにかく書いてみることです。」とおっしゃり、とある音楽新聞を紹介してくださった。だから、私の批評の最初の一歩は氏に導かれてのこと。
 それからしばらくして、氏が<音楽時評>を書いている毎日に引っ張ってくださり、日刊紙で女性はじめての(と周囲から言われた)演奏会評者となった。初回の原稿は遠山家に持参し、氏のチェックを受けて提出した。その後、2回ほど続いたと思う。氏はあれこれおっしゃらず、ただ、「いいでしょう。」とだけ。ところが私は毎日で8年たった頃、新任の担当記者が、私の文章や評価に何だかだと干渉してくるのに腹を立て、辞めてしまったのである。自分の名での署名文なのだから一字一句たりとも、いじられるのは嫌だ!評価そのものに口出しなど、言語道断!若く、周りが見えなかった。ポストの重さも分からなかった。氏に「辞めたい。」と伝えると、困った顔をされたが、「そうですか。」としかおっしゃらなかった。恩知らず、とはこのことだが、自分の浅はかさを心底知ったのはずいぶんあとだ。やがて氏も毎日を去られた。
 氏は、私に、いわゆるメインストリートをいつも示してくださった。「教えませんか?」 これは、音楽評論家が大学にポストを持つことが多いからだったろう。「いえ、自分のことで精一杯です。」「雑誌をやりませんか?」氏が発行していた<季刊芸術>のことだったろう。「いえ、自分のことで精一杯です。」文化庁の委員も、面倒で辞めてしまった。私はそうやって、さまざまな氏の配慮を踏みにじった。私はただ書きたかったし、書く以外のことはしたくなかったのだ。それがどんなに自分の滋養になるかに、思い至らず。
 突然、「ヨーロッパに行きたい。」と言った時も、すぐに音楽財団のスカラシップの段取りをしてくださった。はじめてウィーンの地に立った時、しみじみ、ありがたい、と思った。氏の理解と後援がなかったら、幼い子連れで遊学なんてありえなかったから。
 音楽批評紙を創刊したときには、若い執筆メンバー全員をご自宅に食事に招いてくださった。メンバーの一人は、「日本の貴族にはじめて出会った。」と感激していた。広い居間のドアはパリの骨董屋で見つけたという修道院の重厚な木と鋼の扉で、壁には何気なくマチス(むろん、本物)が飾られていたし。だけでなく、その風貌と居ずまいはまさに貴族そのものだったから。


 

 氏が遠藤周作とともに創設した日本キリスト教芸術センター(氏はキリスト者だった)では、コルトーやクローデルが集ったパリのサロンでの経験にならって、一流の文化人を招いて話を聞き、サンドイッチとビールで談笑する月例会があり、そこに私も通わせていただいた。首にかけたピンクのマフラーにしょっちゅう触れながら話す中村真一郎や、テーブルにおいた風呂敷をずっと指先でいじっていた辻井喬など、妙になまなましく印象的だった。ゲストは文学、音楽にとどまらず、先端物理学者、宇宙工学者、仏教学者など、多士済々だった。遠藤周作は遠山夫人(ピアニスト遠山慶子)の大ファンで、夫人がゲストらと交わす天衣無縫な会話を喜び、そんな和気あいあいの空気を氏はいつも温かく見守っている風だった。一流、にもいろいろある。このサロンで、私は本物の一流とはなにか、を知った気がする。

 そのように、氏はいつでも、近く、遠く、私を見続けてくださった。身勝手なふるまいを、決して咎めることなく、お説教ひとつ、なさらなかった。頼れば、考え深い手を差し伸べてくださった。

 先日、ご自宅に弔問にうかがった。書斎の机には、病に倒れる前に読んでいらした本が種々、重なっていた。書庫には10 代の頃から愛読したというシェークスピア全集など、古めかしく、壮麗な装幀の本が整然と並び、小さな図書館のようだった。数冊が未開封のバッハ全集もある。独特の、木の書棚と古書のいりまじった匂い。氏の該博を育んだ書物たち。私はアルバムでも見るように、それらを眺め、手にとった。
 夫人に「欲しい本があったらどうぞ。」とすすめられ、形見に本を2冊頂いた。一つは書斎の机に置かれていたジャンケレヴィッチの『音楽と筆舌に尽くせないもの』。90歳になろうとする氏が、筆舌に尽くせないもの、を読んでいたなんて、と心惹かれて。もう一つは書庫にあった、マチスの「AN ART PLAY BOOK」。「THE SORROWFUL KING」というタイトルの詩が切り絵で綴られたもので、開くといろいろな仕掛けのある遊び心に満ちた一冊。氏のお気に入りだったとか。カラフルで、とても綺麗。私の大切な宝物となった。

 批評家としての氏がどうであったか。その仕事については、いずれまとめたいと思っている。<音楽現代>誌の4月号から「遠山一行と吉田秀和」の小論が連載される。机に二人の全集が山積みだ。吉田秀和はわかりやすいが、遠山一行はわかりにくい。読めば読むほど、そう思う。それをわかりやすく書くことが、私の恩返しになるのではないか。とても難しいけれど。

 私の好きな、そして、私もそうだ、と思える氏の言葉を最後に。
「私がやってきたことは批評を批評でないものから徹底的に遠ざけようという行為である。いいかえれば、ある一つの体験から出発して、その時々の自分にとって一番深い自我と信じられたものへと沈潜してゆく行為である。しかもそれは通常私どもが何となく考えているように批評によって作品固有の世界に近づくのではなくて、そこから無限に遠ざかってゆこうとすることなのである。」

   先生。ありがとうございました。


2003年6月11日傘寿と評論活動60年を祝う会@帝国ホテル
撮影/林喜代種


丘山万里子

丘山万里子 Mariko Okayama
東京生まれ。桐朋学園大学音楽学部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。2010年まで日本大学文理学部非常勤講師。著書に『鬩ぎ合うもの越えゆくもの』『からたちの道 山田耕筰論』(深夜叢書)『失楽園の音色』(二玄社)、『吉田秀和 音追い人』(アルヒーフ)、『波のあわいに』(三善晃+丘山万里子/春秋社)他。東京音楽ペンクラブ会員。本誌副編集長。

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